最悪の内閣人事 ― 2005年11月01日
日本はかつて植民地化した朝鮮で、住民に名前を強制的に変更させました。2003年6月、麻生太郎政調会長(当時)は、「朝鮮半島が植民地だった時代に日本が行った朝鮮人創氏改名は、最初は当時の朝鮮人が望んだことだ…歴史認識は一緒になるわけがない」と発言し、韓国から強い批判を浴びました。
1983年、北海道ウタリ協会は、政府に対し、全千島・北海道においてアイヌが先住者たることを明確にすべきことを求める決議を行いました。昨日、北海道ウタリ協会は、麻生太郎氏の、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言したことについて、抗議文を麻生氏と小泉首相あてに送ったとのことです。
朝鮮人強制徴用(労働奴隷)で儲けた炭鉱主の息子、復活A級戦犯の孫、麻生外務大臣、安部官房長官、小泉改造内閣は最悪の人事です。
1983年、北海道ウタリ協会は、政府に対し、全千島・北海道においてアイヌが先住者たることを明確にすべきことを求める決議を行いました。昨日、北海道ウタリ協会は、麻生太郎氏の、「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と発言したことについて、抗議文を麻生氏と小泉首相あてに送ったとのことです。
朝鮮人強制徴用(労働奴隷)で儲けた炭鉱主の息子、復活A級戦犯の孫、麻生外務大臣、安部官房長官、小泉改造内閣は最悪の人事です。
(北方領土問題)木村汎著「日露国境交渉史」(中公新書1993.9)について(3) ― 2005年11月06日
2005年08月03日の記事の補足です。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2005/08/02/39396
北方領土問題で、「日本は千島の領有を放棄したが北方領土は千島ではない」との主張があり、その根拠に、サンクト・ペテルブルグ条約の条文解釈が行われることがありました。現在では、条約の翻訳が稚拙だったために生じた誤解であることが明らかにされており、あまり省みられなくなった根拠です。しかし、この根拠には未練がある人が多いようです。
北方領土問題の第一人者として知られる、元北大スラブ研所長、木村汎氏の著書、「日露国境交渉史」(中公新書1993.9)には、次の記述があります(P66)。
サンクト・ペテルブルグ条約のタイトル自体「樺太千島交換条約」と略称されて、日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか。すなわち、これは、文字通り樺太における日本の権益を放棄することの交換において日本が新しく獲得した地域が千島であることを示している。
8月3日にも書いたのですが、木村汎氏の説は、まったく成り立たないおかしな主張です。サンクト・ペテルブルグ条約はフランス語のみが正文で、日本語文は訳文に過ぎません。ロシアの関知しないところで作成された日本語訳に、ロシアが不思議に思うはずもありません。
和田春樹著「北方領土問題」(朝日選書)によると、『条約は1875年5月7日に調印された。条約正文はフランス語である。条約にはタイトルは付いていない。つまり「千島樺太交換条約」というのは俗称だということである。』
木村汎氏は『日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか』と書いていますが、要するに存在しなかったのだから、不思議と思われるはずもなかったのです。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2005/08/02/39396
北方領土問題で、「日本は千島の領有を放棄したが北方領土は千島ではない」との主張があり、その根拠に、サンクト・ペテルブルグ条約の条文解釈が行われることがありました。現在では、条約の翻訳が稚拙だったために生じた誤解であることが明らかにされており、あまり省みられなくなった根拠です。しかし、この根拠には未練がある人が多いようです。
北方領土問題の第一人者として知られる、元北大スラブ研所長、木村汎氏の著書、「日露国境交渉史」(中公新書1993.9)には、次の記述があります(P66)。
サンクト・ペテルブルグ条約のタイトル自体「樺太千島交換条約」と略称されて、日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか。すなわち、これは、文字通り樺太における日本の権益を放棄することの交換において日本が新しく獲得した地域が千島であることを示している。
8月3日にも書いたのですが、木村汎氏の説は、まったく成り立たないおかしな主張です。サンクト・ペテルブルグ条約はフランス語のみが正文で、日本語文は訳文に過ぎません。ロシアの関知しないところで作成された日本語訳に、ロシアが不思議に思うはずもありません。
和田春樹著「北方領土問題」(朝日選書)によると、『条約は1875年5月7日に調印された。条約正文はフランス語である。条約にはタイトルは付いていない。つまり「千島樺太交換条約」というのは俗称だということである。』
木村汎氏は『日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか』と書いていますが、要するに存在しなかったのだから、不思議と思われるはずもなかったのです。
革命記念日 ― 2005年11月07日

今日、11月7日はロシア革命記念日です。
写真は、翌年発行されたソ連最初の切手。鎖を断ち切る図案です。
写真は、翌年発行されたソ連最初の切手。鎖を断ち切る図案です。
石原産業の犯罪行為は仏罰だ! ― 2005年11月08日
石原産業四日市工場は廃棄物処理法に違反したとして三重県から刑事告発された。
硫酸の廃液など、有害産業廃棄物をリサイクル製品として販売したように見せかけていたが、実際には不法投棄させていたらしい。石原産業の産廃からは、毒性の強い六価クロムが検出されている。
石原産業四日市工場は1960年代に硫酸廃液を伊勢湾に垂れ流していたことで摘発されたことがある。公害問題の原点とも言うべき事件だった。この話は、岩波新書「四日市死の海と戦う(田尻宗昭著)」に詳しい。
石原産業四日市工場は、戦争中、全国から集められたお寺の梵鐘を鋳潰して,兵器の原料を作っていたことがある。国策とは言え、金儲けのためには、仏をも恐れぬ行為で、仏教上の大罪である。
http://www.pref.mie.jp/bunka/TANBO/hakken/page7.htm
1940年代:お寺の梵鐘を鋳潰す
1960年代:硫酸廃液を四日市港に垂れ流す(公害犯罪の原点)
2000年代:産廃をリサイクル商品と偽って不法投棄
次は、どんな犯罪を犯すのだろう。業(ごう)は深い。
----------------
ある程度の年齢以上の人は、『六価クロム』と聞くと、日本化学工業の六価クロム公害・災害問題を思い出す人も多いだろう。1970年代に問題になった公害事件である。
日本化学工業が六価クロムを含むクロム鉱滓を江戸川区内の地域に埋め立て、そこから、有害な六価クロムが付近に漏れ出した事件だった。さらに、劣悪な職場環境の中で、工場労働者に労働災害が起こっていたことが判明した。
学生の頃、経済学の講義で、右翼系の経済学者(矢島教授)の講義を受けていたら、こんな話をしていた。
『朝日新聞は、六価クロム公害を批判しているけれど、クロムが無かったら新聞は印刷できない。社会の進歩のためには、ある程度の公害は仕方ないのだ。』
このとき、右翼系学者の朝日新聞批判は、眉唾、インチキ、無知、であって、全く信用するに値しないと確信したものである。当時、公害問題になっていたのは「六価クロム」であって、「三価クロム」ではなかった。大学は理系だったので、クロムイオンにはいくつかの価数があり、それによって性質がちがうことを知らない学生はいなかった。講義室の中で、ただ一人、右翼系経済学教授だけが、分っていなかったようである。当時、労働衛生の講義で、六価クロムを三価の酸化クロムに変えるための装置は、300万円ほどだと習っていた。300万円の負担が、日本経済に停滞をもたらすことはありえないことだ。
経済学者や政治学者、評論家の中には、高校生なら誰でも習うような化学知識もなしに、化学工業や産業の問題を解説していることがあるので、無批判に信じ込むととんでもないことになる。十分に用心が必要である。
硫酸の廃液など、有害産業廃棄物をリサイクル製品として販売したように見せかけていたが、実際には不法投棄させていたらしい。石原産業の産廃からは、毒性の強い六価クロムが検出されている。
石原産業四日市工場は1960年代に硫酸廃液を伊勢湾に垂れ流していたことで摘発されたことがある。公害問題の原点とも言うべき事件だった。この話は、岩波新書「四日市死の海と戦う(田尻宗昭著)」に詳しい。
石原産業四日市工場は、戦争中、全国から集められたお寺の梵鐘を鋳潰して,兵器の原料を作っていたことがある。国策とは言え、金儲けのためには、仏をも恐れぬ行為で、仏教上の大罪である。
http://www.pref.mie.jp/bunka/TANBO/hakken/page7.htm
1940年代:お寺の梵鐘を鋳潰す
1960年代:硫酸廃液を四日市港に垂れ流す(公害犯罪の原点)
2000年代:産廃をリサイクル商品と偽って不法投棄
次は、どんな犯罪を犯すのだろう。業(ごう)は深い。
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ある程度の年齢以上の人は、『六価クロム』と聞くと、日本化学工業の六価クロム公害・災害問題を思い出す人も多いだろう。1970年代に問題になった公害事件である。
日本化学工業が六価クロムを含むクロム鉱滓を江戸川区内の地域に埋め立て、そこから、有害な六価クロムが付近に漏れ出した事件だった。さらに、劣悪な職場環境の中で、工場労働者に労働災害が起こっていたことが判明した。
学生の頃、経済学の講義で、右翼系の経済学者(矢島教授)の講義を受けていたら、こんな話をしていた。
『朝日新聞は、六価クロム公害を批判しているけれど、クロムが無かったら新聞は印刷できない。社会の進歩のためには、ある程度の公害は仕方ないのだ。』
このとき、右翼系学者の朝日新聞批判は、眉唾、インチキ、無知、であって、全く信用するに値しないと確信したものである。当時、公害問題になっていたのは「六価クロム」であって、「三価クロム」ではなかった。大学は理系だったので、クロムイオンにはいくつかの価数があり、それによって性質がちがうことを知らない学生はいなかった。講義室の中で、ただ一人、右翼系経済学教授だけが、分っていなかったようである。当時、労働衛生の講義で、六価クロムを三価の酸化クロムに変えるための装置は、300万円ほどだと習っていた。300万円の負担が、日本経済に停滞をもたらすことはありえないことだ。
経済学者や政治学者、評論家の中には、高校生なら誰でも習うような化学知識もなしに、化学工業や産業の問題を解説していることがあるので、無批判に信じ込むととんでもないことになる。十分に用心が必要である。
アンゴラ ― 2005年11月11日

1975年11月11日、アンゴラはMPLA主導の下、独立を果たしました。11月11日はアンゴラ独立記念日。今日は独立30周年記念の日。
画像はアンゴラ独立10周年を記念して、ソ連で発行された切手。
アンゴラはサッカー・ワールドカップに初出場します。長かった植民地支配、米国・中国・旧南アの介入による困難な内戦時代を思うと、ワールドカップ初出場にまでこぎつけた、アンゴラの発展が嘘のように思えます。
1970年代のアンゴラは、米・中の支援するFNLAとソ連の支援するMPLAの内乱でした。FNLAとの闘争では、幅広い国民の支持を受けていたMPLAが勝利しましたが、今度は、アパルトヘイト時代の南アと米国の支援を受けたUNITAとの内乱になります。しかし、アパルトヘイトの敗北とともに、UNITAの勢力も激減、UNITA指導者の死亡をきっかけに、アンゴラ内戦に終止符が打たれました。(参考図書:アンゴラ解放戦争、芝生瑞和、岩波新書、1976年)
東京裁判 ― 2005年11月12日
11月12日にちなんで、東京裁判(極東国際軍事裁判)の刑の宣告について書きます。
1948年11月12日、東京裁判で25人の被告全員に対して刑の宣告が言い渡されました。
11月4日から始まった判決の言い渡しも、12日に最終日を迎えました。この日、前日に読み残した「第八章 通例の戦争犯罪」から読み始め、さらに「第九章 起訴状の訴因についての認定」が読み終わると、いよいよ、荒木被告からアルファベット順に、被告25人に対して、訴因ごとの有罪・無罪の判定が読み下されました。何人かには無罪の判定が下る事を期待するものもあった中、全員が有罪の判定でした。その後15分の休息ののち、一人一人を呼び出して刑の宣告が言い渡されました。絞首刑7名、終身刑16名、有期刑2名と、重い刑でした。
しかし、甚大な侵略被害を考えると、あまりにも軽い処罰でした。25名のために、アジアは史上最悪の侵略被害にさらされてしまったのでしょうか。
東京裁判では天皇裕仁が刑事被告人になる事はありませんでした。米国は日本支配のため、裕仁には利用価値があると考えたからに、ほかなりません。しかし、裕仁ナシに、侵略を推し進める事が出来たわけではありませんでした。裕仁の犯罪を裁く事なく終わってしまったことは、重大な不備でした。
1948年11月12日、東京裁判で25人の被告全員に対して刑の宣告が言い渡されました。
11月4日から始まった判決の言い渡しも、12日に最終日を迎えました。この日、前日に読み残した「第八章 通例の戦争犯罪」から読み始め、さらに「第九章 起訴状の訴因についての認定」が読み終わると、いよいよ、荒木被告からアルファベット順に、被告25人に対して、訴因ごとの有罪・無罪の判定が読み下されました。何人かには無罪の判定が下る事を期待するものもあった中、全員が有罪の判定でした。その後15分の休息ののち、一人一人を呼び出して刑の宣告が言い渡されました。絞首刑7名、終身刑16名、有期刑2名と、重い刑でした。
しかし、甚大な侵略被害を考えると、あまりにも軽い処罰でした。25名のために、アジアは史上最悪の侵略被害にさらされてしまったのでしょうか。
東京裁判では天皇裕仁が刑事被告人になる事はありませんでした。米国は日本支配のため、裕仁には利用価値があると考えたからに、ほかなりません。しかし、裕仁ナシに、侵略を推し進める事が出来たわけではありませんでした。裕仁の犯罪を裁く事なく終わってしまったことは、重大な不備でした。
北方領土問題 ― 2005年11月14日
北方領土問題の解説ページを掲載しています。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm
このページを掲載してから2年以上になります。この間、多くの閲覧をいただきありがとうございます。
このページは、北方領土問題について正しい認識をもってもらうことを目的として作成しました。北方領土問題では四島返還論の主張が圧倒的に宣伝されており、このため、あまり関心の無い多くの人は、北方領土が本来日本の領土であると思っているようです。しかし、過去の歴史をたどると、簡単にそのようにいえるものではなく、実際、日本政府も、昭和31年以前は四島返還を主張していたわけでは有りませんでした。
掲載以来、2年以上経過しているので、「詳しい北方領土問題の話」 を今後、徐々に、大幅に改訂しようと思っています。また、「北方領土問題の概要」 は外務省のページを意識して作りましたが、ちょっと冗長な部分があるので、一部の文章を整理しようと思っています。
「やさしい北方領土のはなし」のページは当面改変する予定は有りません。
戦後、日本の教科書地図や社会科教科書では、北方領土はどのように扱われていたのか、その歴史的変遷を明らかにしたいのですが、まだ調べていません。過去の教科書は一般の図書館にはなかなか置いてなく、教科書会社の付属資料室で調べる必要があります。土・日曜日は閉まっていることが多いので、調査ができていません。そのうち調べてみます。
もし、どなたさまか、御存知のかた、いらっしゃいましたら、ご教示ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm
このページを掲載してから2年以上になります。この間、多くの閲覧をいただきありがとうございます。
このページは、北方領土問題について正しい認識をもってもらうことを目的として作成しました。北方領土問題では四島返還論の主張が圧倒的に宣伝されており、このため、あまり関心の無い多くの人は、北方領土が本来日本の領土であると思っているようです。しかし、過去の歴史をたどると、簡単にそのようにいえるものではなく、実際、日本政府も、昭和31年以前は四島返還を主張していたわけでは有りませんでした。
掲載以来、2年以上経過しているので、「詳しい北方領土問題の話」 を今後、徐々に、大幅に改訂しようと思っています。また、「北方領土問題の概要」 は外務省のページを意識して作りましたが、ちょっと冗長な部分があるので、一部の文章を整理しようと思っています。
「やさしい北方領土のはなし」のページは当面改変する予定は有りません。
戦後、日本の教科書地図や社会科教科書では、北方領土はどのように扱われていたのか、その歴史的変遷を明らかにしたいのですが、まだ調べていません。過去の教科書は一般の図書館にはなかなか置いてなく、教科書会社の付属資料室で調べる必要があります。土・日曜日は閉まっていることが多いので、調査ができていません。そのうち調べてみます。
もし、どなたさまか、御存知のかた、いらっしゃいましたら、ご教示ください。
プーチン来日 ― 2005年11月20日
プーチン=小泉、首脳会談のため、本日、プーチン大統領が来日しました。小泉首相としては、北方領土問題で何らかの得点を稼ぎたいところでしょうけれど、今回は難しいとの見方が、もっぱらです。
現在、日本は、靖国問題・教科書問題などで、中国・韓国と対立状態にあります。このような日本外交の行き詰まり状態に対して、ロシアからは足元を見られてるようです。報道によると、『ロシア外務省のカムイニン情報局長は「日本の歴史教科書では、韓国の占領や第2次大戦前後の中国における軍国主義者による残虐行為は犯罪ではないとされている」と指摘。さらに「中国や韓国など日本の近隣諸国は、日本指導部による公式謝罪が未来志向の関係発展のための前提条件とみなしている」と述べた』、そうです。
http://www.usfl.com/Daily/News/05/11/1118_014.asp?id=45848
北方領土問題では、日本政府は、1993年の東京宣言を、日本に都合の良いように解釈し、その結果、膠着状態に陥っています。鈴木宗男衆議院議員が、このあたりの事情を、分かりやすく説明しています。
『過去三年間、外務省は「東京宣言至上主義」という陥穽に自ら落ちていった。その結果、北方領土交渉は膠着状態になった。「東京宣言」(一九九三年)で日露両国は北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結することを約束した。過去三年間、小泉総理、川口順子前外相は「東京宣言に基づき四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」との言明を繰り返した。
しかし、「四島の帰属問題の解決」と「四島の日本への帰属の確認」は本質的に異なる。「四島の帰属問題の解決」ということならば論理的には五つの場合(日4露0、日3露1、日2露2、日1露3、日0露4)がある。もちろん四島の日本への帰属を確認して平和条約を締結するというのが私の一貫した立場だが、「東京宣言」を何百回確認しても四島が日本に返還されることにはならない。今回、プーチン大統領が出したシグナルは、「露4、日0という形で帰属問題を解決すれば、無償で色丹島と歯舞群島と貸与する」という案で、日本としては受け入れることができない。しかし、このような提案も「東京宣言」に違反しているとはいえない。外務省が「東京宣言至上主義」に陥っていることを逆手に取り、ロシアはこのような逆提案をつくったのだ。(朝日ヘラルド・トリビューン 2005.10.10)』
現在、日本は、靖国問題・教科書問題などで、中国・韓国と対立状態にあります。このような日本外交の行き詰まり状態に対して、ロシアからは足元を見られてるようです。報道によると、『ロシア外務省のカムイニン情報局長は「日本の歴史教科書では、韓国の占領や第2次大戦前後の中国における軍国主義者による残虐行為は犯罪ではないとされている」と指摘。さらに「中国や韓国など日本の近隣諸国は、日本指導部による公式謝罪が未来志向の関係発展のための前提条件とみなしている」と述べた』、そうです。
http://www.usfl.com/Daily/News/05/11/1118_014.asp?id=45848
北方領土問題では、日本政府は、1993年の東京宣言を、日本に都合の良いように解釈し、その結果、膠着状態に陥っています。鈴木宗男衆議院議員が、このあたりの事情を、分かりやすく説明しています。
『過去三年間、外務省は「東京宣言至上主義」という陥穽に自ら落ちていった。その結果、北方領土交渉は膠着状態になった。「東京宣言」(一九九三年)で日露両国は北方四島の帰属問題を解決して平和条約を締結することを約束した。過去三年間、小泉総理、川口順子前外相は「東京宣言に基づき四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」との言明を繰り返した。
しかし、「四島の帰属問題の解決」と「四島の日本への帰属の確認」は本質的に異なる。「四島の帰属問題の解決」ということならば論理的には五つの場合(日4露0、日3露1、日2露2、日1露3、日0露4)がある。もちろん四島の日本への帰属を確認して平和条約を締結するというのが私の一貫した立場だが、「東京宣言」を何百回確認しても四島が日本に返還されることにはならない。今回、プーチン大統領が出したシグナルは、「露4、日0という形で帰属問題を解決すれば、無償で色丹島と歯舞群島と貸与する」という案で、日本としては受け入れることができない。しかし、このような提案も「東京宣言」に違反しているとはいえない。外務省が「東京宣言至上主義」に陥っていることを逆手に取り、ロシアはこのような逆提案をつくったのだ。(朝日ヘラルド・トリビューン 2005.10.10)』
プーチン=小泉会談は日本外交の行き詰まりを象徴している ― 2005年11月22日
11月21日、プーチン=小泉会談が行われました。この会談では、北方領土問題で、具体的な進展は無く、共同声明も見送られました。さらに、日本側が求めていた、東シベリア産原油を東アジアへ運ぶパイプライン計画の「太平洋ルート」の優先着工も合意できませんでした。
一方で、プーチンに同行したロシア経済人100人は、日本で活発に行動し、さらに、プーチン自身、経団連会長と会談するなど、ロシア側は着実な経済外交の成果を上げた模様です。
日本は、これまで長い間「政経不可分(政治と経済は分離しない)」を主張していました。しかし、本来、経済は双務的で、お互いに利益が無ければ成立しないもので、お互いの利益が大きければ規制は難しいものです。これまで、日ロ間での経済関係が少なかったのは、経済交流のメリットが大きくなかったためです。旧ソ連時代、東西の経済関係は希薄でした。ソ連崩壊にともなうソ連・ロシアの混乱期は、日本側のメリットがあまりありませんでした。現在、原油高で、ロシア経済は潤っています。このため、日本としては商品販売の市場として、また、原材料・原油の供給基地として、さらに、工場生産拠点として、ロシアとの経済交流が欠かせなくなっています。日本だけ、政治の都合で、ロシアとの経済関係を停滞させるわけにはゆきません。
外交は二国間だけで済むものでは有りません。日ロ関係は、日中・日韓関係とも関連しています。もちろん、日米関係とも関係しています。現在、日本外交は、靖国参拝問題などで、中・韓から痛烈な批判を浴び、膠着状態に陥っています。
18日のニュースによると、ロシア外務省のカムイニン情報局長は「日本の歴史教科書では、韓国の占領や第2次大戦前後の中国における軍国主義者による残虐行為は犯罪ではないとされている」と指摘。さらに「中国や韓国など日本の近隣諸国は、日本指導部による公式謝罪が未来志向の関係発展のための前提条件とみなしている」と述べた、そうです。完全に足元を見られた発言です。
日中・日韓外交の停滞が、日ロ外交でも日本側に不利に影響しています。
一方で、プーチンに同行したロシア経済人100人は、日本で活発に行動し、さらに、プーチン自身、経団連会長と会談するなど、ロシア側は着実な経済外交の成果を上げた模様です。
日本は、これまで長い間「政経不可分(政治と経済は分離しない)」を主張していました。しかし、本来、経済は双務的で、お互いに利益が無ければ成立しないもので、お互いの利益が大きければ規制は難しいものです。これまで、日ロ間での経済関係が少なかったのは、経済交流のメリットが大きくなかったためです。旧ソ連時代、東西の経済関係は希薄でした。ソ連崩壊にともなうソ連・ロシアの混乱期は、日本側のメリットがあまりありませんでした。現在、原油高で、ロシア経済は潤っています。このため、日本としては商品販売の市場として、また、原材料・原油の供給基地として、さらに、工場生産拠点として、ロシアとの経済交流が欠かせなくなっています。日本だけ、政治の都合で、ロシアとの経済関係を停滞させるわけにはゆきません。
外交は二国間だけで済むものでは有りません。日ロ関係は、日中・日韓関係とも関連しています。もちろん、日米関係とも関係しています。現在、日本外交は、靖国参拝問題などで、中・韓から痛烈な批判を浴び、膠着状態に陥っています。
18日のニュースによると、ロシア外務省のカムイニン情報局長は「日本の歴史教科書では、韓国の占領や第2次大戦前後の中国における軍国主義者による残虐行為は犯罪ではないとされている」と指摘。さらに「中国や韓国など日本の近隣諸国は、日本指導部による公式謝罪が未来志向の関係発展のための前提条件とみなしている」と述べた、そうです。完全に足元を見られた発言です。
日中・日韓外交の停滞が、日ロ外交でも日本側に不利に影響しています。
北方領土問題-週刊新潮の記事について ― 2005年11月25日
現在発売中の、週刊新潮の記事に『プーチンも驚愕!? 露紙「プラウダ」が認めた「北方4島」は日本の領土』とあったので、どういうことか不思議に思いました。週刊新潮が問題としているのは、以下のことでした。
http://english.pravda.ru/main/18/90/363/16453_japan.html
この中に、次のようにあります。
Russians are taught that the Kurile Islands are the original Russian territory. This is correct to a certain extent only. The Central and Northern Kurile Islands used to be a part of the Russian Empire until 1871 when they were handed over to Japan. There are also Southern Kurile Islands (Shikotan, Kunashir, Iturup and Habomai) that were a part of Japan only till 1947. And these four territories are the stumbling block in the relations between Russia and Japan. On the Iturup Island a naval base was located in 1941 from where Admiral Nagumo started his squadron to bomb Pearl Harbor.
まあ、北方領土の歴史を正しく理解しなさいと言うことでしょう。
北方領土に関して、日本もロシアもあまり正確な知識が無いようです。週刊新潮の記事も、日本に都合良いように誤っています。たとえば、一例をあげると、週刊新潮には次のように書いてあります。
『ロシアが不法占領している北方領土問題で、戦後、初めて両国が合意したのは1956年の日ソ共同宣言である。この時「平和条約を結んだあと、歯舞・色丹両島を返還する」という文書が交わされた。』
まず、『歯舞・色丹両島を返還する』はウソで、『歯舞・色丹両島を引き渡す(ペレダーチ)』です。この文言は重要です。
第2に、『ロシアが不法占領している』について。昭和31年参議院外務委員会において、下田武三政府委員(条約局長)は『ソ連の引き続き占拠することが不法なりとは、これまた言えない筋合いであると思います』と説明しているので、『ロシアが不法占領している』と説明無しで書くのは誤りです。
また、『戦後、初めて両国が合意した』もずさんな記述です。1945年9月2日降伏文書に引き続き出された、一般命令第一号で、『千島の日本軍はソ連に降伏すべし』となっています。これが、戦後最初に日本・ソ連共に了解した文書です。(一般命令第一号は、トルーマン・スターリンが合意した文書を、GHQが日本に命令したのだから、日ソ間で直接合意したわけではないので、週刊新潮の記述は、誤りでは無いけれど、日本に都合良いような記述になっています。)
プラウダの記事には次のように書いてあります。
『択捉島には1941年海軍基地が設けられた。南雲提督の機動部隊が真珠湾の爆撃に出撃したのはここからである。』
この部分、週刊新潮の解説では、『真珠湾攻撃の立役者・南雲中将を引き合いに出すあたりも、妙に日本よりの書き方なのである』とあります。とんでもない誤りです。
日本ではカイロ宣言を持ち出して、北方領土の返還を主張します。日本側主張に反論するために、択捉島問題で真珠湾攻撃に言及することが、ソ連時代から行われてきました。
択捉島と真珠湾攻撃の関係は、カイロ宣言の冒頭部分と密接な関係が有ります。
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ 右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ 又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ
日本では、この文章の前段を無視して、『領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ(領土拡張の考えは無い)』を、『領土を拡張しない』と『念』の文字を読み落とす事が行われています。
プラウダの記事は、これまで、ソ連によって行われた解釈そのままです。『侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ(日本の侵略を制止し、日本を罰するために戦争を行っている)』となっているので、侵略の前進基地だった択捉島を日本の領土から省くことは、カイロ宣言と矛盾しない、との解釈です。
週刊新潮の記事は、北方領土問題に関して知識の乏しい人が、日本に都合よくプラウダの記事を解釈したものでしょう。
プラウダの記事には、「北方領土問題に関して知識の乏しい人が、ロシアに都合よく解釈してもしかたないよ」、との意図が感じられます。
北方領土問題の解決には、日ロ共に正しい理解が必要です。
http://english.pravda.ru/main/18/90/363/16453_japan.html
この中に、次のようにあります。
Russians are taught that the Kurile Islands are the original Russian territory. This is correct to a certain extent only. The Central and Northern Kurile Islands used to be a part of the Russian Empire until 1871 when they were handed over to Japan. There are also Southern Kurile Islands (Shikotan, Kunashir, Iturup and Habomai) that were a part of Japan only till 1947. And these four territories are the stumbling block in the relations between Russia and Japan. On the Iturup Island a naval base was located in 1941 from where Admiral Nagumo started his squadron to bomb Pearl Harbor.
まあ、北方領土の歴史を正しく理解しなさいと言うことでしょう。
北方領土に関して、日本もロシアもあまり正確な知識が無いようです。週刊新潮の記事も、日本に都合良いように誤っています。たとえば、一例をあげると、週刊新潮には次のように書いてあります。
『ロシアが不法占領している北方領土問題で、戦後、初めて両国が合意したのは1956年の日ソ共同宣言である。この時「平和条約を結んだあと、歯舞・色丹両島を返還する」という文書が交わされた。』
まず、『歯舞・色丹両島を返還する』はウソで、『歯舞・色丹両島を引き渡す(ペレダーチ)』です。この文言は重要です。
第2に、『ロシアが不法占領している』について。昭和31年参議院外務委員会において、下田武三政府委員(条約局長)は『ソ連の引き続き占拠することが不法なりとは、これまた言えない筋合いであると思います』と説明しているので、『ロシアが不法占領している』と説明無しで書くのは誤りです。
また、『戦後、初めて両国が合意した』もずさんな記述です。1945年9月2日降伏文書に引き続き出された、一般命令第一号で、『千島の日本軍はソ連に降伏すべし』となっています。これが、戦後最初に日本・ソ連共に了解した文書です。(一般命令第一号は、トルーマン・スターリンが合意した文書を、GHQが日本に命令したのだから、日ソ間で直接合意したわけではないので、週刊新潮の記述は、誤りでは無いけれど、日本に都合良いような記述になっています。)
プラウダの記事には次のように書いてあります。
『択捉島には1941年海軍基地が設けられた。南雲提督の機動部隊が真珠湾の爆撃に出撃したのはここからである。』
この部分、週刊新潮の解説では、『真珠湾攻撃の立役者・南雲中将を引き合いに出すあたりも、妙に日本よりの書き方なのである』とあります。とんでもない誤りです。
日本ではカイロ宣言を持ち出して、北方領土の返還を主張します。日本側主張に反論するために、択捉島問題で真珠湾攻撃に言及することが、ソ連時代から行われてきました。
択捉島と真珠湾攻撃の関係は、カイロ宣言の冒頭部分と密接な関係が有ります。
三大同盟国ハ日本国ノ侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ 右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ 又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ
日本では、この文章の前段を無視して、『領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ(領土拡張の考えは無い)』を、『領土を拡張しない』と『念』の文字を読み落とす事が行われています。
プラウダの記事は、これまで、ソ連によって行われた解釈そのままです。『侵略ヲ制止シ且之ヲ罰スル為今次ノ戦争ヲ為シツツアルモノナリ(日本の侵略を制止し、日本を罰するために戦争を行っている)』となっているので、侵略の前進基地だった択捉島を日本の領土から省くことは、カイロ宣言と矛盾しない、との解釈です。
週刊新潮の記事は、北方領土問題に関して知識の乏しい人が、日本に都合よくプラウダの記事を解釈したものでしょう。
プラウダの記事には、「北方領土問題に関して知識の乏しい人が、ロシアに都合よく解釈してもしかたないよ」、との意図が感じられます。
北方領土問題の解決には、日ロ共に正しい理解が必要です。