北方領土問題2007年05月08日

掲示板に書いた記事の転載です

北方領土問題のページに加筆しました。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou3.htm

 北方領土要求の根拠の一つに、「ソ連もはっきりと千島列島を得撫島以北と考えていたために、はじめは択捉島以南の諸島を占領する意思のなかった」との説があります。この説の出所は、水津満少佐の証言です。和田春樹氏はこれを「単純な誤解」としていますが、北方領土要求のためのデッチアゲではないだろうかという気がしてなりません。

 連休中、北方領土関連の文献を幾つか読み、その中に、水津の講演記録等も幾つかありました。これらをあわせると、次のようになります。

 『水津が乗せられたソ連駆逐艦は、8月26日に松輪島を占領し3000人の日本兵を武装解除した、その後、新知島で偵察の結果、日本兵がいないことを確認し、さらに、得撫島に到着したときは濃霧と台風接近のため島に上陸せずに、島を1周し、数時間沖合いに仮泊し、そして、27日に北へ戻った』水津はこのように説明しています。
 どう考えても、日程的に不可能です。

 故意に日付けをごまかし、それを返還運動関係者は知っていながら、故意に嘘を吹聴して、国民をだまし続けたのではないだろうか。そんな不信感が心の中に沸いています。
 このあたり、何かご存知のかた、何かご教示ください。

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