プラモデル2008年06月01日


ガンダムのプラモデルを作る機械(4色射出成形機)のプラモデルです。こんなの誰が買うのだろう。って、私が買ったのですが。

プラモデル(2)2008年06月02日


ガンダムのプラモデルを作る機械(4色射出成形機)のプラモデルは、プラモデルそのものではなくて、周りの棄てる部分に興味がありました。
最初、青・白・黄色の樹脂を同時に注入して、これらが固まった後、上の金型を変えて、黒の部分を注入した。周りの棄てる部分を見ると、そのようなことが分かります。
下の金型1つと、上の金型4つを作ったのかと思いましたが、そうではなくて、上の金型は、2つのようです。でも、もう少し設計を工夫すれば、金型は上下各1つで、4色同時に注入できるような気がするのだけれど。

日光戦場ヶ原-外来植物2008年06月08日


今、日光戦場ヶ原では、ワタスゲやズミが見ごろです。

写真は、三本松駐車場付近に咲いていたタンポポ。外来種のセイヨウタンポポです。車道の脇などにタンポポが咲いていますが、すべて、外来種のセイヨウタンポポです。観光客が持ち込んだ種子によって、繁殖しているのでしょうか。あまり観光地化されると、外来の植物が繁殖して好ましくないのだけれど、既に、観光地となってしまっている戦場ヶ原に、自然環境の保全を求めても、不可能なことなのでしょう。

セイヨウタンポポのほかに、アカツメクサも繁殖していました。でも、アカツメクサに寄生するヤセウツボは見られませんでした。冬の寒さで繁殖できないのか、それとも、まだ種子が持ち込まれていないのか。

さいたま緑の森博物館―ギンリョウソウ2008年06月15日

 
埼玉県入間市の『さいたま緑の森博物館』では、ヒメザゼンソウが見ごろです。

『さいたま緑の森博物館』とは、狭山湖北岸の樹林地帯を整備して、自然公園にしたものです。かなり以前、このあたりを散歩したときは、あちらこちらにゴミが棄ててあり、バイクの練習場のようになっていて、二度と行きたくないところだと思いました。今では、ゴミもすっかり片付けられ、子供達が昆虫採集や小魚取りをしています。

少しはなれたところに、ギンリョウソウが咲いていました(写真)。

『絵葉書』記念日2008年06月18日

 
6月18日は『絵葉書』記念日です。1902年6月18日、逓信省は万国郵便連合加盟25周年を記念して、初の官製絵葉書(5種類)を発行しました。写真はそのうちの1種で、日本および周辺の鉄道路線・定期航路・海底電線が描かれています(画像をクリックすると拡大します)。

この地図の択捉島のところには『千島』『KOURILES』と書かれています。明らかに、国後・択捉をKURIELESと認識していたことが分かります。
 日本は、サンフランシスコ条約で千島列島の領有を放棄しました。「サンフランシスコ条約正文は英・仏・西語で、放棄したのはクーリールアイランズであって、それはウルップ以北である」との説明がまことしやかになされたことがあります。このような言葉の言い換えによる目先のダマカシが通用するはずもなく、1980年代に村山・和田氏により完全に否定され、今では、あまり言う人もいなくなっています。
 この絵葉書を見れば、日本政府の認識では、クーリールアイランズに国後・択捉が含まれていることが分かります。

大江健三郎裁判2008年06月20日

(掲示板に書いたものですが、Blogの方が良かったと思うので、こちらにも転載します。)

 昨日は外出したので、新幹線の中で、大江健三郎の名誉毀損裁判の判決書を読んでいました。読み終わらなかった。

 前半(95ページまで)は、原告・被告双方の主張が延々と続きます。95ページ以降213ページまでが『当裁判所の判断』です。綿密に、真面目に判断していて、裁判官の気合が感じられます。ページ数も原告・被告双方の主張よりも長い。
 独断で、裁判所の判断を要約すると、①梅沢、赤松が集団自決命令をしたと大江が判断したのは相当の理由がある。②集団自決は日本軍に促されたものであること、梅沢、赤松が集団自決に関与したことは推認できるが、命令をしたか否かについては両方の説があり、裁判で断定できない。③大江の著書は公益のために書かれたものである。 以上より、名誉毀損は成立しない。
 
 原告、あるいは、右翼の論客は本質的に誤った考えを持っているのではないだろうか、そんな気がします。「梅沢、赤松が集団自決命令をしたか否か」ということは、本来、歴史研究の問題です。綿密な歴史研究を怠って、法廷戦術で自分達の説をごり押ししようとしたけれど、それが排除された、そう感じます。
 名誉毀損には民事と刑事が有ります。どちらも、公益目的で真実を公表した場合は、名誉毀損は成立しません。刑事の場合は、公表したものが真実でないことを検察が立証する必要があります。しかし、民事の場合は、真実であることを被告側が立証する責任があります。歴史学の証拠と、裁判の立証には大きな違いがあります。歴史上の事実を裁判で証明することは、現実問題として不可能です。証人の証言を求めようとしても、全員故人だろうから。そういうことがあって、歴史学の定説であっても、裁判で立証することは、現実問題として不可能です。
 右翼弁護士らは、歴史学の定説を覆すために、裁判で立証できないことを持って、事実でないとしたかったのでしょう。『死人に口無し、自分たちに都合の悪いことは史実ではない』このような歴史の書き換えの目論みは失敗に終わった、今回の判決はそう読めました。

分りやすい例:
 ある少年が、社会の授業で、明智光秀は織田信長を裏切ったと習ったとします。この少年が、感想文として、「明智光秀は織田信長を裏切った、悪い人だ」と書いたとしましょう。そこで、明智の子孫が、少年を名誉毀損で訴えた場合、少年には名誉毀損が成り立つか。少年が、明智光秀が織田信長を裏切ったことを法廷で立証できなかった場合、『本能寺の変』が無かったことが史実として証明されたことになるか。
 極論すれば、今回の裁判は、そんな感じがします。

曽野綾子:
 よく知らないのですが、曽野綾子氏は故人でしょうか。生きていても、重病あるいは痴呆状態なのでしょうか。
 原告側は、曽野綾子の説-『鉄の暴風』は直接体験者の取材に基づいていない-にしたがって、『鉄の暴風』は史実ではないと主張しました。判決では、曽野綾子の説には疑問があるとされ、原告主張が退けられています(判決書P172)。
 曽野がデタラメ吹聴作家でないのならば、法廷に呼んで、曽野説の根拠を証言させればよいのに。それができなかったと言うことは、曽野は既に故人なのかなー。

ニワゼキショウ2008年06月22日


 近所の荒川河川敷(埼玉県川口市・東京都足立区の境界付近)で撮影しました。
 雑草にしては、ちょっとかわいい花です。上から見ると、6枚花弁が星型に並び、中央が黄色と、メリハリのある花姿です。高さ10cmぐらいなので、よほど這いつくばって見ない限り、写真のように横から見ることはあまりないでしょう。
 この花、観賞用に輸入されたものが、野生化したようです。河川敷には、春には、ナガミヒナゲシが咲いていましたが、これも、観賞用に輸入されたものが野生化したようです。ニワゼキショウの近くにはユウゲショウが咲いていましたが、これも、観賞用に輸入されたものが野生化したようです。

キツネノボタン2008年06月23日


 近所の荒川土手(埼玉県川口市・東京都足立区の境界付近)を散歩しました。キンポウゲ科のキツネノボタンの写真を撮りたかったためです。昨年同じ季節に見たとき、都市農業公園付近の荒川土手には、キツネノボタンがたくさんあったのに、今回、そこはアカツメクサの原になっていました。自転車で15分ぐらい走ったら、一輪だけキツネノボタンが咲いていました。

 埼玉県さいたま市田島が原の桜草公園では、サクラソウの季節(4月中旬)には、ヒキノカサが咲いていました。ヒキノカサもキンポウゲ科の植物です。また、先日、日光戦場ヶ原を散策したら、ウマノアシガタが咲いていました。こちらも、キンポウゲ科。キツネノボタン・ヒキノカサ・ウマノアシガタは一見したところ、どれもそっくりです。

 キンポウゲ科の植物には猛毒のものが多いので、安易に食べないでください。キツネノボタンもおそらく有毒だと思います。こんなの食べたと言う話を聞いたことないので、本当のところは知りませんが。

ヘラオオバコ2008年06月28日


 最近、川の土手や道端でよく見かける植物です。オオバコの雰囲気だけれど、茎の長さが50cmmぐらいと長く、花の形もだいぶ違います。葉も、オオバコに比べてだいぶ細い。
 ここ数年、急激に増えています。少年の頃はヘラオオバコを見たことは有りませんでした。このため、野草が好きな人でも、名前を知らない人も多いようです。
 オオバコは踏みつけに強いのに対して、ヘラオオバコは踏みつけにはそれほど強くは有りません。そのかわり、刈り込みに強いようで、定期的に刈り込まれるところに良く生えています。

オカトラノオ2008年06月29日


さいたま市田島が原の桜草公園は、サクラソウの自生地として有名です。この季節、サクラソウは咲いていません。
今は、オカトラノオが見ごろです。オカトラノオはそれほど珍しいものではないので、全国各地で見られると思います。

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