安保闘争 ― 2009年06月19日
1960年の安保条約反対闘争で、もっとも痛ましい事件は、東大生・樺美智子さんの死亡です。
樺美智子さんの墓も多磨霊園にあります。墓標には高校生時代に作った詩が刻まれています。
樺美智子さんは、1960年6月15日のデモで全学連が国会に突入した際、警官隊と衝突して死亡しました。直接の死亡原因は圧死と言うことになっているけれど、右翼か警官隊が殺したのかもしれない。
学生運動がほとんど見かけられなくなった頃、極、まれに行われる学生のデモに遭遇したことがあります。場所は渋谷だった。警備の機動隊員が、学生デモ隊を蹴っていた。ばれないように、不必要な暴行。
その後、知ったのですが、右翼も機動隊員も優秀な学生に対して、ねたみ・ひがみの感情を持っていて、あわよくば痛めつけたいとの感情を持っていることも珍しくない。今でも、大学生がスピード違反で警察官に捕まると、警察官に八つ当たりして、警察官の頭の悪さをとことん言い立てる学生もいます。警察官は職務をこなさなくてはならないけれど、落ち込むよ。気の毒です。
東大の女子大生を見たら、中卒・高卒の右翼や警官隊が、ねたみを持つのもうなづけます。デモがなければ、映画でも見ていただろうに、エリートのおかげで、何で自分達が仕事する必要が有るんだ、と、癪にも触るでしょう。積極的に殺害したかどうかはわからないけれど、暴行に全く加担していないかというと、それも・・・・真相は永遠に闇の中。