戦没軍人や処刑されたA級戦犯を、英霊として顕彰することは、日本のあり方として正しくない ― 2006年04月29日
1)大東亜共栄圏とは何か
日本政府は、太平洋戦争を追行するに当たって、大東亜共栄圏の建設というスローガンをかかげました。
大東亜共栄圏とはいったい何だったのでしょう。現在、日本における一つの公正中立な見解を示します。
日本政府は,アジアの諸民族の協力を取りつけるため,日本が後おしする「満州国」などの政権の代表をまねいて,大東 亜会議を開きました。この会議では,英米の植民地支配からアジアを解放することが宣言されました。
しかし,このようなスローガンには説得力がありませんでした。アジア人のアジアをかかげながら,アジアの大国,中国とは長い間,戦争状態にありました。それに,植民地支配からの解放をいいながら,日本自身が朝鮮・台湾を手ばなそうとはしなかったからです。
また,日本軍による悪政も,「共栄」のスローガンを台なしにしました。シンガポールでは,抗日的とみなされた中国系住民の大量処刑がおこなわれました。ビルマ(現在のミャンマー)とタイを結ぶ泰緬鉄道の建設では,多くの捕虜や各地の労務者がひどい労働条件のもとで働かされ,数万人が死にました。フィリピンでは降伏したアメリカ軍とフィリピン軍の捕虜を炎天下の過酷な行進で多数死なせています(パターン死の行進)。中国では捕虜にした中国兵を,その場で殺害してしまう場合もありました。
日本国内の労働力不足をおぎなうため,朝鮮や中国の占領地からは,多くの人々が内地に強制的につれていかれました。強制連行された朝鮮人の数は約70万人,中国人の数は4万人とされています。また,軍の要請によって,日本軍兵士のために朝鮮などアジアの各地から若い女性が集められ,戦場に送られました。「大東亜共栄圏」はたんなる宣伝のためのスローガンにすぎなかったのです。
2)アジアへの侵略に関する、日本国の公式見解
かつて、大東亜戦争と称した戦争、あるいはその前の支那事変などは、アジアに対する侵略であったことが、政府見解でも明らかにされており、この評価は、日本国として、ほぼ確立したものです。さらに、過去の行為に対して、責任を痛感し、深く反省することが、明らかにされています。
何回か取り上げたことがありますが、『戦後五十周年、村山総理談話』、『戦後六十周年、小泉総理談話』『1972年、日中共同声明』から、侵略を謝罪している部分を掲載します。
戦後五十周年、村山総理談話から
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで 、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多く の国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべ くもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。 また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
戦後六十周年、小泉総理談話から
我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛 を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明する…
1972年、日中共同声明から
日本側は、過去において日本国が戦争を通して中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省 する。
3)犯罪者を英霊として顕彰することは、責任を痛感し、深く反省することにならない
国策を誤り多くの人々に対して多大の損害と苦痛を与えることは、常識的に考えたら、犯罪的な行為です。
犯罪的行為を計画・推進した人たちを、英霊として顕彰することは、責任を痛感し、深く反省することにならないことは、言うま
でもありません。
また、犯罪者を英霊として顕彰することは、「大東亜共栄圏」という、たんなる宣伝のためのスローガンをかかげ、侵略と圧政を
行い、アジアの人たちに多大な災難をもたらした日本軍の行為を正当化することになりかねません。日本軍の犯罪行為を正当化しよ
うする、いかなる策動も、絶対に容認できません。
4)戦争被害者は国家の責任で等しく慰霊を
慰霊という行為は、宗教と深く結びついているので、慰霊は個人が行うべきものと考える人と、広く国家・社会で行うべきと考え
る人があるかと思います。私の信仰では、慰霊は個人の行為なので、特に、国家や社会による慰霊が必要だとは感じていません。し
かし、もし、国家や社会による慰霊が必要であるならば、軍人として戦争に倒れた人だけを特別に扱うことは正しいことではありま
せん。
一般兵士として、戦争に狩り出され、侵略の一翼を担わされ、その結果一命を落とした人はどのように扱うべきでしょうか。この
ような人たちは、侵略の加害者であると同時に、為政者が国策を誤った、犠牲者でもあります。国家として、彼らを慰霊することは
、必要なことかも知れません。しかし、だからと言って、侵略が肯定されるはずもありません。英霊として顕彰する必要は、まった
くありません。
ところで、日本国民の中には、ごく一部ながら、戦争に反対し、そのために、治安維持法違反に拠り処刑された人たちも存在しま
した。誤った国策を正しくする為に、積極的に破壊活動やスパイ活動を行い、処刑された人たちの存在も忘れることができません。
これらの人たちも、等しく、戦争の犠牲者です。
戦争に倒れた兵士たち、治安維持法違反で処刑された人たち、戦災で死亡した一般民間人、日本軍によって殺されたアジアの国々
の多くの人たち、日本に拉致され強制労働に服している間に一命を落とした人たち、これらすべての人たちは、等しく戦争の犠牲者
であり、その生命の尊さにおいて、なんら変わるところがありません。
一般兵士として、戦争に狩り出され、侵略の一翼を担わされ、その結果一命を落とした人を、国家として慰霊するのであるならば
、日本軍の犠牲になった多くの人たちも、等しく慰霊すべきです。
5)おわりに
以上、戦没兵士を英霊として顕彰することの問題を記述しました。
十五年戦争(満州事変・支那事変・大東亜戦争を合わせてこういいます)はアジアに対する侵略であり、このような誤った国策に対して、日本は、責任を痛感し、深く反省しています。このような、政府の説明を、そのまま本心であると信じるのであるならば、『戦没軍人や処刑されたA級戦犯を、英霊として顕彰することは、日本のあり方として正しくない』との考えは、自然なもので、特に疑いをさしはさむ余地は無いでしょう。
日本の中には、政府の公式見解や、多くの日本人とは異なった考えを持つ人もいます。
かつて、日本が侵略犯罪を繰り返していた頃、侵略推進者たちは、自分たちと意見を異にする人たちを『非国民』『売国奴』などと言って、弾圧していました。彼らの言葉をそのまま使用するならば(そんな人いませんが)、戦没軍人や処刑されたA級戦犯を英霊として顕彰する行為こそ、反国家的、反社会的な『非国民』『売国奴』と言えるかもしれません。
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