(北方領土問題)木村汎著「日露国境交渉史」(中公新書1993.9)について(3) ― 2005年11月06日
2005年08月03日の記事の補足です。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2005/08/02/39396
北方領土問題で、「日本は千島の領有を放棄したが北方領土は千島ではない」との主張があり、その根拠に、サンクト・ペテルブルグ条約の条文解釈が行われることがありました。現在では、条約の翻訳が稚拙だったために生じた誤解であることが明らかにされており、あまり省みられなくなった根拠です。しかし、この根拠には未練がある人が多いようです。
北方領土問題の第一人者として知られる、元北大スラブ研所長、木村汎氏の著書、「日露国境交渉史」(中公新書1993.9)には、次の記述があります(P66)。
サンクト・ペテルブルグ条約のタイトル自体「樺太千島交換条約」と略称されて、日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか。すなわち、これは、文字通り樺太における日本の権益を放棄することの交換において日本が新しく獲得した地域が千島であることを示している。
8月3日にも書いたのですが、木村汎氏の説は、まったく成り立たないおかしな主張です。サンクト・ペテルブルグ条約はフランス語のみが正文で、日本語文は訳文に過ぎません。ロシアの関知しないところで作成された日本語訳に、ロシアが不思議に思うはずもありません。
和田春樹著「北方領土問題」(朝日選書)によると、『条約は1875年5月7日に調印された。条約正文はフランス語である。条約にはタイトルは付いていない。つまり「千島樺太交換条約」というのは俗称だということである。』
木村汎氏は『日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか』と書いていますが、要するに存在しなかったのだから、不思議と思われるはずもなかったのです。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2005/08/02/39396
北方領土問題で、「日本は千島の領有を放棄したが北方領土は千島ではない」との主張があり、その根拠に、サンクト・ペテルブルグ条約の条文解釈が行われることがありました。現在では、条約の翻訳が稚拙だったために生じた誤解であることが明らかにされており、あまり省みられなくなった根拠です。しかし、この根拠には未練がある人が多いようです。
北方領土問題の第一人者として知られる、元北大スラブ研所長、木村汎氏の著書、「日露国境交渉史」(中公新書1993.9)には、次の記述があります(P66)。
サンクト・ペテルブルグ条約のタイトル自体「樺太千島交換条約」と略称されて、日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか。すなわち、これは、文字通り樺太における日本の権益を放棄することの交換において日本が新しく獲得した地域が千島であることを示している。
8月3日にも書いたのですが、木村汎氏の説は、まったく成り立たないおかしな主張です。サンクト・ペテルブルグ条約はフランス語のみが正文で、日本語文は訳文に過ぎません。ロシアの関知しないところで作成された日本語訳に、ロシアが不思議に思うはずもありません。
和田春樹著「北方領土問題」(朝日選書)によると、『条約は1875年5月7日に調印された。条約正文はフランス語である。条約にはタイトルは付いていない。つまり「千島樺太交換条約」というのは俗称だということである。』
木村汎氏は『日露双方によって不思議と思われなかった事実は、どう説明したらよいのか』と書いていますが、要するに存在しなかったのだから、不思議と思われるはずもなかったのです。
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