このblogについて2005年05月13日

 ロシアカメラ、日露関係などに対して、思っていることを、以下のページに書いていました。
http://cccpcamera.myhome.cx/RussianCamera/Kaisetsu/Link/alone.html
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Alone1.htm
 
 今後はBlogを使用してみようかと思い、このBlogを試用しています。

 もし、よろしければ、コメントをご記入ください。原則、公開します。ただし、このBlogは試用ですので、将来、削除する可能性のあることをご了解ください。なお、猥褻サイトの宣伝はお断りします。

ソ連対日参戦2005年05月14日

2005年5月9日はナチスドイツに勝利してから60周年に当たります。

5月9日のasahi.comによると:  ロシアの対独戦勝60周年記念式典に出席するためモスクワを訪れている中国の胡錦涛国家主席は、…モスクワの中国大使館に第2次世界大戦に参加した旧ソ連軍の兵士やその遺族の代表を招いて会見した。中国・東北地方で日本との戦いに参戦した兵士らも含まれる。胡主席は「多くの戦士が、中国人民が日本の侵略と戦うために貴重な貢献をしてくれた」と述べた。

 5月7日土曜日、NHKスペシャルを見ましたか?  シベリア抑留関連のドラマが放映されていました。この番組もそうでしたが、シベリア抑留というと、日本軍人が被害者として描かれます。実際は日本軍人は中国侵略犯罪の加害者であり、ソ連軍は中国の解放者でした。日本の加害犯罪に目をつぶって、「苦労したから被害者だ」ふうな、情けない感情は、もうそろそろ払拭したいものです。

竹島問題-竹島日本領論の根拠はずさんすぎる2005年05月26日

 竹島と日露戦争の関係をどう判断すればよいのか困惑している。歴史年表を見れば、竹島領有は日露戦争と朝鮮併合のためだったことは、容易に理解できるだろう。ところが、竹島日本領論者の主張を見ると、彼等は、竹島と日露戦争の関係に触れない。

 政府外務省のページでは、『我が国は、遅くとも17世紀半ばには、実効的支配に基づき竹島の領有権を確立していたと考えられ』となっており、日露戦争との関係をすり抜けようとしている。ところが、17世紀半ばの根拠は『伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から・・・竹島を拝領していた』と言うことのようだ。外務省は、この文章を『歴史的事実』と説明している。この文章に1文字でも誤りがあったなら、日本の主張は信用を失うだろう。
 「伯耆藩」とはどこにあったのか。伯耆国ならかつて存在したし、伯耆町ならば最近出来たが、伯耆藩など存在したのか。また「竹島を拝領していた」とはいったいなんだろう。藩主の頭越しに、領民が領地を所有することなど、なかったのではないのか。「伯耆藩」「竹島を拝領していた」 まったく、おかしな説明である。外務省の説明は根拠無しの妄言か。

 ネットで調べると、竹島日本領の根拠をかなり詳しく解説しているページがある。
 1452年の高麗史地理志に鬱陵島の説明として、「一云、于山、武陵、本二島、相距不遠、風日清明、則可望見(于山と武陵の2つの島は、お互いの距離がそれほど遠くないので、空気が澄み切った日には、望み見る事ができると言われている)」と書かれている。鬱陵島から、空気が澄み切った日に望見できる島は竹島しかないので、于山島とは竹島のことであると、説明される。
 ところが、ネットで調べると、竹島日本領説を唱える人の中には、「鬱陵島から竹島を肉眼で見ることはほぼ不可能」などとの主張が見受けられる。外務官僚だった川上健三氏が、そのような説を唱えたことに始まるようだ。どの程度に見えるのかは、簡単に計算できることなので、不思議な主張である。

 計算によれば、鬱陵島から竹島を望見できることは、間違いない。
 Excelを使って、どのように見えるかを計算した結果を、以下に示したので、ご参照いただきたい。 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/Ullun.htm
 もっとも、最近は、下條正男氏の説で「朝鮮半島から鬱陵島を見たときの様子だ」との説明がなされることが多いようである。『本二島』を『朝鮮半島と鬱陵島』とこじつけたのだろうか。それとも『相距不遠』の相の文字を読み落としたのか。漢文を読むならば、この解釈には無理がある。それに、朝鮮半島から鬱陵島は望見できるけれど、2島は見えないでしょう。

 江戸時代、竹島は日本の領土だったのだろうか、それとも朝鮮の領土だったのだろうか。どちらの主張にも一理あり欠点もある。強いて言えば、竹島は朝鮮に近いので、朝鮮領論の方が説得力が多少は大きいかも知れないが、領有の根拠とするには遠い。
 『領土』の概念は時代とともに変遷しており、日本では、幕末のペリー・プチャーチン等との交渉によって、はじめて西欧的領土概念になったのであるから、江戸時代に現在の領土概念を当てはめて、どちらの領土であったかを議論すること自体に無理があるだろう。

 日露戦争のさなかの1905年に大日本帝国は竹島を領有する。この当時、朝鮮半島は大日本帝国軍の支配下にあり、韓国の政権は大日本帝国に従属していた。従属性は、年とともに強化され、1910年にはついに大日本帝国に併合された。このため、この時代、竹島が日韓どちらの領土であったかは、その問いかけさえ無意味である。韓国は地球上に存在しなかったのだから。

 竹島を大日本帝国が領有したのは、日露戦争の過程の出来事であり、朝鮮植民地化の一環だった。それなのに、日本政府外務省はその点に言及することなく、竹島領有を日露戦争や朝鮮植民地化と切り離そうとしている。
 このような主張が、韓国を説得できるものでないことは明らかである。都合の悪い歴史の事実に目をつぶって、自分に都合の良いことだけを主張することは、偽りの態度である。

竹島問題-竹島は日韓どちらの領土か2005年05月30日

 1945年、日本の敗戦により朝鮮半島は日本軍から解放される。その結果、韓国は独立を果たした。日本が承認して独立させたのではなく、日本軍が崩壊したから、朝鮮人の意思で独立したのだった。敗戦後しばらくのあいだ、日本・韓国ともに米軍の軍政下にあったが、このとき、日本の行政範囲から竹島は省かれており、日本のあらゆる行政権限は隠岐どまりで、竹島には及ばなかった。このような状態の中で、韓国は建国したのであるから、韓国としてみたら、竹島は当然に独立した韓国の中に含まれていると考えるだろう。
 日本はサンフランシスコ条約で講和が成立し、独立を回復する。同条約で、日本は鬱稜島などを含む朝鮮の独立を承認したが、その中に竹島は明示的に含まれていない。このため、日本は竹島が韓国に含まれることを承認していないので、竹島は日本領に止まっているとの解釈が生まれる。
 韓国は日本の承認があって独立を果たしたのではなく、日本軍の支配がなくなったので韓国人の意思で独立したのである。その後、日本がそれを承認したに過ぎない。承認を取り消したところで、韓国が独立国家であることに変わりはない。
 
 さて、現在、竹島は日韓どちらの領土なのだろうか。韓国の論理では日本の行政範囲外にあった竹島ともども独立したのだから、韓国の領土となる。日本は、独立を承認した範囲外なので、日本領と言うことになる。
 結局、韓国が実効支配を続けているならば、韓国領で、そうでないなら、日本領だろう。現実には、韓国の軍事占領下にある。実効支配であると言えなくもないし、実効支配でないと言えなくもない。

* * * * * *

2005/05 >>
01 02 03 04 05 06 07
08 09 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

RSS