樺太国境標石 ― 2009年01月27日
日露戦争の結果、南樺太が日本に割譲されると、樺太中央部の北緯50度線が日露の国境になり、日本は4個の標石を設置しました。
4個には、それぞれ天第一号から天第四号と刻まれていました。さらに、幾つかのレプリカが作られ、そのうち、天第四号レプリカが神宮外苑の絵画館西側駐車場奥にあります。写真は、そのレプリカ。
日本の敗戦により、全樺太はソ連領に復帰したため、国境標石は取り除かれ、天第一号はユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館に、天第二号は根室市郷土資料館に展示されています。天第三号はサハリン州郷土博物館に有りますが、これはレプリカで現物は行方不明との説もあります。天第四号はサハリン在住の個人が所蔵しているそうです。
4個には、それぞれ天第一号から天第四号と刻まれていました。さらに、幾つかのレプリカが作られ、そのうち、天第四号レプリカが神宮外苑の絵画館西側駐車場奥にあります。写真は、そのレプリカ。
日本の敗戦により、全樺太はソ連領に復帰したため、国境標石は取り除かれ、天第一号はユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館に、天第二号は根室市郷土資料館に展示されています。天第三号はサハリン州郷土博物館に有りますが、これはレプリカで現物は行方不明との説もあります。天第四号はサハリン在住の個人が所蔵しているそうです。