拓大・木村汎氏の論文 ― 2006年12月10日
雑誌『世界週報』2006年11月21日号に、日ソ共同宣言・国交回復50年特集として、北方領土問題の論文が記載されている。拓殖大学教授の木村汎氏は『こちらから性急に動かず機が熟するのを待て』との記事の中で、「4島一括返還をまるでお経のように唱え続けるべし」と主張しているが、戦後61年も経つのに、何も進展していない状況を、いつまでこのまま持続させるつもりなのか。
北方領土返還運動には政府の予算が投入されているため、返還運動をビジネスとして、自己の利益のために行っている人たちが存在している。このような人たちにとって、北方領土問題の解決は一番困ることである。北方領土返還運動に寄生している人たちにとって一番好ましい状況は、「4島一括返還をまるでお経のように唱え続け」「機が熟するのを待ち」、その結果、永遠に領土問題が解決しないことだろう。
北方領土問題が解決しなかった原因の一つに、反共・反ソの問題がある。東西冷戦の時代、米国は日本に米軍基地を置き、米国の世界戦略に利用していた。朝鮮戦争・ベトナム戦争では、日本から直接、これらの国を攻撃したこともあった。北方領土問題は、このような米国の世界戦略や戦争追行のために、日本を利用するための手段として用いられた部分がある。実際、1956年に日ソ間で、領土問題を解決し平和条約を締結しようとしたとき、米国ダレスが重光外相を厳しく叱責して、それを阻止したことが知られている。東西冷戦は終結したが、未だに、領土問題を反ロシア戦略に利用する勢力も存在しているだろう。
拓殖大学の木村汎氏が、北方領土問題の早期解決に批判的な本心はどこにあるのだろう。木村氏が日ソ・日ロの時代を通じてどんなことをしてきたかについて、詳しく知ることが必要のようである。
参考:2006年10月18日、鈴木宗男議員のムネオ日記には以下の記述がある。
北方領土返還運動には政府の予算が投入されているため、返還運動をビジネスとして、自己の利益のために行っている人たちが存在している。このような人たちにとって、北方領土問題の解決は一番困ることである。北方領土返還運動に寄生している人たちにとって一番好ましい状況は、「4島一括返還をまるでお経のように唱え続け」「機が熟するのを待ち」、その結果、永遠に領土問題が解決しないことだろう。
北方領土問題が解決しなかった原因の一つに、反共・反ソの問題がある。東西冷戦の時代、米国は日本に米軍基地を置き、米国の世界戦略に利用していた。朝鮮戦争・ベトナム戦争では、日本から直接、これらの国を攻撃したこともあった。北方領土問題は、このような米国の世界戦略や戦争追行のために、日本を利用するための手段として用いられた部分がある。実際、1956年に日ソ間で、領土問題を解決し平和条約を締結しようとしたとき、米国ダレスが重光外相を厳しく叱責して、それを阻止したことが知られている。東西冷戦は終結したが、未だに、領土問題を反ロシア戦略に利用する勢力も存在しているだろう。
拓殖大学の木村汎氏が、北方領土問題の早期解決に批判的な本心はどこにあるのだろう。木村氏が日ソ・日ロの時代を通じてどんなことをしてきたかについて、詳しく知ることが必要のようである。
参考:2006年10月18日、鈴木宗男議員のムネオ日記には以下の記述がある。
木村汎氏は「ロシアの軟化待て」という見出しで考えを述べているが、更にあと61年も待てないので、記事紹介は省略させてもらう。鈴木宗男議員の情報開示に期待したい。
ロシアはパノフ大使の時代に、またロシュコフ現大使着任の時に、ラブロフ外相とプーチン大統領はそれぞれ日本に対してシグナル・メッセージを何度となく送ってきた。日本側がそのシグナル・メッセージを読み取ることが出来なかったのである。ロシアの専門家である木村氏も、今日の記事からすると読み取っていなかったことになる。同時に、木村氏が日ソ・日ロの時代を通じてどんなことをしてきたかについても、私なりに調べて国民に情報開示をしていきたい。
コメント
_ 元道 ― 2007年01月03日 02時12分55秒
_ cccpcamera ― 2007年01月05日 11時25分11秒
元道さま、コメントありがとうございます。
木村汎氏の北方領土問題の著書は論旨緻密できわめて勉強の価値が高いものだと思っています。だからこそ、四島返還論を絶対視する説明には疑問を抱かざるを得ません。学問としての解説なのか、政治宣伝としての解説なのか、そういう疑問があります。
元道さま、ご指摘の、アイヌに無頓着の件もそうですが、木村説の疑問点は、すべて、四島返還にかかわるところです。なぜ、ここだけ考察がずさんなのだろうと思う点が幾つかあります。これらはすべて、考察を推し進めると四島返還論に都合が悪いと思われる場合です。
木村氏は、学者としての顔と、四島返還運動家としての顔と、両方があるのではないかと感じています。
ところで、木村汎氏のご専門は、ロシア政治学でしょうか。元道さま、ご存知でしたならば教えてください。
木村汎氏の著書を読むと、和田春樹氏や洞富雄氏に比べ、歴史の解釈が弱いように感じます。四島返還論は歴史が中心になるので、この点、木村汎氏には少し不満です。もし、専門が政治学ならば、その立場で、四島返還論を構築すればよいのに、この点も、不思議です。
木村汎氏の北方領土問題の著書は論旨緻密できわめて勉強の価値が高いものだと思っています。だからこそ、四島返還論を絶対視する説明には疑問を抱かざるを得ません。学問としての解説なのか、政治宣伝としての解説なのか、そういう疑問があります。
元道さま、ご指摘の、アイヌに無頓着の件もそうですが、木村説の疑問点は、すべて、四島返還にかかわるところです。なぜ、ここだけ考察がずさんなのだろうと思う点が幾つかあります。これらはすべて、考察を推し進めると四島返還論に都合が悪いと思われる場合です。
木村氏は、学者としての顔と、四島返還運動家としての顔と、両方があるのではないかと感じています。
ところで、木村汎氏のご専門は、ロシア政治学でしょうか。元道さま、ご存知でしたならば教えてください。
木村汎氏の著書を読むと、和田春樹氏や洞富雄氏に比べ、歴史の解釈が弱いように感じます。四島返還論は歴史が中心になるので、この点、木村汎氏には少し不満です。もし、専門が政治学ならば、その立場で、四島返還論を構築すればよいのに、この点も、不思議です。
_ 元道 ― 2007年01月08日 02時35分34秒
私はロシアの現代政治史をご指導いただきました。
レーニンとクルスプカヤの夫婦を中心に、ロシア革命の主役たちの人物列伝をそれは活き活きと語ってくださいました。
木村先生にかかると死んだはずの過去の人物が、まるで今そこにいるかのように思えてしまいます。
また、講義の合間に映画や流行歌など、当時なかなか知ることのなかったソ連の大衆文化のお話を交え、学生が飽きないように、ロシアに親しみを持つように配慮しながら講義されておりました。
講義の姿しかしらなかった私は、当時木村先生はソ連をまるで自分の国のように愛してらっしゃるのだなぁと思っておりました。
ところが、北方領土のことになると、まるで頑なな態度をおとりになります。同じキャンパスでウタリ協会の方を講師に先住民権の授業もやっているわけですから、日本国家対ソ連国家では永遠に拉致のあかない問題であることは、当時から学生はみんなわかっていたことなのにです。
私は北アジアの民俗学(特にロシア帝国側のアイヌ)をやりたかったのですが、あいにく実力が追いつかず希望と違う学科にまわされて落ちこぼれ、スラ研に足を向けなくなってしまいました。
そうだ、ウクライナの中央ラーダやルウフの独立運動について教えてくれたのも木村先生でした。ソ連崩壊の10年前に、木村先生はソ連構成共和国の分離運動や民族運動の高まりを予見していたのです。
レーニンとクルスプカヤの夫婦を中心に、ロシア革命の主役たちの人物列伝をそれは活き活きと語ってくださいました。
木村先生にかかると死んだはずの過去の人物が、まるで今そこにいるかのように思えてしまいます。
また、講義の合間に映画や流行歌など、当時なかなか知ることのなかったソ連の大衆文化のお話を交え、学生が飽きないように、ロシアに親しみを持つように配慮しながら講義されておりました。
講義の姿しかしらなかった私は、当時木村先生はソ連をまるで自分の国のように愛してらっしゃるのだなぁと思っておりました。
ところが、北方領土のことになると、まるで頑なな態度をおとりになります。同じキャンパスでウタリ協会の方を講師に先住民権の授業もやっているわけですから、日本国家対ソ連国家では永遠に拉致のあかない問題であることは、当時から学生はみんなわかっていたことなのにです。
私は北アジアの民俗学(特にロシア帝国側のアイヌ)をやりたかったのですが、あいにく実力が追いつかず希望と違う学科にまわされて落ちこぼれ、スラ研に足を向けなくなってしまいました。
そうだ、ウクライナの中央ラーダやルウフの独立運動について教えてくれたのも木村先生でした。ソ連崩壊の10年前に、木村先生はソ連構成共和国の分離運動や民族運動の高まりを予見していたのです。
_ cccpcamera ― 2007年01月09日 13時47分56秒
元道さまは、日ロ民間外交の関係者ですか。北方領土に渡航したことはありますか?
ところで、このページのコメント欄は、あまり目立たないので、よろしければ、掲示板もお使いください。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/cgi-bin/user/kanai007/imgboard.cgi
木村汎氏は現代政治史・政治学がご専門ならば、サンフランシスコ条約あるいは日ソ共同宣言をもとに、北方領土要求の根拠を構築して欲しいところです。
最近、原貴美恵の『サンフランシスコ平和条約の盲点』が出版されましたが、この本を読むと、サンフランシスコ条約を根拠に、四島返還論を掲げることは、ちょっと困難なように感じます。また、出版されてから10年以上になりますが、田中孝彦氏の『日ソ国交回復の史的研究 戦後日ソ関係の起点:1945~1956』をよむと、日ソ共同宣言をもとに四島返還論を掲げることは、なおさら困難なように感じます。
北方領土が日本古来の領土との主張は、確かに笑っちゃいます。100歩譲って、択捉島が日本古来の領土としても、1800年以降1945年までの145年間だけのことです。ソ連・ロシアの領土になってから、既に60年が経ってしまいました。木村説のように、これまで通りの事を続けて、さらに60年経ってしまったら、日本の領土だった期間と、ロシアの領土の期間が同程度になってしまいます。北方領土問題を早急に解決しない限り、アイヌを無視した固有の領土論の破綻は目に見えていると思うのですが、いまだに、旧来の主張を繰り返す態度には、何か下心が有るのではないだろうかと、勘ぐってしまいます。
ところで、このページのコメント欄は、あまり目立たないので、よろしければ、掲示板もお使いください。
http://www.fan.hi-ho.ne.jp/cgi-bin/user/kanai007/imgboard.cgi
木村汎氏は現代政治史・政治学がご専門ならば、サンフランシスコ条約あるいは日ソ共同宣言をもとに、北方領土要求の根拠を構築して欲しいところです。
最近、原貴美恵の『サンフランシスコ平和条約の盲点』が出版されましたが、この本を読むと、サンフランシスコ条約を根拠に、四島返還論を掲げることは、ちょっと困難なように感じます。また、出版されてから10年以上になりますが、田中孝彦氏の『日ソ国交回復の史的研究 戦後日ソ関係の起点:1945~1956』をよむと、日ソ共同宣言をもとに四島返還論を掲げることは、なおさら困難なように感じます。
北方領土が日本古来の領土との主張は、確かに笑っちゃいます。100歩譲って、択捉島が日本古来の領土としても、1800年以降1945年までの145年間だけのことです。ソ連・ロシアの領土になってから、既に60年が経ってしまいました。木村説のように、これまで通りの事を続けて、さらに60年経ってしまったら、日本の領土だった期間と、ロシアの領土の期間が同程度になってしまいます。北方領土問題を早急に解決しない限り、アイヌを無視した固有の領土論の破綻は目に見えていると思うのですが、いまだに、旧来の主張を繰り返す態度には、何か下心が有るのではないだろうかと、勘ぐってしまいます。
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
木村先生は大のロシアオタクで、ロシアのこととなると子供のようになってしまう方でした。しかし、おもて面はあの通りです。
あまたある木村先生の不思議の中で最も不思議だったのが北方領土に対する態度でした。
旧島民の救済よりも国家としての筋論に終始するので、あれでは永遠に解決出来ないだろうと思うのですが、木村先生はロシア人と同じかそれ以上に気が長いようで、四島一括返還にとても拘っています。(なのにアイヌ人の先住民権には無頓着なのです。これも不思議。)
私は木村先生の授業のレポートで、旧島民に日ロ両方の二重国籍を認め、ロシア側に居住する旧島民の人権保護のために日ロ両国が調整会議を頻繁に行うべきだと書いて「優」を頂きました。
先生の立場からすれば私のアイデアは受け入れがたいはずですが、それなりに評価して頂きました。
そんなことから私は木村先生にはかなり好意的なのですが、旧島民や支援者の方からは袴田先生とならんで北方領土マフィアと呼ばれ、日ロ関係と旧島民の救済を阻害するために研究していると思われているようです。
木村先生が私を覚えているとは思えませんが、僅かなりとも教えを受けた身としては、このような評価にはやや辛いものがあります。