北方領土問題-色丹島は千島です ― 2006年03月21日

サンフランシスコ条約で、日本は、千島列島を放棄しました。このため、千島列島は日本の領土ではありません。そういうわけで、北方領土は千島列島に含まれないと、北方領土返還論者は主張します。国後島、択捉島が千島列島で無いと主張する根拠は、人によって違いがあります。
色丹島、歯舞群島は、北海道の一部である為、千島ではないと説明されます。
たとえば、根室市が発行している「日本の領土 北方領土」には、次のように説明されています。
何を根拠に、このようなことを言うのか、良く分かりません。
写真は、色丹郵便局で大正14年に使用された切手です。消印を良く見てください。『千島・色丹』となっています。どうみても、色丹島は千島に分類されています。
歯舞群島は千島ではありませんでした。たとえば、志発島の志発郵便局の消印は『根室・志発』です。このように、歯舞群島は根室に、色丹島・国後島・択捉島は千島に分類されていました。
色丹島、歯舞群島は、北海道の一部である為、千島ではないと説明されます。
たとえば、根室市が発行している「日本の領土 北方領土」には、次のように説明されています。
根室半島の東端ノサップ岬の目に前に横たわる歯舞群島、色丹島までもロシア側が今なお占領を続けているが、地理的にも日本に残存する北海道に一部である。
もちろん戦前から日本国内の地理上の呼称からも千島列島とは切り離されていた。
何を根拠に、このようなことを言うのか、良く分かりません。
写真は、色丹郵便局で大正14年に使用された切手です。消印を良く見てください。『千島・色丹』となっています。どうみても、色丹島は千島に分類されています。
歯舞群島は千島ではありませんでした。たとえば、志発島の志発郵便局の消印は『根室・志発』です。このように、歯舞群島は根室に、色丹島・国後島・択捉島は千島に分類されていました。
コメント
_ はじめ ― 2006年03月22日 16時59分58秒
此処の管理人さんは日本人の方ですか?
_ cccpcamera ― 2006年03月24日 15時47分47秒
管理人です。どういった御趣旨か分りませんが、私が日本人か否かをお尋ねなので、お答えいたします。
確かに、日本人です。両親も、そのまた両親も、さらに、そのまた両親も日本人です。
父方の先祖は、寺の過去帳によると、16世紀、大道寺駿河守殿の家臣でした。家伝によると、ずっと以前は甘楽PA付近に住んでいたそうです。ひょっとすると、渡来系かもしれません。家伝では、いろいろ有るのですが、時代が合わなかったり、禄高が多すぎたりと、ホラ話が多くて、詳しいことは分りません。
母の実家は僧侶で、600年以上たどれます。それ以前のことは、寺伝には、いろいろあるのですが、どこまで信用できるのか疑問です。
そういうわけで、現在日本人であること、また、両親の家系とも500~600年以上、日本人であったことは確かなのですが、それ以前となると、良く分りません。
確かに、日本人です。両親も、そのまた両親も、さらに、そのまた両親も日本人です。
父方の先祖は、寺の過去帳によると、16世紀、大道寺駿河守殿の家臣でした。家伝によると、ずっと以前は甘楽PA付近に住んでいたそうです。ひょっとすると、渡来系かもしれません。家伝では、いろいろ有るのですが、時代が合わなかったり、禄高が多すぎたりと、ホラ話が多くて、詳しいことは分りません。
母の実家は僧侶で、600年以上たどれます。それ以前のことは、寺伝には、いろいろあるのですが、どこまで信用できるのか疑問です。
そういうわけで、現在日本人であること、また、両親の家系とも500~600年以上、日本人であったことは確かなのですが、それ以前となると、良く分りません。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。