竹島は日韓どちらのものでしょう ― 2006年12月25日
サンフランシスコ条約会議の1ヶ月ほど前、韓国は米国に対して、竹島を韓国領とすることを求めた。韓国の提案に対して、ディーン・ラスク国務次官補から、韓国大使に対して米国覚書が渡された。
『米国の得た情報によれば、竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことはなく、1905年から島根県の管轄下にあり、また、かつて、朝鮮により領土主張がなされたとは思えない』
サンフランシスコ条約文では、米国は竹島を日本の領土としていたことが分る。
1951年当時、朝鮮は、日本の植民地支配からは脱したものの、南北対立・朝鮮戦争と混乱の時代にあり、歴史研究が十分に成されている状況になかったので、米国に対して有効な説明はできなかった。
ラスク覚書をみると『朝鮮により領土主張がなされたとは思えない』とあるが、1906年、朝鮮は竹島を日本が領有したことに抗議をしているので、これは、誤った認識だろう。さらに、中世においては、安龍福による、竹島の領土主張がなされたことも知られている。もっとも、こちらは、単なるホラ話の類かも知れない。
また、『竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことはない』も、正しい認識か否か、不明である。1900年に大韓帝国は石島を欝島郡に編入しているが、この石島こそ、竹島であるとの説もある(怪しい)。さらに、怪しい説ならば、中世において、朝鮮は于山島・武稜島の領有意識を持っていたが、于山島・武稜島こそ、竹島・鬱稜島であるとの説もある。(注)
このように、現在明らかになっている資料によれば、『竹島は朝鮮の領土ではない』と断言することはできない。古来、竹島・鬱稜島はセットで扱われたことが多く、また、鬱稜島を朝鮮料としている資料は多い。
竹島が1905年から島根県の管轄下にあることは、疑いのない事実である。このため、竹島領有の根拠に、1905年から島根県の管轄下にあることを主張すれば、十分に説得力があると考える人も存在する。
ところで、北方領土の色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあったこと、さらに、サンフランシスコ条約で日本は千島を放棄したことは疑いのない事実である。竹島が島根県の管轄下にあったことを理由に、竹島の領有を主張するならば、色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあった事実を理由に、領有を放棄せねばならない事態になりかねない。
このように、北方領土要求と整合性が取れた形で、竹島の領有を主張するためには、『1905年から島根県の管轄下にある』ことを、根拠とすることはなかなか難しい。
1905年に、日本が竹島を領有したのは、日露戦争に有用だったためである。日露戦争に勝利すると、日本の朝鮮併合は本格化してゆく。このため、1905年の竹島領有は、朝鮮侵略の第一歩とする見方が韓国には多い。日本が、竹島領有の根拠に1905年を主張したならば、日韓関係が険悪化する可能性がある。場合によっては、外務大臣が苦境に立たされる可能性も否定できない。このように考えると、政治家個人の利益を省みず、日本の国益を重視する政治家が外務大臣を勤めない限り、1905年を竹島領有の根拠とすることは不可能だろう。
一方、中世において、韓国が鬱稜島を領有していた根拠は問題ないとしても、竹島を領有していた根拠はかなり怪しいものである。1900年の文書においても、竹島領有の根拠とするには、かなり怪しい。
竹島領有の根拠として、唯一はっきりしているのは、1905年に竹島を島根県の管轄下においた事実である。この点を、領有主張の中心に据えない限り、竹島の領有は現状維持-すなわち韓国領-とする以外困難だろう。
(注)于山島・武稜島のどちらが竹島でどちらが鬱稜島であるのかとの議論がある。多くの地図では、于山島が東側に描かれているので、于山島が竹島であったことが多い可能性が高い。しかし、逆に、于山島が西側に描かれた地図もあるので于山島=竹島とすることはできないだろう。そもそも、日本においても、竹島・鬱稜島はそれぞれ松島・竹島であったものが、島名が入れ替わっている。近くの山の名前が入れ替わったことなど、いくらでもあるので、朝鮮において島名が入れ替わったとしても特に不思議ではない。
竹島が日本の領土であると主張する者の中には、于山・武稜の位置関係を問題にして、あたかも朝鮮が嘘をついているかのような言説を振りまくものが存在する。地名が入れ替わることなど、珍しいことではないという、当然の知識が欠如した主張である。
『米国の得た情報によれば、竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことはなく、1905年から島根県の管轄下にあり、また、かつて、朝鮮により領土主張がなされたとは思えない』
サンフランシスコ条約文では、米国は竹島を日本の領土としていたことが分る。
1951年当時、朝鮮は、日本の植民地支配からは脱したものの、南北対立・朝鮮戦争と混乱の時代にあり、歴史研究が十分に成されている状況になかったので、米国に対して有効な説明はできなかった。
ラスク覚書をみると『朝鮮により領土主張がなされたとは思えない』とあるが、1906年、朝鮮は竹島を日本が領有したことに抗議をしているので、これは、誤った認識だろう。さらに、中世においては、安龍福による、竹島の領土主張がなされたことも知られている。もっとも、こちらは、単なるホラ話の類かも知れない。
また、『竹島は朝鮮の一部として取り扱われたことはない』も、正しい認識か否か、不明である。1900年に大韓帝国は石島を欝島郡に編入しているが、この石島こそ、竹島であるとの説もある(怪しい)。さらに、怪しい説ならば、中世において、朝鮮は于山島・武稜島の領有意識を持っていたが、于山島・武稜島こそ、竹島・鬱稜島であるとの説もある。(注)
このように、現在明らかになっている資料によれば、『竹島は朝鮮の領土ではない』と断言することはできない。古来、竹島・鬱稜島はセットで扱われたことが多く、また、鬱稜島を朝鮮料としている資料は多い。
竹島が1905年から島根県の管轄下にあることは、疑いのない事実である。このため、竹島領有の根拠に、1905年から島根県の管轄下にあることを主張すれば、十分に説得力があると考える人も存在する。
ところで、北方領土の色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあったこと、さらに、サンフランシスコ条約で日本は千島を放棄したことは疑いのない事実である。竹島が島根県の管轄下にあったことを理由に、竹島の領有を主張するならば、色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあった事実を理由に、領有を放棄せねばならない事態になりかねない。
このように、北方領土要求と整合性が取れた形で、竹島の領有を主張するためには、『1905年から島根県の管轄下にある』ことを、根拠とすることはなかなか難しい。
1905年に、日本が竹島を領有したのは、日露戦争に有用だったためである。日露戦争に勝利すると、日本の朝鮮併合は本格化してゆく。このため、1905年の竹島領有は、朝鮮侵略の第一歩とする見方が韓国には多い。日本が、竹島領有の根拠に1905年を主張したならば、日韓関係が険悪化する可能性がある。場合によっては、外務大臣が苦境に立たされる可能性も否定できない。このように考えると、政治家個人の利益を省みず、日本の国益を重視する政治家が外務大臣を勤めない限り、1905年を竹島領有の根拠とすることは不可能だろう。
一方、中世において、韓国が鬱稜島を領有していた根拠は問題ないとしても、竹島を領有していた根拠はかなり怪しいものである。1900年の文書においても、竹島領有の根拠とするには、かなり怪しい。
竹島領有の根拠として、唯一はっきりしているのは、1905年に竹島を島根県の管轄下においた事実である。この点を、領有主張の中心に据えない限り、竹島の領有は現状維持-すなわち韓国領-とする以外困難だろう。
(注)于山島・武稜島のどちらが竹島でどちらが鬱稜島であるのかとの議論がある。多くの地図では、于山島が東側に描かれているので、于山島が竹島であったことが多い可能性が高い。しかし、逆に、于山島が西側に描かれた地図もあるので于山島=竹島とすることはできないだろう。そもそも、日本においても、竹島・鬱稜島はそれぞれ松島・竹島であったものが、島名が入れ替わっている。近くの山の名前が入れ替わったことなど、いくらでもあるので、朝鮮において島名が入れ替わったとしても特に不思議ではない。
竹島が日本の領土であると主張する者の中には、于山・武稜の位置関係を問題にして、あたかも朝鮮が嘘をついているかのような言説を振りまくものが存在する。地名が入れ替わることなど、珍しいことではないという、当然の知識が欠如した主張である。
コメント
_ Fluffty ― 2007年01月05日 15時11分43秒
竹島について検索してたら、たまたまここを拝見させていただきました。貴方の論調はどちらかというと韓国よりですね。私の意見を書かせてもらうと、韓国との領土問題のこじれは韓国側の責任が大きいと思います。韓国政府は日本と交わした漁業協定を無視するばかりか、独島切手やカレンダーなど日本政府に送りつけたり、韓国漁師達による日本の領域での密漁もあとを絶たない。これだけ韓国側からの挑発があり、日本側が黙っているだけだから、島根県の人達がたまりかねて竹島の日を制定することもなかったわけで。そもそも韓国側には歴史的に竹島が韓国領だったという確固たる証拠がありません。だから古地図の中の于山島は現在の独島だとか馬鹿げた論拠を発明しなければいけないのではないですか。
_ cccpcamera ― 2007年01月06日 03時25分18秒
Flufftyさま、コメントありがとうございます。
日本と韓国は隣国同士、共に仲良く、常に協力し合わなければいけない、とのお考えであるならば、竹島問題の責任の多くは韓国にあるでしょう。李ラインの設定は強引です。
でも、領土問題と言うのは、占領した者勝ちと言う面が強くて、このため、日本でも、尖閣は、領土問題はないとの立場です。韓国も、竹島は解決済みとの立場でしょう。
『問題がない以上、責任はない。解決済みの領土問題に対して、無関係な国に歴史的経緯を十分に説明する必要はない。』ここまで、露骨な言い方はしないかもしれないけれど、領土問題は押さえている側からすれば、そんなものでしょう。
日本政府は、日本国民に対して責任を負っています。北方領土問題で、強く感じることは、領土問題が解決しないために、日本国民の税金が、毎年、返還運動に投入され、運動のプロが利権団体として存在していることです。
『解決しないのはロシアが悪い。自分達は正しい。だから、日本国民は、自分達に金を出せ。解決のための活動はしないから、永遠に解決しないぞ。永遠に解決しないから、永遠に金を出し続けろ。』
このように、言われているような気がします。
日本政府は日本国民の利益に責任を負っています。現在、北方領土問題も竹島問題も、日本国民の利益になっていません。サンフランシスコ条約から60年近くになるにもかかわらず、進展していません。日本政府の日本国民に対する責任は重大です。
島根県は、竹島の日、を設定しました。『竹島問題が解決しないのは韓国が悪い。自分達は正しい。だから、日本国民は、自分達に金を出せ。解決のための活動はしないから、永遠に解決しないぞ。永遠に解決しないから、永遠に金を出し続けろ。』このようにならないのか心配しています。
韓国は竹島切手を何度か発行しています。日本も、北方領土切手を発行しています。郵便の精神に反する行為ですが、どちらかと言えば、日本政府のほうがより悪質です。と言うのは、もし竹島切手が竹島宛郵便物に使われたとしても、何の問題も有りません。ところが、北方領土切手が、北方領土宛郵便に使われた場合、北方領土住民に戦争の不安を与えるものです。
北方領土切手を発行した日本国に、竹島切手問題で韓国を批判する資格は無いと思います。
なお、北方領土切手については、そのうち画像をアップします。
日本と韓国は隣国同士、共に仲良く、常に協力し合わなければいけない、とのお考えであるならば、竹島問題の責任の多くは韓国にあるでしょう。李ラインの設定は強引です。
でも、領土問題と言うのは、占領した者勝ちと言う面が強くて、このため、日本でも、尖閣は、領土問題はないとの立場です。韓国も、竹島は解決済みとの立場でしょう。
『問題がない以上、責任はない。解決済みの領土問題に対して、無関係な国に歴史的経緯を十分に説明する必要はない。』ここまで、露骨な言い方はしないかもしれないけれど、領土問題は押さえている側からすれば、そんなものでしょう。
日本政府は、日本国民に対して責任を負っています。北方領土問題で、強く感じることは、領土問題が解決しないために、日本国民の税金が、毎年、返還運動に投入され、運動のプロが利権団体として存在していることです。
『解決しないのはロシアが悪い。自分達は正しい。だから、日本国民は、自分達に金を出せ。解決のための活動はしないから、永遠に解決しないぞ。永遠に解決しないから、永遠に金を出し続けろ。』
このように、言われているような気がします。
日本政府は日本国民の利益に責任を負っています。現在、北方領土問題も竹島問題も、日本国民の利益になっていません。サンフランシスコ条約から60年近くになるにもかかわらず、進展していません。日本政府の日本国民に対する責任は重大です。
島根県は、竹島の日、を設定しました。『竹島問題が解決しないのは韓国が悪い。自分達は正しい。だから、日本国民は、自分達に金を出せ。解決のための活動はしないから、永遠に解決しないぞ。永遠に解決しないから、永遠に金を出し続けろ。』このようにならないのか心配しています。
韓国は竹島切手を何度か発行しています。日本も、北方領土切手を発行しています。郵便の精神に反する行為ですが、どちらかと言えば、日本政府のほうがより悪質です。と言うのは、もし竹島切手が竹島宛郵便物に使われたとしても、何の問題も有りません。ところが、北方領土切手が、北方領土宛郵便に使われた場合、北方領土住民に戦争の不安を与えるものです。
北方領土切手を発行した日本国に、竹島切手問題で韓国を批判する資格は無いと思います。
なお、北方領土切手については、そのうち画像をアップします。
_ kei ― 2008年07月25日 19時28分20秒
日本は千島列島は放棄しましたが、歯舞群島、色丹島又は国後島、択捉島は千島列島に含まれないと主張しているため「竹島の領有を主張するならば、色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあった事実を理由に、領有を放棄せねばならない事態になりかねない。」というのは少し違うと思います。
_ cccpcamera ― 2008年07月27日 14時44分21秒
keiさま。竹島領有根拠により、矛盾が出たり出なかったりします。
『日本は千島列島は放棄しましたが、歯舞群島、色丹島又は国後島、択捉島は千島列島に含まれないと主張しているため「竹島の領有を主張するならば、色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあった事実を理由に、領有を放棄せねばならない事態になりかねない」』と、単純になることはないでしょう。
竹島領有の根拠に、1905年から島根県の管轄下にあることを主張すれば、十分に説得力があると考える人も存在しますが、北方領土の色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあったこと、さらに、サンフランシスコ条約で日本は千島を放棄したことは疑いのない事実であるので、竹島が島根県の管轄下にあったことを理由に、竹島の領有を主張するならば、色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあった事実を理由に、領有を放棄せねばならない事態になりかねない、のです。
『日本は千島列島は放棄しましたが、歯舞群島、色丹島又は国後島、択捉島は千島列島に含まれないと主張しているため「竹島の領有を主張するならば、色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあった事実を理由に、領有を放棄せねばならない事態になりかねない」』と、単純になることはないでしょう。
竹島領有の根拠に、1905年から島根県の管轄下にあることを主張すれば、十分に説得力があると考える人も存在しますが、北方領土の色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあったこと、さらに、サンフランシスコ条約で日本は千島を放棄したことは疑いのない事実であるので、竹島が島根県の管轄下にあったことを理由に、竹島の領有を主張するならば、色丹島・国後島・択捉島は千島の行政区域にあった事実を理由に、領有を放棄せねばならない事態になりかねない、のです。
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_ 覚書 書き方 契約書・覚書・念書 - 2006年12月27日 01時53分31秒
覚書の書き方という記事です。
少しでも参考になればと思います。
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