鎖国について(領土問題と関連して)2008年03月15日

(掲示板に書いた内容の転載です)

 3月12日の朝日新聞に、江戸時代は鎖国ではなかったとの趣旨の解説記事がありました。江戸時代を鎖国政策だったとは、あまり言わなくなっているのだそうです。
 北方領土問題に関連して、「江戸時代は鎖国だったにも関らず、千島・樺太と交易していたのだから、千島・樺太は日本の固有の領土だ」との主張をする人が居ます。竹島問題でも、同様な主張が有ります。実際には、出島口(長崎口)の他に、松前口(蝦夷口)・薩摩口・対馬口を通して外国貿易が行われていました。

 高校日本史教科書「詳説日本史」には、鎖国政策のタイトルの項があります。しかし、本文では、「こうしていわゆる鎖国の状態となり、・・・」。要するに鎖国なのか鎖国ではないのか、分かりにくい記述です。
 教師用資料には「島原の乱がきっかけで鎖国完成へ向かったと理解させたい。ただし、鎖国とはいってもそれは具体的にはポルトガル人に対してであり、・・・、厳密な鎖国と言うものではなかったことをはっきりさせておきたい」と書かれています。
 「新日本史」では、次のようになっています。「外交制限の体制が長期に持続したため、18世紀末から19世紀初めに、これを鎖国とする認識が生まれ・・・」
 結局、江戸時代の制限貿易・外交制限を理解するためには、「鎖国」の用語を使ったほうが良いのか、使わないほうが良いのか、教育手法の問題のようです。

 竹島問題に関して、日本政府外務省は以下のように説明しています。
『(4)なお、当時、幕府が鬱陵島や竹島を外国領であると認識していたのであれば、鎖国令を発して日本人の海外への渡航を禁止した1635年には、これらの島に対する渡海を禁じていたはずですが、そのような措置はなされませんでした。』http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/g_ryoyu.html
 歴史の学習って、事項名と年号を覚えておしまいでした。「1635鎖国令」のように。このような歴史学習しか、してこなかった者としては、日本政府の説明を読むと、日本は竹島を内国と認識していたかのような錯覚に陥ってしまいます。
 竹島がポルトガルのような外国ではないと認識していたとしても、だからと言って、内国と認識していたことにはならないですよね。
 外務省の記述は、歴史不勉強者を引っ掛けるために書いてるのかなー。歴史不勉強者が書いてるのかなー。

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