グルジアは、なぜ南オセチアを攻撃したのか2008年10月01日

南オセチア周辺の地図
 
(この記事は掲示板に書いたものの転載です)
 報道によると、10月22日にEU主催で、ロシアとの戦闘で社会基盤などに大きな被害が出たグルジアの復興支援のための国際会議が開かれるそうです。ロシアとグルジアが戦闘に至ったそもそものきっかけは、グルジアが南オセチアを攻撃し、数百人かそれ以上の南オセチア住民を殺害したことでした。グルジアは、なぜ、南オセチアを攻撃したのか、不思議でなりません。

9月17日の朝日新聞(asahi.com)の記事『ロシアの侵攻準備、盗聴で察知し先手-グルジアが説明』によると 
 『8月のロシアとの軍事衝突のきっかけとなったグルジア軍による南オセチア自治州進攻について、グルジア政府が自治州の親ロシア分離派政府兵士の携帯電話の盗聴記録から、ロシア軍がグルジアへの侵攻態勢を整えた、と判断して先手を打った、と欧米諸国に説明していることが分かった。サアカシュビリ大統領も16日の記者会見で認めた。・・・朝日新聞がグルジア内務省から入手した録音記録によると、同国の情報機関が盗聴したのは8月7日未明に南オセチア・ロシア国境のトンネル付近にいた分離派政府警備兵と州都ツヒンバリの警備本部の通話。午前3時41分と同52分からの2回計2分21秒間のオセット語の会話で、同省の英訳によると、警備兵が「彼ら(ロシア兵)は装甲車を動かし、トンネルの中はいっぱいだ」などと話していた。 』とのことです。

 ロシアから南オセチアに行く道は1本だけで、国境にはトンネルがあります(図の青矢印)が、地図を見ると、ロシア側からも一本道で繋がっているだけなので、大規模な軍の移動があったならば、衛星写真から、丸見えです。Google Mapの衛星写真を見ると、ロシア側からの道路が丸見えで、通行中の乗用車も写っています。しかし、米国からは、大規模な軍の移動があったとの報道はないので、グルジアの嘘であることは間違いありません。
 グルジア政府は、時代錯誤の見え透いた嘘をついています。

根室旅行2008年10月06日

2泊3日で根室近辺の旅行をしてました。

10月3日:
 中標津空港から、最初に、「上武佐ハリストス正教会」にちょっとだけ立ち寄りました。中を見学したいとも思ったのですが、信者でもないのに、野次馬的見学は感心しないので、庭で一礼しただけで、退散しました。
 それから、標津町の北方領土館へ。客は誰もいなかったのですが、私が行くと、係りの人が電気をつけてくれました。
 次に、別海町の北方領土展望台へ。この建物、1階は道の駅で、2階は北方領土資料展示館、3階は展望室になっています。私が行った時、駐車場に他の車もありましたが、外の自販機を利用しただけのようで、建物の中に客はいませんでした(道の駅の売店を含めて)。
 その後、野付半島の砂嘴へ。国後島が良く見えます。会津藩士の墓か何かを見ました。大きな碑がたっていました。暗くなってから、ホテルへ。

10月4日:
 再び、野付半島の砂嘴へ。ホテルに戻って朝食。
 根室に移動して、ニ・ホ・ロ(北方四島交流センター)へ。立派な建物で、職員や掃除の人が何人もいましたが、客は誰もいませんでした。でも、外の広場は、運動会のテントの設営の人が何人か仕事をしていました。
 次に、花咲の郷土資料館へ。係りの人が一人いました。
 続いて、納沙布岬へ。昼食。
 昼食後、北方館・望郷の家に入ると、1Fに観光客が結構いました。流行っているなーと思ってよく見ると、皆さんトイレを利用しているだけでした。2Fの展示スペースに行くと、誰もいませんでした。でも、しばらく展示を見ていたら、おじさんが一人来ました。私の他にも北方領土関連の展示を見る人がいるー。すごーい。
 納沙布岬には北方領土返還を主張する碑が幾つも建っています。その多くは、右翼団体が立てたもの。建立の日付も神武天皇皇紀で記載されているものがあり、そんなのいつのことか分らないよー、と言いたくなります。それから、納沙布岬には笹川が作った大きな塔が建っていますが、ここには入りませんでした(有料なので)。
 クナシリメナシの戦いで殺害された和人の立派な慰霊碑が納沙布岬に建っています。この碑のレプリカがニ・ホ・ロに展示してありました。ノッカマップに移動して、クナシリメナシの戦いで殺害されたアイヌの慰霊式(ノッカマップ・イチャルパ)の場所を見たかったのですが、分りませんでした。「殺害されたアイヌに記念碑はない。茫々たる岡が粗末な墓標だ。」それから、ノッカマップにはチャシ跡(アイヌの遺跡)があるので、見たかったのだけれど、道が笹に覆われて不明になっていたので、行けませんでした。
 根室市内で高田屋嘉兵衛の銅像を見学した後、市庁舎隣の公園でラックスマン来航記念碑を探しました。わからないー。

10月5日:
 納沙布岬で日の出を見たかったのですが、寝坊。ふたたび、ラックスマン来航記念碑を探しに、公園へ。公園中央の大きなモニュメントがそれでした。説明が小さくて見落としていました。日の出には間に合わないけれど、再び納沙布岬へ。ここにも、チャシ跡があるので、雑草を掻き分けて、標柱が立っているところまで行きました。
 その後、納沙布を後にして、標津町ポー川史跡自然公園へ(有料310円)。カリカリウス遺跡には、アイヌの住居が復元されていました。また、資料室には石器や擦文土器が展示されていました。知識が無いので、縄文土器との違いが分らないのですが。
 その後、再び中標津空港から帰宅。

 北方領土問題関連施設は、結構な金をかけているようだけれど、客がいない。和人の業績・苦労をたたえる碑はあるが、アイヌの歴史は無視ないし軽視されている。
 それから、かつて、反ソ感情を子供達に植え付ける教育が行われていたそうですが、今では、そういうことは少なくなっているようです。根室近辺ではロシアの存在を無視して、経済を成り立たせることが困難になっているのだと思います。

 旅行中に撮った写真など、これから紹介してゆきます。

ハマナス2008年10月08日

ハマナス


根室近辺を旅行したときに撮ったものです。
野付半島の原生花園にありました。そこらじゅうハマナスだらけ。
ハマナスの実は可食のはずなのに、また、付近には野鳥も多いのに、食べられている実はなく、不思議です。よほど不味いのかなー。

看板2008年10月09日

 
 根室や別海町の道路には、ところどころに、北方領土返還の看板が立っています。道路から良く見えるよう、大きな看板なのですが、ここには人よりも牛の方がたくさんいました。標語は「返せ!北方領土」のほかに「信頼と平和を築く四島返還」もあります。

 根室や別海町の道路にはこのような看板がいくつもあったのですが、標津町には見あたりませんでした。

右翼2008年10月10日

右翼が建てた碑
 
 日本国最東端は納沙布岬です。ここには、北方領土奪還を訴える碑が、いくつも建っています。ほとんどは、右翼が立てたもの。写真の碑は、日本青年社が皇紀2644年(昭和59年)に建てたもの。
 日本青年社とは「祖国を愛する同胞の情熱と団結を以て内外の不正と戦い占領憲法とポツダム体制を打破し必ず国体を明徴にする(日本青年社綱領より)」団体だそうです。

 この碑の年号は、「神武天皇皇紀」の他に「昭和」も書いてあるので、私にも分かったのですが、中には、皇紀しか書かれてていないものもありました。皇紀なんて、わからないよー。


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お詫びと訂正

10月10日のBlog記事で、日本青年社の説明として、日本青年社HPの説明のみを記載しました。

この碑を建てた、日本青年社は、暴力団住吉連合(現:住吉会)本部長、住吉一家小林会会長の小林楠扶が作った右翼団体で、指定暴力団住吉会の西口茂男総裁が最高顧問を務めています。このような、団体の一方的宣伝文をコメント無しに掲載することは、不要な誤解を与えることでした。

軽率な記述をお詫びし、日本青年社は、指定暴力団住吉会傘下の右翼団体であること、また、この碑に刻まれている文字は、暴力団住吉一家の小林楠扶の筆によるものであることを指摘し、記事の訂正とさせていただきます。

また、北方領土問題解説のホームページにも、同様な記述をしました。既に訂正しています。不適切な記述をお詫びします。

(2008年10月21日)

右翼2008年10月11日

不法看板


 花咲から納沙布に至る道路脇には、右翼が不法に立てた看板が散見されます。
 見るからに古そうで、汚らしい看板です。看板の前には、道路管理者の警告文が立てられていました。
注意  
 当該地は道道根室半島線の道路区域です。
道路区域内には許可を受けずに立看板を設置す
ることはできませんので、設置した方は早急に 撤去してください。
 なお、撤去しない場合は、管理者が撤去する ことがあります。

                北海道釧路土木現業所
                 根 室 支 庁
 道路管理者の警告看板にも、錆が出ていました。
 右翼は、いいかげんに看板を立ててほったらかし、道路管理者も…。
 これが、返還運動の実情なのでしょう。

北方領土問題啓発施設-北方四島交流センター(ニ・ホ・ロ)2008年10月11日

ニ・ホ・ロ
 
 
北方領土問題の啓発施設で一番大きなものは北海道立北方四島交流センター(通称ニ・ホ・ロ)です。定員200人の交流ホールを始めとして、幾つかの多目的室、調理実習室、展示室、展望室などがあり、北方領土問題啓発事業のほかに、四島交流の拠点となっています。

建物は2階建てで、1階から2階へは障害者も利用できるスロープがある、立派な建物で、職員の人や掃除の人など数人の人が働いています。外には、大きな駐車場があります。10月の土曜日に訪ねたら、広い駐車場には、職員の車と思われる数台の車が駐車してあるだけで、ガランとしていました。建物の中に入ると、見学者は誰もいませんでした。一時間近く見学していたのに、他に見学者は誰も来ませんでした。

北方領土問題啓発施設-北方館・望郷の家2008年10月12日

北方館・望郷の家
 
納沙布岬に立つ、「北方館・望郷の家」は2つの建物が2階でくっついた構造をしています。向かって右側が、独立行政法人北方領土問題対策協会の「北方館」で、左側が、千島歯舞諸島居住者連盟がたて、現在は根室市が所有する「望郷の家」です。

納沙布岬は、一応、観光地なので、人もそれなりにいて、「北方館」の1階ロビーには、人だかりがありました。でも、良く見ると、皆さん、トイレを利用していただけ。2階の展示室に入ると、人は誰もいませんでした。写真は、2階の展示室。2階は、北方館と望郷の家がくっついた構造になっているので、写真にはどちらも写っています。

北方領土問題啓発施設-北方領土館2008年10月12日


標津町には北方領土館があります。この施設は北方同盟がつくって、標津町が委託管理しています。
金曜日の昼間に訪ねたとき、電気もついていませんでしたが、見学を申し出ると、点灯してくれました。

1Fは動物や鳥の剥製の展示で、2Fは北方領土問題の解説や、四島交流の写真、雑誌の展示などです。ここからは国後島が良く見えますが、展望スペースには双眼鏡が備え付けてあります。

北方領土問題啓発施設-別海北方展望塔2008年10月13日

別海北方展望塔
 
パーキングエリアに建てられています。1階は道の駅で、2階は北方領土資料展示館、3階は展望室になっています。2階の資料展示は他館と同様なパネルによる解説が中心で、場所も狭く、特に見るべきものはありません。3Fは双眼鏡が何台か設置してあって、ガラス越しに国後島を見るようになっています。私が行った時、建物の中に客はいませんでした(1Fの売店を含めて)。

ここには、UIゼンセン同盟の看板が掲げられていました。UIゼンセン同盟とは、繊維産業関連の労働組合で、組合員からカンパを集めて、標津町や別海町などに、贈与しているので、この展望塔にも、何らかの資金が贈られているのでしょう。

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