サクラソウ ― 2006年04月18日

サクラソウ ― 2006年04月18日

靖国問題の解決策 ― 2006年04月19日
かつて、松本智津夫はオウム真理教なる宗教団体を作り、凶悪犯罪を繰り返しました。しかし、一方で、かれは日本に理想郷を建国し、日本国の社会に蔓延している、いろいろな問題を解決しようとしました。本心はわからないけれど、少なくとも、そのようなことを言って、教団を拡大し、犯罪に邁進したのです。
オウムの幹部等はどのような意志であったかは知らないけれど、松本智津夫に協力し、彼と一体となって、犯罪を推し進めました。もっとも、彼等にしてみたら、犯罪は教団の命令であって、それに逆らうことはできなかったでしょう。
オウムの犯罪は裁かれ、当時幹部だったものの多くには死刑判決が下されています。多くの幹部に死刑が確定することになるでしょう。オウムの人が犯罪を推し進めたのは、教団の命令であって、それに逆らうことはできなかったであろうことは、推察できます。だからと言って、もし、オウム真理教(アーレフに改称)が、死刑になった者達を、英霊として顕彰することは到底、容認できません。そのようなことが、決して無いように、公安調査庁は、教団の監視を怠らないで欲しいものです。
かつて、日本国は国策を誤り、アジアを侵略し、中国や朝鮮を始めとするアジア地域に多大な災難と損害を与えました。しかし、一方で、アジアに大東亜共栄圏を建設し、アジアに優れた社会を建設しようとしました。本心はわからないけれど、少なくとも、そのようなことを言って、侵略に邁進したのです。
A級戦犯等はどのような意志であったかは知らないけれど、誤った国策に協力し、一体となって、侵略を推し進めました。もっとも、彼等にしてみたら、侵略は国家の命令であって、それに逆らうことはできなかったでしょう。
日本の侵略は裁かれ、A級戦犯だったもの数名には死刑判決が下されています。死刑判決を受けたA級戦犯には死刑が執行されました。侵略を推し進めたのは、日本国の命令であって、それに逆らうことはできなかったであろうことは、推察できます。だからと言って、もし、日本国が、侵略を推し進めた者達を、英霊として顕彰することは到底、容認できません。そのようなことが、決して無いように、中国や朝鮮を始めとする世界の国々は、日本国の一部勢力の策動に対する反対を怠らないで欲しいものです。
『国家の命令で死んだのだから英霊として顕彰すべき』との意見には賛成できません。国家の命令で侵略を行い、諸外国に多大な災難と損害を与え、その結果、死亡した兵士達は、日本国の誤った国策の犠牲者です。日本の侵略により死亡した、多くの中国・朝鮮の人たちと、同じ、犠牲者です。戦禍に倒れた、一般国民も同様に、犠牲者です。
靖国問題の解決のため、靖国に替わる施設を建設すべきとの意見も有ります。もし、新たな慰霊施設を作るのならば、日本国の誤った国策の犠牲者として、等しく慰霊する施設を建立すべきです。
東京裁判では、A級戦犯のうち「大川周明」は発狂のため裁判を免れています。本当に発狂したのか狂言だったのか、今以て謎です。松本智津夫は発狂したようだけれど、裁判を免れることはできませんでした。本当に発狂したのか狂言なのか、謎です。大川も松本も、情けない末路です。
<参考>
戦後五十周年、村山総理談話から
『いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
。』
1972年、日中共同声明から
『日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。』
竹島問題 ― 2006年04月21日
竹島問題は日露戦争と関係があるとの説明をしています。歴史年表から、日露戦争当時の、日露関係事項と、日韓関係事項を抜き出しただけのものです。このページを作った時は、内容が無いので、数ヶ月でやめようかと思っていたのですが、子安宣邦先生が、同じような年表を書かれていたので、気を良くして、いまだに掲載しています。
竹島問題は、日本にとっては、国境確定問題に過ぎません。しかし、韓国から見たら、侵略と植民地支配を容認するのか否かの、民族存亡の問題になります。このあたり、子安先生のホームページに詳しかったのですが、なくなってしまった。(現代思想2005年6月号参照ください。)
韓国では竹島は民族存亡の問題であるため、韓国人はいろいろとエキサイトするようです。でも、冷静に考えたら、国際法上は、国境確定問題なのだから、変に騒ぎ立てをすると、国際政治的としては、韓国にマイナスになるかもしれません。そのあたり分っているのだろうけれど、やめられないのだろうなー。熱くなる国民性のようですね。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/TakeshimaGaiyou.htm
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/TakeshimaKitte/Takeshimakitte.htm
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Takeshima.htm
ホウチャクソウ ― 2006年04月23日

ホウチャクとは漢字で書くと宝鐸。お寺のお堂の四隅に下がっている小型の釣鐘のようなもののことです。ホウタク、風鐸(フウタク)とも言います。
イチリンソウ ― 2006年04月23日

ブレジネフのダー 日本政府は真実の説明をすべきです ― 2006年04月28日
外務省の説明によると、『日本が海洋調査を中止する一方で、韓国側は6月の国際会議への地名変更提案を先送りすることで合意した』とのことですが、韓国側説明では『準備が整えば6月にも提案する』とのことです。日本と韓国の説明が全く異なっています。
1973年10月、モスクワにおいて、田中総理とブレジネフ書記長の会談が行われ、共同声明が出されました。この中に、『双方は第二次世界大戦の時からの未解決の諸問題を解決して・・・』と書かれています。日本では、未解決の諸問題に北方領土問題が含まれることは、田中総理とブレジネフ書記長との間で確認されたと、説明されます。
一般には『ブレジネフのダー』と言います。田中総理が「未解決の諸問題に北方領土問題が含まれるのですね」とブレジネフに問い合わせたところ、ブレジネフは「ダー(そうだ)」と言ったと説明されます。(ブレジネフは黙ってうなずいたと説明されることも有ります。)
事実は次のようになっています。
①日本は『未解決の問題』の文言を入れることを主張したが、北方領土問題が未解決な問題ととられることを嫌ったソ連が拒否。
②このため、会談は1日空転して、共同声明が出せない危機になった。
③双方で妥結が成立した。『未解決の諸問題』の文言を入れること、記者会見は双方独自に行い、互いに、相手の言ったことの対して干渉しないこと。
これだけだと、何のことだかわからないかも知れませんので少し解説します。
日本は北方領土問題が未解決の問題であることをソ連側に認めさせたかったけれど、ソ連はそれを拒否した。これでは会談決裂となり、せっかくソ連訪問を果たした田中角栄に政治的汚点が残ることになってしまう。そこで、共同宣言は、どちらとも取れる表現にして、日本政府は、日本国民向けに、さも、会談の成果が有ったように説明しました。ソ連は、日本政府が日本向けに説明したことに何のコメントもしませんでした。もちろん、ソ連側の説明は、日本の説明とはまったく異なっていました。
事実関係について、どのように理解可能でしょうか。
①日本の政治家は、国民に誠実に説明しているので、この場合も、政府の説明は真実に違いない。
②自分の人気取りのために、国民に虚偽の説明をして、あたかも、成果が有ったように装った。
実際にはどうだったのか、田中ブレジネフ会談の議事録を見れば、ある程度のことがわかるかも知れません。しかし、日本政府は外交秘密を理由に議事録を公開していません。国民に知られると、まずいことが書かれている可能性が有ります。
さて、今回の日韓問題で、日本政府は『韓国側は6月の国際会議への地名変更提案を先送りすることで合意した』と、日本国民に向けて説明しています。何が真実なのか、謎です。
日本政府は、日本国民に、真実を誠実に説明し、情報を開示した方が良いのに。
戦没軍人や処刑されたA級戦犯を、英霊として顕彰することは、日本のあり方として正しくない ― 2006年04月29日
1)大東亜共栄圏とは何か
日本政府は、太平洋戦争を追行するに当たって、大東亜共栄圏の建設というスローガンをかかげました。
大東亜共栄圏とはいったい何だったのでしょう。現在、日本における一つの公正中立な見解を示します。
日本政府は,アジアの諸民族の協力を取りつけるため,日本が後おしする「満州国」などの政権の代表をまねいて,大東 亜会議を開きました。この会議では,英米の植民地支配からアジアを解放することが宣言されました。
しかし,このようなスローガンには説得力がありませんでした。アジア人のアジアをかかげながら,アジアの大国,中国とは長い間,戦争状態にありました。それに,植民地支配からの解放をいいながら,日本自身が朝鮮・台湾を手ばなそうとはしなかったからです。
また,日本軍による悪政も,「共栄」のスローガンを台なしにしました。シンガポールでは,抗日的とみなされた中国系住民の大量処刑がおこなわれました。ビルマ(現在のミャンマー)とタイを結ぶ泰緬鉄道の建設では,多くの捕虜や各地の労務者がひどい労働条件のもとで働かされ,数万人が死にました。フィリピンでは降伏したアメリカ軍とフィリピン軍の捕虜を炎天下の過酷な行進で多数死なせています(パターン死の行進)。中国では捕虜にした中国兵を,その場で殺害してしまう場合もありました。
日本国内の労働力不足をおぎなうため,朝鮮や中国の占領地からは,多くの人々が内地に強制的につれていかれました。強制連行された朝鮮人の数は約70万人,中国人の数は4万人とされています。また,軍の要請によって,日本軍兵士のために朝鮮などアジアの各地から若い女性が集められ,戦場に送られました。「大東亜共栄圏」はたんなる宣伝のためのスローガンにすぎなかったのです。
2)アジアへの侵略に関する、日本国の公式見解
かつて、大東亜戦争と称した戦争、あるいはその前の支那事変などは、アジアに対する侵略であったことが、政府見解でも明らかにされており、この評価は、日本国として、ほぼ確立したものです。さらに、過去の行為に対して、責任を痛感し、深く反省することが、明らかにされています。
何回か取り上げたことがありますが、『戦後五十周年、村山総理談話』、『戦後六十周年、小泉総理談話』『1972年、日中共同声明』から、侵略を謝罪している部分を掲載します。
戦後五十周年、村山総理談話から
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで 、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多く の国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべ くもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。 また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
戦後六十周年、小泉総理談話から
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛 を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する…
1972年、日中共同声明から
日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省 する。
3)犯罪者を英霊として顕彰することは、責任を痛感し、深く反省することにならない
国策を誤り多くの人々に対して多大の損害と苦痛を与えることは、常識的に考えたら、犯罪的な行為です。
犯罪的行為を計画・推進した人たちを、英霊として顕彰することは、責任を痛感し、深く反省することにならないことは、言うま
でもありません。
また、犯罪者を英霊として顕彰することは、「大東亜共栄圏」という、たんなる宣伝のためのスローガンをかかげ、侵略と圧政を
行い、アジアの人たちに多大な災難をもたらした日本軍の行為を正当化することになりかねません。日本軍の犯罪行為を正当化しよ
うする、いかなる策動も、絶対に容認できません。
4)戦争被害者は国家の責任で等しく慰霊を
慰霊という行為は、宗教と深く結びついているので、慰霊は個人が行うべきものと考える人と、広く国家・社会で行うべきと考え
る人があるかと思います。私の信仰では、慰霊は個人の行為なので、特に、国家や社会による慰霊が必要だとは感じていません。し
かし、もし、国家や社会による慰霊が必要であるならば、軍人として戦争に倒れた人だけを特別に扱うことは正しいことではありま
せん。
一般兵士として、戦争に狩り出され、侵略の一翼を担わされ、その結果一命を落とした人はどのように扱うべきでしょうか。この
ような人たちは、侵略の加害者であると同時に、為政者が国策を誤った、犠牲者でもあります。国家として、彼らを慰霊することは
、必要なことかも知れません。しかし、だからと言って、侵略が肯定されるはずもありません。英霊として顕彰する必要は、まった
くありません。
ところで、日本国民の中には、ごく一部ながら、戦争に反対し、そのために、治安維持法違反に拠り処刑された人たちも存在しま
した。誤った国策を正しくする為に、積極的に破壊活動やスパイ活動を行い、処刑された人たちの存在も忘れることができません。
これらの人たちも、等しく、戦争の犠牲者です。
戦争に倒れた兵士たち、治安維持法違反で処刑された人たち、戦災で死亡した一般民間人、日本軍によって殺されたアジアの国々
の多くの人たち、日本に拉致され強制労働に服している間に一命を落とした人たち、これらすべての人たちは、等しく戦争の犠牲者
であり、その生命の尊さにおいて、なんら変わるところがありません。
一般兵士として、戦争に狩り出され、侵略の一翼を担わされ、その結果一命を落とした人を、国家として慰霊するのであるならば
、日本軍の犠牲になった多くの人たちも、等しく慰霊すべきです。
5)おわりに
以上、戦没兵士を英霊として顕彰することの問題を記述しました。
十五年戦争(満州事変・支那事変・大東亜戦争を合わせてこういいます)はアジアに対する侵略であり、このような誤った国策に対して、日本は、責任を痛感し、深く反省しています。このような、政府の説明を、そのまま本心であると信じるのであるならば、『戦没軍人や処刑されたA級戦犯を、英霊として顕彰することは、日本のあり方として正しくない』との考えは、自然なもので、特に疑いをさしはさむ余地は無いでしょう。
日本の中には、政府の公式見解や、多くの日本人とは異なった考えを持つ人もいます。
かつて、日本が侵略犯罪を繰り返していた頃、侵略推進者たちは、自分たちと意見を異にする人たちを『非国民』『売国奴』などと言って、弾圧していました。彼らの言葉をそのまま使用するならば(そんな人いませんが)、戦没軍人や処刑されたA級戦犯を英霊として顕彰する行為こそ、反国家的、反社会的な『非国民』『売国奴』と言えるかもしれません。
ボタン ― 2006年04月30日

今日の朝日新聞朝刊のトップ記事のタイトルは
「靖国」日米に影 「対日批判増す」専門家ら懸念
です。このような記事が現れること自体、特に疑問は無いのですが、この時期にしては、唐突な印象を受けます。しかも、1面トップに載せるほどの内容なのだろうか?
と、このような話題とは、何の関係も無く、写真は、ボタンの花。近所のお寺のボタンがちょうど見ごろでした。『おしべ、めしべ』にピントを合わせてアップで撮ると、どこと無く猥褻な雰囲気が…
花の写真を撮るときは、花弁のふちにピントを合わせようか、おしべ・めしべの先端に合わせようか、悩みます。
ボディー:EOS Kiss DN レンズ:Helios40-2(85mmF1.5)ロシア製です。