竹島は日韓どちらのものでしょう2006年12月17日

 1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し日本国は独立を回復した。日本国の範囲は基本的には、この条約に示されている。
 平和条約で、日本国は、朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を喪失した。しかし、竹島については、条約の中に明示されておらず、日・韓いずれのものであるのか、不明である。日本、韓国共に自国に都合よく解釈している。

 韓国政府は、平和条約会議に先立って、大韓民国政府意見書を米国に提出した。1951年8月10日、ディーン・ラスク国務次官補は、竹島は日本の領土であるとの説明がなされている米国覚書を、韓国大使に対して渡した。この覚書だけを見ると、竹島は日本の領土との主張が正しいように思えるが、条約草案の変遷を見ると、必ずしも日本の主張が正しいとも思えない。

 サンフランシスコ平和条約における竹島の扱いを、以下に記載しました。
 http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/HeiwajouyakuTakeshima.htm

 日本政府は、平和条約を締結するに当たって、米国に対して36冊に及ぶ資料を提出、日本の立場を説明している。このうち、1947年6月には、「太平洋及び日本海小諸島」と題する文書を、米国に提出、日本の立場を説明した。この文書によって、米国が竹島日本領論に傾くことになった可能性がある。ただし、この文書は、現在、日本政府によって非公開とされているため、詳しいことは分からない。これら重要な資料が公開されるまでは、竹島問題も、北方領土問題も、十分な解明はできないかもしれない。

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