北方領土に残留した日本人 ― 2009年01月21日
1月20日の中央日報(韓国の新聞)日本語版の記事によると、日本が朝鮮を植民地にしていた時代に、サハリンに徴用され、現地に残留した韓国人126人が釜山に永住帰国するそうです。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=110295
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=110353
日本の敗戦にともなって、サハリン(樺太)や千島は、ソ連占領地となりましたが、占領当初は帰国することが許されませんでした。日本政府はGHQに、日本人の帰国を要請し、その結果、1946年12月、GHQとソ連との間で日本人希望者全員の引き上げが合意され、1949年7月までにほぼ全員の日本人が帰国しました。しかし、朝鮮国籍の人など日本国籍を持っていなかった人は、帰国することができず、日本人でも、帰国できない朝鮮国籍の人と結婚した人や、ロシア人と結婚した人など、残留を希望する、わずかの人(千数百人)は、サハリン・千島に残留しました。
日本は北方領土の領有権を主張していますが、北方領土には、日本へ帰属することを望んでいる人は、ほとんど存在しません。これでは、日本の主張は認められないので、日本の主張が正しいと感じるように「全員強制的に本国に送還(北方館・望郷の家パネルの説明文)」などと、史実と異なる説明がまことしやかに語られました。全員が帰国したかのように言われたため、日本人残留者に対する支援は、ほとんどなされませんでした。
一方、サハリンなどに残留を余儀なくされた韓国人は、韓国が西側ブロックになりソ連との交渉ができなかったため、帰国することができませんでした。日本は、日本国籍を失ったとの理由で、韓国人の帰国に対して、何らの支援もおこないませんでした。
1989年からは、日本赤十字字を通した支援がおこなわれています。http://www.jrc.or.jp/kokusai/l3/l4/Vcms4_00000868.html
北方領土問題については、こちらを参照ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=110295
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=110353
日本の敗戦にともなって、サハリン(樺太)や千島は、ソ連占領地となりましたが、占領当初は帰国することが許されませんでした。日本政府はGHQに、日本人の帰国を要請し、その結果、1946年12月、GHQとソ連との間で日本人希望者全員の引き上げが合意され、1949年7月までにほぼ全員の日本人が帰国しました。しかし、朝鮮国籍の人など日本国籍を持っていなかった人は、帰国することができず、日本人でも、帰国できない朝鮮国籍の人と結婚した人や、ロシア人と結婚した人など、残留を希望する、わずかの人(千数百人)は、サハリン・千島に残留しました。
日本は北方領土の領有権を主張していますが、北方領土には、日本へ帰属することを望んでいる人は、ほとんど存在しません。これでは、日本の主張は認められないので、日本の主張が正しいと感じるように「全員強制的に本国に送還(北方館・望郷の家パネルの説明文)」などと、史実と異なる説明がまことしやかに語られました。全員が帰国したかのように言われたため、日本人残留者に対する支援は、ほとんどなされませんでした。
一方、サハリンなどに残留を余儀なくされた韓国人は、韓国が西側ブロックになりソ連との交渉ができなかったため、帰国することができませんでした。日本は、日本国籍を失ったとの理由で、韓国人の帰国に対して、何らの支援もおこないませんでした。
1989年からは、日本赤十字字を通した支援がおこなわれています。http://www.jrc.or.jp/kokusai/l3/l4/Vcms4_00000868.html
北方領土問題については、こちらを参照ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm
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