日本政府も国後・択捉をクーリール(KOURILES)と認識していた ― 2006年10月07日

戦前、逓信省では、何回か記念絵葉書を発行したことがあります。最初に発行されたのは、1902年UPU加盟25周年記念です。5種類有るのですが、そのうちの、地図が描かれた絵葉書を入手しました。コレクターがほとんどいないので安価な割には入手は困難です。ちなみに、3ドルでした。
この地図で、千島列島には『KOURILES』と書かれています。明らかに、国後・択捉をKURIELESと認識していたことが分かります。
日本は、サンフランシスコ条約で千島列島の領有を放棄しました。サンフランシスコ条約正文は英・仏・西語で、放棄したのはクーリールアイランズであって、それはウルップ以北であるとの説明がまことしやかになされたことがあります。このような言葉の言い換えによる目先のダマカシが通用するはずもなく、1980年代に村山・和田氏により完全に否定され、今では、あまり言う人もいなくなっています。
この絵葉書を見れば、日本政府の認識では、クーリールアイランズに国後・択捉が含まれていることが分かります。
絵葉書の全体の拡大図はこちらをクリックしてください
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Stamp/AnivPC.jpg
絵葉書の北海道・千島部分はこちらをクリックしてください
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Stamp/AnivPCPart.jpg
この地図で、千島列島には『KOURILES』と書かれています。明らかに、国後・択捉をKURIELESと認識していたことが分かります。
日本は、サンフランシスコ条約で千島列島の領有を放棄しました。サンフランシスコ条約正文は英・仏・西語で、放棄したのはクーリールアイランズであって、それはウルップ以北であるとの説明がまことしやかになされたことがあります。このような言葉の言い換えによる目先のダマカシが通用するはずもなく、1980年代に村山・和田氏により完全に否定され、今では、あまり言う人もいなくなっています。
この絵葉書を見れば、日本政府の認識では、クーリールアイランズに国後・択捉が含まれていることが分かります。
絵葉書の全体の拡大図はこちらをクリックしてください
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Stamp/AnivPC.jpg
絵葉書の北海道・千島部分はこちらをクリックしてください
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Stamp/AnivPCPart.jpg
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