成績と親の年収 ― 2009年08月05日
『成績と親の年収、比例する傾向 小6学力調査を国が分析』
新聞に『成績と親の年収、比例する傾向 小6学力調査を国が分析』との記事があります。統計を知らない人がこの記事を見ると、親の年収と子供の成績に因果関係が有るような錯覚を起こすでしょう。統計は人々を煽動する便利な道具であることを示す好例のような気もします。
まずは一般論。Aが原因でBが生じ、それとは別にAが原因でCが生じている場合を考えます。この場合BとCには強い相関が生じます。だからと言って、BとCに因果関係が有るかというと、そういうわけではない。
次に具体的に。親の成績がよければ(これをAと書く)、遺伝するから子供の成績は良い(これをBと書く)。成績が良いと、将来高収入(これをCと書く)に繋がる社会である。つまり、親の成績が原因で、子供の成績が結果であり、それとは別の事象として、親の成績が親の収入に繋がっている場合、統計調査上は、親の収入と子供の成績に強い相関が現われます。しかし、相関が強いからといって、両者にに因果関係が有ることを意味しているわけでは有りません。
親の成績が良い場合、子供の成績も良いことが多いでしょう。脳は遺伝するので。
では、親が子供のころ努力して成績を上げた場合と、サボっていたのに運良く高収入になった場合とを比べたら、子供の成績にはどちらがプラスに働くのだろう。私は、前者であると固く信じているのだけれど、実際はどうなのでしょう。
新聞に『成績と親の年収、比例する傾向 小6学力調査を国が分析』との記事があります。統計を知らない人がこの記事を見ると、親の年収と子供の成績に因果関係が有るような錯覚を起こすでしょう。統計は人々を煽動する便利な道具であることを示す好例のような気もします。
まずは一般論。Aが原因でBが生じ、それとは別にAが原因でCが生じている場合を考えます。この場合BとCには強い相関が生じます。だからと言って、BとCに因果関係が有るかというと、そういうわけではない。
次に具体的に。親の成績がよければ(これをAと書く)、遺伝するから子供の成績は良い(これをBと書く)。成績が良いと、将来高収入(これをCと書く)に繋がる社会である。つまり、親の成績が原因で、子供の成績が結果であり、それとは別の事象として、親の成績が親の収入に繋がっている場合、統計調査上は、親の収入と子供の成績に強い相関が現われます。しかし、相関が強いからといって、両者にに因果関係が有ることを意味しているわけでは有りません。
親の成績が良い場合、子供の成績も良いことが多いでしょう。脳は遺伝するので。
では、親が子供のころ努力して成績を上げた場合と、サボっていたのに運良く高収入になった場合とを比べたら、子供の成績にはどちらがプラスに働くのだろう。私は、前者であると固く信じているのだけれど、実際はどうなのでしょう。
トムラウシ遭難考(6) ― 2009年08月08日
2009年7月中旬、北海道大雪山系トムラウシ山で、ツアー登山パーティー18人のうち、8人が遭難死亡する、痛ましい事故がありました。当時は、盛んに遭難報道があったけれど、1か月ほど経つと、新聞報道はほとんどなくなりました。しかし、実態が明らかになったとはいえない状況です。
トムラウシでは2002年7月にも同様な遭難がありましたが、当時の教訓が生かされていないようです。
2002年の遭難は、台風接近の天気予報だったのに登山を強行し、ガイド含む男女8人パーティーのうち一人が遭難死亡したものです。この遭難では、台風接近中に登山したガイドが過失責任を問われて、執行猶予付きの有罪になっています。また、このときは、遭難者を横目に、平然とやり過ごした他の登山者のマナーが批判されました。
2002年の遭難のあと、一部のガイドがツアー登山の危険性を指摘しています。
たとえば、http://homepage.mac.com/hirosis/watching/watch031022.html
今回トムラウシ遭難のツアー参加者がどのような人たちだったのか報道ではわかりませんが、ツアー登山には過去の教訓がまったく生かされていないようで残念です。
トムラウシの話はここまでとして。
昨年、尾瀬を散策しました。ツアー参加者と思しき一行の中には、100円ショップで買ったようなビニールカッパを着ている人がいて、こういう団体が遭難しても不思議はないように感じます。尾瀬は登山とはいえないような簡単なところかもしれないけれど、それに、山小屋は多く木道もあるけれど、風雨の時だってあるのだから、ビニールカッパが強風にあおられたら濡れて低体温になってしまう恐れがあります。万一このような状態になったら、「自分が困っているんだ、群馬県警は命がけで助けに来い」「群馬県民の税金でヘリを飛ばして救助に来い」とでも、叫ぼうとしているのだろうか。
山をなめきったツアー登山者が遭難したとき、私はどのように感じるだろうか。「ザマーミロ」と思わない自信はありません。
トムラウシでは2002年7月にも同様な遭難がありましたが、当時の教訓が生かされていないようです。
2002年の遭難は、台風接近の天気予報だったのに登山を強行し、ガイド含む男女8人パーティーのうち一人が遭難死亡したものです。この遭難では、台風接近中に登山したガイドが過失責任を問われて、執行猶予付きの有罪になっています。また、このときは、遭難者を横目に、平然とやり過ごした他の登山者のマナーが批判されました。
2002年の遭難のあと、一部のガイドがツアー登山の危険性を指摘しています。
たとえば、http://homepage.mac.com/hirosis/watching/watch031022.html
40名ほどの団体をガイド2人と添乗員1人で引率して、層雲峡から黒岳・旭岳経由で旭岳温泉まで縦走するというごく一般的なツアー登山だった。… 早朝からあやしい雲行きだったが、黒岳山頂へ登る途中で雨が降りだし、山頂に着くと強風に頬をたたかれた。登る途中で雨具を着るようにうながしたのだが、参加者のなかには100円ショップで売っているようなビニール合羽(しかも上着だけ)を着ている人もおり、疲労凍死の危険があるのでここから戻るように助言したが聞き入れてもらえなかった。…進むにつれて風はさらに強まり…秒速15~20メートルちかい強風になっていた。これ以上登山を続けるのは危険と判断し、縦走を中止して層雲峡にもどる旨を参加者に伝えたところ、大部分の参加者は納得したが、一部には登山中止に強硬に反対する参加者がいた。もしこのまま登山を続けたいのなら、グループから離脱し、「今後なにがあっても旅行会社とガイドにはいっさい損害賠償の請求をしない」と一筆書いてから行くようにと言ったところ、渋々、登山中止を受け入れた。
今回トムラウシ遭難のツアー参加者がどのような人たちだったのか報道ではわかりませんが、ツアー登山には過去の教訓がまったく生かされていないようで残念です。
トムラウシの話はここまでとして。
昨年、尾瀬を散策しました。ツアー参加者と思しき一行の中には、100円ショップで買ったようなビニールカッパを着ている人がいて、こういう団体が遭難しても不思議はないように感じます。尾瀬は登山とはいえないような簡単なところかもしれないけれど、それに、山小屋は多く木道もあるけれど、風雨の時だってあるのだから、ビニールカッパが強風にあおられたら濡れて低体温になってしまう恐れがあります。万一このような状態になったら、「自分が困っているんだ、群馬県警は命がけで助けに来い」「群馬県民の税金でヘリを飛ばして救助に来い」とでも、叫ぼうとしているのだろうか。
山をなめきったツアー登山者が遭難したとき、私はどのように感じるだろうか。「ザマーミロ」と思わない自信はありません。
人道援助 ― 2009年08月10日
1991年にソ連が崩壊すると、ロシアの社会は混乱し、特に、北方4島での生活は窮乏した。このような状況にあって、1992年から北方4島への人道援助が行われていた。今回、ロシア政府から、緊急の場合を除いて、人道援助は必要ないとの通告があり、日本政府もこれを了承した。
もともとの建前からすると、人道援助は、困窮している北方4島民を救済するための援助なのだから、ロシアの経済が好転すれば、援助が中止されることは当然です。中国製品が、ウラジオストック経由で北方4島に入っているのだから、中国製品を日本経由で送る必要性は、薄れていました。
ところが、北方領土返還運動関係者や一部マスコミ論調を見ると、ロシアの態度に批判的です。たとえば、8月9日の北海道新聞には、『四島人道支援 ロシアの姿勢は遺憾だ』との社説が有ります。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/181777.html
今回のロシアの方針は、日本が法律で北方領土を「わが国固有の領土」と明記したことに対する反発が背景にあることは容易に推測できるでしょう。でも、人道支援は、必要なければ、なくなる性質のものです。これまで、日本政府が予算を付けるものだから、人道援助の名のもとに不必要な税金の無駄遣いが行われていたにすぎません。
今後、ビザなし交流や墓参も縮小ないし廃止される運命にあるのかどうか、分りません。世界はビザなし観光を認める傾向にあるのだから、日本とロシアの間でビザなし観光を広く認める中で、解決すれば宜しいかと思っています。
北方領土関係者に限って日本政府が行うビザなし交流は、自然消滅させれば宜しいのではないか。北方領土問題が、国民に無関係な、旧居住者だけの問題ならば、旧居住者に限ったビザなし交流も良いだろうけれど、北方領土問題は広く国民全体の問題なので、今のビザなし交流は、廃止の方向で良いのではないだろうか。
もともとの建前からすると、人道援助は、困窮している北方4島民を救済するための援助なのだから、ロシアの経済が好転すれば、援助が中止されることは当然です。中国製品が、ウラジオストック経由で北方4島に入っているのだから、中国製品を日本経由で送る必要性は、薄れていました。
ところが、北方領土返還運動関係者や一部マスコミ論調を見ると、ロシアの態度に批判的です。たとえば、8月9日の北海道新聞には、『四島人道支援 ロシアの姿勢は遺憾だ』との社説が有ります。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/181777.html
今回のロシアの方針は、日本が法律で北方領土を「わが国固有の領土」と明記したことに対する反発が背景にあることは容易に推測できるでしょう。でも、人道支援は、必要なければ、なくなる性質のものです。これまで、日本政府が予算を付けるものだから、人道援助の名のもとに不必要な税金の無駄遣いが行われていたにすぎません。
今後、ビザなし交流や墓参も縮小ないし廃止される運命にあるのかどうか、分りません。世界はビザなし観光を認める傾向にあるのだから、日本とロシアの間でビザなし観光を広く認める中で、解決すれば宜しいかと思っています。
北方領土関係者に限って日本政府が行うビザなし交流は、自然消滅させれば宜しいのではないか。北方領土問題が、国民に無関係な、旧居住者だけの問題ならば、旧居住者に限ったビザなし交流も良いだろうけれど、北方領土問題は広く国民全体の問題なので、今のビザなし交流は、廃止の方向で良いのではないだろうか。
北方四島をロシア愛国観光特区に ― 2009年08月12日
いくつかの新聞では、イタルタス通信の引用として、色丹島を訪問していたロシアのミロノフ上院議長が、北方四島をロシア愛国観光特区に指定するようメドベージェフ大統領に提案したと述べた、とのニュースを伝えています。
ロシア国民が島々を訪れ、ここがロシアの領土で誰にも渡さないということを理解する、愛国的観光の必要性を強調したそうです。
さきごろ、日本では、北方四島を「固有の領土」と明記した北特法が成立したため、ロシアでは議会をはじめ、各方面で強い反発が起こっています。
ロシア国民が島々を訪れ、ここがロシアの領土で誰にも渡さないということを理解する、愛国的観光の必要性を強調したそうです。
さきごろ、日本では、北方四島を「固有の領土」と明記した北特法が成立したため、ロシアでは議会をはじめ、各方面で強い反発が起こっています。
トムラウシ遭難考(7) ― 2009年08月14日
2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で、ツアー登山パーティー18人のうち、8人が遭難死亡する、痛ましい事故がありました。
読売新聞に、旅行会社から、遺族らに遭難事故概要の説明文が送られたとの記事があります。
ビバーク地点が2箇所に分散したことと、登山客を長時間停滞させることになった理由が推定できます。
渡渉直後に一人の女性が動けなくなっが、そこはビバークには不向きな場所だった。しかし、低体温症で動かすのが危険な状態であると、経験豊富な吉川ガイドは判断したため、自分とともにそこにビバークすることにした。(吉川ガイドは、死亡しています。)
他にも、体調不良者が数名いたので、ビバークに多少適した場所に、多田ガイドが必死で運んだ。このとき、3人のガイドのうちの吉川は、北沼分岐付近で、最初に倒れた女性の介抱をしていたこと、松本は、渡渉中に転倒して体調不良だったため、ビバーク作業の戦力にならなかった。結局、多田ガイド一人で、多くの作業をすることになってしまったため、時間を費やすことになった。ただし、客の一人の野首氏が、ビバーク作業を手伝ったことが知られています。手伝う人がいたから、より安全な地点にビバークすることが出来たのでしょう。
以上、推定ですが、これで、ビバーク地点が2箇所に分散したことと、登山客を長時間停滞させることになった理由が説明できます。
それにしても、不思議なことは、野首氏以外の登山客が、ビバーク作業を手伝ったとの報道が無いことです。報告書では『ガイド2人のうち1人は、北沼分岐とトムラウシ分岐の間の雪渓を、女性客2人を背負って登り』となっていますが、なぜ、一人で女性客2人を背負って登ったのか。他の登山客が、背負ってあげれば、ビバーク作業はもっと短時間で終了したはずです。
渡渉中転倒し体力が低下したガイドは、松本ガイドです。登山客の一人は、停滞中に、渡渉中転倒し体力が低下した松本ガイドに対して、あれしろ・これしろと、怒鳴りつけていたようです。(詳細不明です。本人が普通に言っているつもりでも、周りから見ると怒鳴りつけまくっているように感じる物言いをする人もいるので、なんとも言えません。)
ビバーク以外の登山客が下山することになると、松本ガイドは、遭難救助要請を急ぎ、必死で下山しています。
登山客の一人、前田和子氏は松本ガイドと前トム平付近まで到達すると、携帯電話(Movaらしい)が通じることを知り、松本ガイドの依頼で、警察に救助要請の電話をかけました。このとき、松本ガイドはフラフラでロレツが回らない状態だったとか。この直前、前田和子氏は、松本ガイドに写真を撮るように依頼しています。松本は、断ったので、自分で、道標だけを撮ったとのことです。
遭難数日後の朝ズバだったと思うのですが、前田和子氏は、自分が写った記念写真を撮ろうとしたけれど、ガイドに断られたので、仕方なく、自分が写っていない写真で我慢したように伝えられていました。この報道が事実とすると、「観光が上手く行かないので、道警は命がけで助けに来い」といっているに等しく、登山者として、きわめて悪質です。
ところが、ウイキペディアでは、道新の引用として、「1人残されて迷い戻っても分かるよう写真を頼んだ」と書かれています。道が分るために撮影するのならば、自分が写っている必要は無いので、もし、これが事実とすると、フラフラなガイドに「自分はシャッターを押すのが面倒だから、かわりに、おまえ、写真を撮れ」と命じたことになりそうです。信じられません。
注)山岳ガイド資格保持者は吉川ガイドのみなので、多田・松本をガイドと書くのは不適当かも知れませんが、新聞報道等では3人ともガイドとしているので、ここでも、それに習いました。
なお、吉川ガイドは旅行業法に定められた添乗員(旅程管理業務を行う主任者)です。
読売新聞に、旅行会社から、遺族らに遭難事故概要の説明文が送られたとの記事があります。
文書によると、ガイド3人と客15人の一行が7月16日、避難小屋を出発して北沼分岐手前にたどり着いた際、北沼の水が、幅2メートルほどの川のようになって流出。ガイド2人が客を対岸に渡していたが、うち1人が転倒して全身をぬらした。女性客1人が渡り終えた後で動けなくなったため、この女性客と付き添いのガイド1人を残して、ガイド2人と客14人が先に進んだ。北沼分岐付近で川のようになっていた所の幅は2m程度なんですね。幅2mならば、深さはそれほどないだろうから、転倒しない限り、上半身が濡れることはなく、おそらく膝下程度でしょう。でも、ズボンの裾は確実に濡れたろうから、ジーンズのような乾きの悪い装備の人は、その後、急激に冷えたかも知れない。ウエアーの素材が気になります。
ガイド2人のうち1人は、北沼分岐とトムラウシ分岐の間の雪渓を、女性客2人を背負って登り、客4人とともにビバーク。さらに、救助要請のために、携帯の電波が届く場所を探しに南沼キャンプ地方面に歩いて行き、午後4時49分にメールで救助要請した。(2009年8月13日17時51分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090813-OYT1T00155.htm
ビバーク地点が2箇所に分散したことと、登山客を長時間停滞させることになった理由が推定できます。
渡渉直後に一人の女性が動けなくなっが、そこはビバークには不向きな場所だった。しかし、低体温症で動かすのが危険な状態であると、経験豊富な吉川ガイドは判断したため、自分とともにそこにビバークすることにした。(吉川ガイドは、死亡しています。)
他にも、体調不良者が数名いたので、ビバークに多少適した場所に、多田ガイドが必死で運んだ。このとき、3人のガイドのうちの吉川は、北沼分岐付近で、最初に倒れた女性の介抱をしていたこと、松本は、渡渉中に転倒して体調不良だったため、ビバーク作業の戦力にならなかった。結局、多田ガイド一人で、多くの作業をすることになってしまったため、時間を費やすことになった。ただし、客の一人の野首氏が、ビバーク作業を手伝ったことが知られています。手伝う人がいたから、より安全な地点にビバークすることが出来たのでしょう。
以上、推定ですが、これで、ビバーク地点が2箇所に分散したことと、登山客を長時間停滞させることになった理由が説明できます。
それにしても、不思議なことは、野首氏以外の登山客が、ビバーク作業を手伝ったとの報道が無いことです。報告書では『ガイド2人のうち1人は、北沼分岐とトムラウシ分岐の間の雪渓を、女性客2人を背負って登り』となっていますが、なぜ、一人で女性客2人を背負って登ったのか。他の登山客が、背負ってあげれば、ビバーク作業はもっと短時間で終了したはずです。
渡渉中転倒し体力が低下したガイドは、松本ガイドです。登山客の一人は、停滞中に、渡渉中転倒し体力が低下した松本ガイドに対して、あれしろ・これしろと、怒鳴りつけていたようです。(詳細不明です。本人が普通に言っているつもりでも、周りから見ると怒鳴りつけまくっているように感じる物言いをする人もいるので、なんとも言えません。)
ビバーク以外の登山客が下山することになると、松本ガイドは、遭難救助要請を急ぎ、必死で下山しています。
登山客の一人、前田和子氏は松本ガイドと前トム平付近まで到達すると、携帯電話(Movaらしい)が通じることを知り、松本ガイドの依頼で、警察に救助要請の電話をかけました。このとき、松本ガイドはフラフラでロレツが回らない状態だったとか。この直前、前田和子氏は、松本ガイドに写真を撮るように依頼しています。松本は、断ったので、自分で、道標だけを撮ったとのことです。
遭難数日後の朝ズバだったと思うのですが、前田和子氏は、自分が写った記念写真を撮ろうとしたけれど、ガイドに断られたので、仕方なく、自分が写っていない写真で我慢したように伝えられていました。この報道が事実とすると、「観光が上手く行かないので、道警は命がけで助けに来い」といっているに等しく、登山者として、きわめて悪質です。
ところが、ウイキペディアでは、道新の引用として、「1人残されて迷い戻っても分かるよう写真を頼んだ」と書かれています。道が分るために撮影するのならば、自分が写っている必要は無いので、もし、これが事実とすると、フラフラなガイドに「自分はシャッターを押すのが面倒だから、かわりに、おまえ、写真を撮れ」と命じたことになりそうです。信じられません。
注)山岳ガイド資格保持者は吉川ガイドのみなので、多田・松本をガイドと書くのは不適当かも知れませんが、新聞報道等では3人ともガイドとしているので、ここでも、それに習いました。
なお、吉川ガイドは旅行業法に定められた添乗員(旅程管理業務を行う主任者)です。
トムラウシ遭難考-遭難のマナー ― 2009年08月16日
2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で、ツアー登山パーティー18人のうち、8人が遭難死亡する、痛ましい事故がありました。このパーティーは危機に直面したときに、全員が人命救助を優先させようとしたのか、疑問です。
トムラウシでは2002年7月にも同様な遭難がありましたが、このときは、遭難者を横目に、平然とやり過ごした他の登山者のマナーが批判されました。『羽根田治/著 ドキュメント気象遭難』は、この事故を含めて、いくつかの気象が原因の遭難事故を調査し、まとめたものです。この本のあとがきに、登山者のマナーに対して以下の記述があります。
登山は気心の知れたメンバーで行うとの常識があったため、メンバーに病人が出た場合は、当然に登山は中止するか、パーティーを登山続行と病人看護の2つに分けるか、どちらかだろうと思っていました。でも、今回、遭難したパーティーはツアー登山と言って、まったく知らないもの同士をツアー会社が集めて、旅行スタッフが引率する形式です。個々のメンバーは金を払って登山旅行を提供されているのだから、他のメンバーに病人が出ても、あずかり知らぬところ、病人だけをツアーから排除すればよいということになります。病人だけが遭難者で、他のメンバーは遭難していないとの意識が生じても不思議はありません。病人は遭難者なのだから、ツアースタッフが遭難と認めて、警察に救助を求め、警察に何とかさせればよく、健康な人は遭難と関係ないので救助作業を手伝う必要はない、との意識が生じる可能性があります。普通の添乗員付き旅行は、そういうものなのかもしれませんが、登山は危険を伴うので、全員が協力しないと、健康な人も危なくなるのではないだろうか。何より、安易に救助を求めることになります。救助は、関係者が命がけで行うものなので、安易に救助を求めることを前提とした登山は、決して行ってほしくないものです。
トムラウシでは2002年7月にも同様な遭難がありましたが、このときは、遭難者を横目に、平然とやり過ごした他の登山者のマナーが批判されました。『羽根田治/著 ドキュメント気象遭難』は、この事故を含めて、いくつかの気象が原因の遭難事故を調査し、まとめたものです。この本のあとがきに、登山者のマナーに対して以下の記述があります。
ひとつ気になったことがある。"登山者の無関心さ"についてだ。そこに亡くなっている人がいるのに、あるいは今まさに死に直面している人がいるのに、「力になれないから」「救助隊に任せて」と言って知らん顔でその場を素通りしていく登山者というのは、いったいなんなのだろう。本書の取材を進めていくうちに、そういう登山者が少なからずいることを知り、正直言って驚いた。2009年7月16日のトムラウシ遭難では、他のパーティーは関係ありませんでした。しかし、遭難している事実認識が、パーティーのメンバーによって異なっていたのではないだろうか、疑問です。つまり、だれそれとだれそれが遭難したけれど、自分は遭難していない、との意識があったのではないかと思えるような節があります。
都会では、行き倒れたホームレスに人々がまったく関心を示さないことが、以前から問題になっている。今、それと同じようなことが山で起こっているという。登山者のモラルも地に落ちたものである。
山で困っている人がいたときに、自分のできる範囲でなにかしてあげようとするか、あるいは無視して通りすぎるか。問われているのは、救助できる技量・体力があるかないかという問題ではない。人としての心があるかないかだと思う。(羽根田治/著 ドキュメント気象遭難 あとがきより)
登山は気心の知れたメンバーで行うとの常識があったため、メンバーに病人が出た場合は、当然に登山は中止するか、パーティーを登山続行と病人看護の2つに分けるか、どちらかだろうと思っていました。でも、今回、遭難したパーティーはツアー登山と言って、まったく知らないもの同士をツアー会社が集めて、旅行スタッフが引率する形式です。個々のメンバーは金を払って登山旅行を提供されているのだから、他のメンバーに病人が出ても、あずかり知らぬところ、病人だけをツアーから排除すればよいということになります。病人だけが遭難者で、他のメンバーは遭難していないとの意識が生じても不思議はありません。病人は遭難者なのだから、ツアースタッフが遭難と認めて、警察に救助を求め、警察に何とかさせればよく、健康な人は遭難と関係ないので救助作業を手伝う必要はない、との意識が生じる可能性があります。普通の添乗員付き旅行は、そういうものなのかもしれませんが、登山は危険を伴うので、全員が協力しないと、健康な人も危なくなるのではないだろうか。何より、安易に救助を求めることになります。救助は、関係者が命がけで行うものなので、安易に救助を求めることを前提とした登山は、決して行ってほしくないものです。
トムラウシ遭難考-装備 ― 2009年08月17日
2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で、ツアー登山パーティー18人のうち、8人が遭難死亡する、痛ましい事故がありました。パーティーの装備が死亡と密接に関係していることは容易に推定できますが、装備は断片的な報道があるだけです。
8月16日、読売新聞では、テントを持っていなかったと報じられています。
多田ガイドは野首氏とともに、動けなくなった3人を簡易テント(ツエルト)に収容し、保温につとめた。さらに救援要請のために出かけた、南沼キャンプ場付近で、もっとしっかりしたテント(コールマンの重いテントのようです)が置かれているのを見つけたので、それを持ち帰って、野首氏とともにテントを立てた。以上が真相のようです。
8月16日、読売新聞では、テントを持っていなかったと報じられています。
北海道・大雪山系のトムラウシ山(2141メートル)で先月16日、東京の旅行会社が企画した縦走ツアーの参加者ら18人が遭難、計8人が凍死した事故で、同行ガイドらは当初、風雨をしのぐためのテントもなく、低体温症で動けなくなったツアー客と山頂付近でビバークしていたことがわかった。(2009.8.16読売新聞)『風雨をしのぐためのテントもなく』と書いてあるけれど、風雨をしのぐための簡易テント(ツエルト)を持っていたようです。 http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/img_0002.pdf
多田ガイドは野首氏とともに、動けなくなった3人を簡易テント(ツエルト)に収容し、保温につとめた。さらに救援要請のために出かけた、南沼キャンプ場付近で、もっとしっかりしたテント(コールマンの重いテントのようです)が置かれているのを見つけたので、それを持ち帰って、野首氏とともにテントを立てた。以上が真相のようです。
トムラウシ遭難考-戸田新介氏 ― 2009年08月18日
2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で、ツアー登山パーティー18人のうち、8人が遭難死亡する、痛ましい事故がありました。一般に、この手の事故では、生存者はあまり語りたがらないことが多いのですが、今回の遭難では、生還した戸田新介氏がマスコミにいろいろと当時の状況や、自身の見解を述べています。戸田氏の他に、前田氏・亀田氏・野首氏らの証言も知られています。このような証言は、事故を解明し、今後の事故防止に重要です。ただし、警察の捜査中という事もあり、ガイドの証言が、あまり分っていません。
インターネットページには、報道や証言をまとめて、現時点で分っているところを、まとめている有用なページがいくつかあるようですが、以下のページはその中でも、一番良くまとめられています。
http://subeight.files.wordpress.com
注)私のBlogは事故概要をまとめたものではなくて、事故に関して私が思うところを書いているものです。
上記、インターネットページに『戸田新介様のご意見』が記載されています。
http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/document.pdf
この、戸田新介様と、今回のトムラウシ遭難で生還した戸田新介氏は同一人物なのか、別人なのか、私にはわかりませんが、ここに記載された意見は、遭難に対する一つの意見として参考になります。一部を引用すると以下のように書かれています。
これまでの登山の常識とはかけ離れた意見のように感じます。
登山メンバーの中に遭難者が出た場合、全員が、その能力に応じて、人命救助に最大限の努力をすべきであることは、人間として当然の責務です。
数人で登山をしているとき、パーティーのメンバーに何らかのアクシデントが起こったとします。たとえば、一人が岩場から転落して、崖下に、血を流して倒れているようなことは、まれに起こります。起こってはいけないことですが。このようなとき、メンバーに、岩登りの技量があるものがいたら、遭難者の所に下りてゆき、人命救助のための応急処置を図るでしょう。その間、岩登りの技量の無いメンバーは、遭難救助のサポートに全力を尽くします。登山技量は人によって違うので、ほとんど戦力にならない人がいることもあるかもしれませんが、それぞれ、できる範囲で全力を尽くします。上から見た感じ、ほぼ確実に事切れているだろうと思っても、一縷の望みを託して、人命救助に最大限努力することは言うまでも有りません。『どうせ死ぬから、救助隊を要請して、自分たちは登山を続けよう』などと考える人は、普通の登山者には絶対にいないでしょう。遭難者が出た場合、1%でも生存の望みがあるならば、生存のため、全力を尽くすことは登山パーティーの最低の責任で、人間としての当然の責務です。
戸田新介様の文章はどのような状況での記述なのか詳細は分りませんが、一般に生存の可能性がほんの少しでもある場合に、『冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべき』などと平然と言い放つのは、人間の仮面をかぶった鬼畜の言い分に感じます。
なお、多田ガイドは他の登山客を待たせているとき、動けなくなった石原大子氏・植原鈴子氏を北沼南部のビバーク地点に一人で背負って移動させ、そこでビバークさせていました。植原鈴子氏は残念ながらお亡くなりになりましたが、石原大子氏は翌日救助され無事生還を果たしています。
北沼のビバーク地点(2地点)でお亡くなりになったのは、登山客3人とガイド1人です。残された遺族の悲しみは、想像も出来ません。ガイドだけではなく、一部同行登山者も必死になって助けようとしたけれど、その甲斐空しくお亡くなりになりました。寒い中、皆に打ち棄てられて死んだのではないことが、遺族にとっては、唯一の救いでしょう。どうして、『冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべき』などと、平然と書く人がいるのでしょう。このような意見だとしても、もう少し違った書き方も有るだろうに。
http://subeight.files.wordpress.comは、今回のトムラウシ遭難が良くまとめられており、その点は評価できるのだけれど、こんな意見をコメント無しに掲載しているところが、情けなくなります。
ところで、『今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない』と書いてあるけれど、これは、どういう意味なのでしょう。遭難事故現場を想像すると、書かれた意味が、私には理解できませんし、同じ状況に自分が置かれたとき、このようになることは考えられません。目の前に、低体温で寒がって異常をきたした人がいるんですよ。普通に、人間の心があるならば、何とか助けたいと思うでしょう。必死で手足をさするとか、自分の持っているコンロ(ストーブ)でお湯を沸かして飲ませるとか。休んでいる余裕は無く、体を動かさなくてはならないので、それだけで体がホテッテくると思います。
「異常をきたしているなど知らなかった」「手伝いを求められなかった」。後になって、そのように言うことは十分可能で、実際にそうだったかもしれないし、法的には、それで十分でしょう。人命救助の介護を自主的に手伝った登山客が1名存在したことが知られています。他の人はどうしていたのでしょう?
体が弱くて、そういった作業が出来ない人もいるかもしれません。でも、寒いのが分っているならば、なぜ、余分に服を着ないのでしょう。雨が降っていて雨具を脱ぐのが嫌だった可能性が有ります。でも、数人の人がいるんですよ。ビニールシートか何かで、雨をよけるようにすれば、余分に着ることは十分に可能だったはずです。風が強くてシートが広げられないならば、人が並んで風除けになるなど、何か出来たはずです。他人のためには指一本動かさないとの信念の人が、固まっていたのでしょうか? それより何より、じっとしていて寒いのならば、ラジオ体操でもして、体を動かせばよいのに。
登山とは、山を歩くものだけれど、昼食のときは停滞するし、その他、休憩時に停滞することは当然です。長めの休憩で体が冷えるならば、ウエアーを余分に着ることは、当たり前です。停滞していると体が冷えてどうしようもない状態になっているということは、著しい装備不足で、既に遭難必至の状況です。
ガイドが登山客を待たせた場所は、滑落・転落・雪崩・落石などの危険性が無い安全な場所です。雨が降っていた・風が吹いていた・気温が低かったなどの理由をあげる人がいるかもしれません。でも、こんなの、田舎のバス停は、どこでも似たような状況です。
と言うことで、この文章、実際にその現場にいた、赤い血の通った人間が書いたものとはちょっと考え難いように感じます。遭難から無事生還した戸田新介氏とは別人が書いているのではないだろうかと想像しています。
また、戸田新介様の意見では、以下のようにも書かれています。
『この文書』とは、アミューズ・トラベルの見解『トムラウシ山の遭難事故の経過について』のことで、旅行会社が事故関係者・遺族に遭難事故の経過を説明したものです。
かけがいの無い肉親を失った遺族が一番知りたいことは、肉親の死亡状況はどんなものだったかということでしょう。旅行会社はこの点を誠心誠意、遺族に明らかにする責任があります。北沼の2箇所のビバーク地点でなくなった登山客は3人で、この人たちの様子は多田ガイドが見ているので、会社側の説明は多田ガイドの説明に沿っています。下山途中に亡くなった4名については、死亡状況をガイドは見ていません。このため、会社の説明では、登山客の一人である斐品氏の言を引用しているのでしょう。
下山途中で亡くなった4名の遺族の方々にとって、一番重要な部分は、斐品氏の言であることに、間違い有りません。
戸田新介様の見解は、『2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう』と、死者の遺族に対する思いやりの微塵のかけらも見えない、自己中心的解釈です。さらに、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』とは、遺族の心の傷に塩を塗りこむかのごとき文章に感じます。戸田新介様の自己中心的利益のためには、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』と考えたのかもしれませんが、もしそうならば、『自分の利益には関係ない』と書けばよいのに。
インターネットページには、報道や証言をまとめて、現時点で分っているところを、まとめている有用なページがいくつかあるようですが、以下のページはその中でも、一番良くまとめられています。
http://subeight.files.wordpress.com
注)私のBlogは事故概要をまとめたものではなくて、事故に関して私が思うところを書いているものです。
上記、インターネットページに『戸田新介様のご意見』が記載されています。
http://subeight.files.wordpress.com/2009/07/document.pdf
この、戸田新介様と、今回のトムラウシ遭難で生還した戸田新介氏は同一人物なのか、別人なのか、私にはわかりませんが、ここに記載された意見は、遭難に対する一つの意見として参考になります。一部を引用すると以下のように書かれています。
自分は停滞の時間を2時間と見ています。会社は30分としたいのだと思います。この時間が自分は低体温症に次々とかかった原因だと思っています。会社はそれを避けたいのでしょう。今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない。そして少しでも調子が悪かった人から低体温症にかかったと思います。7人は死ななくてよかったのにと思います。ガイドはケアなるものに熱中していたのです。ガイドは全体の安全を考えるという1番重要な任務を忘れていたのだと思います。自分は初めからこのことは言っています。待機すれば彼女が回復するとおもったのでしょうか。出発から何度も繰り返して、ついに彼女が眠り込みそうになりあわてたのでしょう。自分は何が起こっているのかはよく分からなかったが、自分が叫ばなければ彼女が冷たくなるまで停滞したかもしれません。見殺しにすることは忍びないとガイドは言っていたと社長は言う。この場合についてなのかはわからないが、ことは同じだと思います。これが言い訳になると思っているのでしよう。ガイドの任務はそんなところにはないと思います。冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべきです。しかしかれらはこの点で何もしなかったと言えると思います。故障者のケアなるものに取り紛れて全体の安全をまったく考えなかったと思います。頭を使えと言っているのです。
これまでの登山の常識とはかけ離れた意見のように感じます。
登山メンバーの中に遭難者が出た場合、全員が、その能力に応じて、人命救助に最大限の努力をすべきであることは、人間として当然の責務です。
数人で登山をしているとき、パーティーのメンバーに何らかのアクシデントが起こったとします。たとえば、一人が岩場から転落して、崖下に、血を流して倒れているようなことは、まれに起こります。起こってはいけないことですが。このようなとき、メンバーに、岩登りの技量があるものがいたら、遭難者の所に下りてゆき、人命救助のための応急処置を図るでしょう。その間、岩登りの技量の無いメンバーは、遭難救助のサポートに全力を尽くします。登山技量は人によって違うので、ほとんど戦力にならない人がいることもあるかもしれませんが、それぞれ、できる範囲で全力を尽くします。上から見た感じ、ほぼ確実に事切れているだろうと思っても、一縷の望みを託して、人命救助に最大限努力することは言うまでも有りません。『どうせ死ぬから、救助隊を要請して、自分たちは登山を続けよう』などと考える人は、普通の登山者には絶対にいないでしょう。遭難者が出た場合、1%でも生存の望みがあるならば、生存のため、全力を尽くすことは登山パーティーの最低の責任で、人間としての当然の責務です。
戸田新介様の文章はどのような状況での記述なのか詳細は分りませんが、一般に生存の可能性がほんの少しでもある場合に、『冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべき』などと平然と言い放つのは、人間の仮面をかぶった鬼畜の言い分に感じます。
なお、多田ガイドは他の登山客を待たせているとき、動けなくなった石原大子氏・植原鈴子氏を北沼南部のビバーク地点に一人で背負って移動させ、そこでビバークさせていました。植原鈴子氏は残念ながらお亡くなりになりましたが、石原大子氏は翌日救助され無事生還を果たしています。
北沼のビバーク地点(2地点)でお亡くなりになったのは、登山客3人とガイド1人です。残された遺族の悲しみは、想像も出来ません。ガイドだけではなく、一部同行登山者も必死になって助けようとしたけれど、その甲斐空しくお亡くなりになりました。寒い中、皆に打ち棄てられて死んだのではないことが、遺族にとっては、唯一の救いでしょう。どうして、『冷徹に全体の安全を図ることだけをかんがえるべき』などと、平然と書く人がいるのでしょう。このような意見だとしても、もう少し違った書き方も有るだろうに。
http://subeight.files.wordpress.comは、今回のトムラウシ遭難が良くまとめられており、その点は評価できるのだけれど、こんな意見をコメント無しに掲載しているところが、情けなくなります。
ところで、『今まで元気であった人が風と雨のもとで休んでいるつらさは動いている人からは分からないかもしれない』と書いてあるけれど、これは、どういう意味なのでしょう。遭難事故現場を想像すると、書かれた意味が、私には理解できませんし、同じ状況に自分が置かれたとき、このようになることは考えられません。目の前に、低体温で寒がって異常をきたした人がいるんですよ。普通に、人間の心があるならば、何とか助けたいと思うでしょう。必死で手足をさするとか、自分の持っているコンロ(ストーブ)でお湯を沸かして飲ませるとか。休んでいる余裕は無く、体を動かさなくてはならないので、それだけで体がホテッテくると思います。
「異常をきたしているなど知らなかった」「手伝いを求められなかった」。後になって、そのように言うことは十分可能で、実際にそうだったかもしれないし、法的には、それで十分でしょう。人命救助の介護を自主的に手伝った登山客が1名存在したことが知られています。他の人はどうしていたのでしょう?
体が弱くて、そういった作業が出来ない人もいるかもしれません。でも、寒いのが分っているならば、なぜ、余分に服を着ないのでしょう。雨が降っていて雨具を脱ぐのが嫌だった可能性が有ります。でも、数人の人がいるんですよ。ビニールシートか何かで、雨をよけるようにすれば、余分に着ることは十分に可能だったはずです。風が強くてシートが広げられないならば、人が並んで風除けになるなど、何か出来たはずです。他人のためには指一本動かさないとの信念の人が、固まっていたのでしょうか? それより何より、じっとしていて寒いのならば、ラジオ体操でもして、体を動かせばよいのに。
登山とは、山を歩くものだけれど、昼食のときは停滞するし、その他、休憩時に停滞することは当然です。長めの休憩で体が冷えるならば、ウエアーを余分に着ることは、当たり前です。停滞していると体が冷えてどうしようもない状態になっているということは、著しい装備不足で、既に遭難必至の状況です。
ガイドが登山客を待たせた場所は、滑落・転落・雪崩・落石などの危険性が無い安全な場所です。雨が降っていた・風が吹いていた・気温が低かったなどの理由をあげる人がいるかもしれません。でも、こんなの、田舎のバス停は、どこでも似たような状況です。
と言うことで、この文章、実際にその現場にいた、赤い血の通った人間が書いたものとはちょっと考え難いように感じます。遭難から無事生還した戸田新介氏とは別人が書いているのではないだろうかと想像しています。
また、戸田新介様の意見では、以下のようにも書かれています。
この文書では2人のガイドの言っていることだけが実質上問題であるが、斐品氏の言が客観性を装うために利用されている。斐品氏の言がなければ2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう。だから修飾物ははずしてかんがえればよいと思います。幸い斐品氏の言はガイドたちの言とは関係のないところを述べているだけで、斐品氏の言を外しても差しさわりがないようです。
『この文書』とは、アミューズ・トラベルの見解『トムラウシ山の遭難事故の経過について』のことで、旅行会社が事故関係者・遺族に遭難事故の経過を説明したものです。
かけがいの無い肉親を失った遺族が一番知りたいことは、肉親の死亡状況はどんなものだったかということでしょう。旅行会社はこの点を誠心誠意、遺族に明らかにする責任があります。北沼の2箇所のビバーク地点でなくなった登山客は3人で、この人たちの様子は多田ガイドが見ているので、会社側の説明は多田ガイドの説明に沿っています。下山途中に亡くなった4名については、死亡状況をガイドは見ていません。このため、会社の説明では、登山客の一人である斐品氏の言を引用しているのでしょう。
下山途中で亡くなった4名の遺族の方々にとって、一番重要な部分は、斐品氏の言であることに、間違い有りません。
戸田新介様の見解は、『2人のガイドだけのいわば「言い訳」に過ぎないとみなされるのを防ごうというのでしょう』と、死者の遺族に対する思いやりの微塵のかけらも見えない、自己中心的解釈です。さらに、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』とは、遺族の心の傷に塩を塗りこむかのごとき文章に感じます。戸田新介様の自己中心的利益のためには、『斐品氏の言を外しても差しさわりがない』と考えたのかもしれませんが、もしそうならば、『自分の利益には関係ない』と書けばよいのに。
トムラウシ遭難考-自己責任 ― 2009年08月22日
トムラウシ中高年ツアー登山大量遭難から、1ヶ月以上経過し、関連する報道も少なくなりました。トムラウシ遭難事件に関して、登山は自己責任であるとの意見や、自己責任でないとの意見があるようです。両者は、どちらが正しいという問題ではなくて、視点の違いです。思いつくまま、2つの視点を記載します。
(1)損害賠償の場合
遭難事故が起こったとき、損害賠償の問題があります。この場合は過失割合に応じて損害賠償責任が生じます。遭難事故は単一要因の場合は少なく、ほとんどの場合は複合要因でしょう。大きく次の3つに分けます。
①自己過失 ②他者の過失 ③不可抗力
このうち、①③は損害賠償の対象にならず、損害賠償は損害額のうち②の他者の過失割合に応じて支払われます。すなわち②が全体の30%ならば、損害賠償額は損害金額の30%となります。このため、他者の過失割合を厳密に算定する必要があります。
「ガイドに過失があるから登山客に責任がない」「登山は自己責任だからガイドには責任がない」このような単純な見解は誤りです。
一般にスポーツ中の怪我の場合、日常生活に比べて不可抗力とされる部分が大きいようです。たとえば、道を歩いていて、暴漢にタックルされて転倒して骨折した場合は、相手に損害賠償責任が生じますが、ラグビーで相手のタックルで転倒して骨折した場合は、相手の過失ではなくて、不可抗力とされ、損害賠償の対象にならないことがあります。
登山もスポーツの一種なので、日常生活よりも不可抗力とされる部分が大きいかもしれません。「登山は自己責任」という場合、スポーツに伴う不可抗力の部分を日常生活の事故と分けていることもあるようです。
(2)登山技量の問題
登山は自分の足で歩かなくてはならないので、すべて、自己責任であると思って登山しないと危ないので、自己責任の意識がない人は登山すべきではありません。
一例として、ガイドを頼んで岩場を登攀することを考えてください。万一、転落しそうになったときにガイドが確保してくれるだろうけれど、自分の手足で登攀しなくてはならないので、自己責任で登攀できる能力がなければ、登攀すべきでないでしょう。
ところで、話は変わりますが、トムラウシ遭難の避難小屋利用に関して、北海道新聞に『遭難事故あったトムラウシ山 避難小屋で場所取り横行 支庁、禁止周知へ 』との記事があります。
『大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、8人が死亡した登山ツアーの一行が、最後に宿泊したヒサゴ沼避難小屋(定員30人)を訪れた。同小屋では、道外ツアー会社による「場所取り」が横行、小屋を管理する十勝支庁に一般登山者から苦情が寄せられている。同支庁は「悪天候時の緊急避難という小屋の利用目的に反する」として、ホームページで禁止を周知する方針だ。(北海道新聞8月20日) 』
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/183619.html
安全上の観点からも、安易な避難小屋利用の登山は止めてほしいものです。
(1)損害賠償の場合
遭難事故が起こったとき、損害賠償の問題があります。この場合は過失割合に応じて損害賠償責任が生じます。遭難事故は単一要因の場合は少なく、ほとんどの場合は複合要因でしょう。大きく次の3つに分けます。
①自己過失 ②他者の過失 ③不可抗力
このうち、①③は損害賠償の対象にならず、損害賠償は損害額のうち②の他者の過失割合に応じて支払われます。すなわち②が全体の30%ならば、損害賠償額は損害金額の30%となります。このため、他者の過失割合を厳密に算定する必要があります。
「ガイドに過失があるから登山客に責任がない」「登山は自己責任だからガイドには責任がない」このような単純な見解は誤りです。
一般にスポーツ中の怪我の場合、日常生活に比べて不可抗力とされる部分が大きいようです。たとえば、道を歩いていて、暴漢にタックルされて転倒して骨折した場合は、相手に損害賠償責任が生じますが、ラグビーで相手のタックルで転倒して骨折した場合は、相手の過失ではなくて、不可抗力とされ、損害賠償の対象にならないことがあります。
登山もスポーツの一種なので、日常生活よりも不可抗力とされる部分が大きいかもしれません。「登山は自己責任」という場合、スポーツに伴う不可抗力の部分を日常生活の事故と分けていることもあるようです。
(2)登山技量の問題
登山は自分の足で歩かなくてはならないので、すべて、自己責任であると思って登山しないと危ないので、自己責任の意識がない人は登山すべきではありません。
一例として、ガイドを頼んで岩場を登攀することを考えてください。万一、転落しそうになったときにガイドが確保してくれるだろうけれど、自分の手足で登攀しなくてはならないので、自己責任で登攀できる能力がなければ、登攀すべきでないでしょう。
ところで、話は変わりますが、トムラウシ遭難の避難小屋利用に関して、北海道新聞に『遭難事故あったトムラウシ山 避難小屋で場所取り横行 支庁、禁止周知へ 』との記事があります。
『大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、8人が死亡した登山ツアーの一行が、最後に宿泊したヒサゴ沼避難小屋(定員30人)を訪れた。同小屋では、道外ツアー会社による「場所取り」が横行、小屋を管理する十勝支庁に一般登山者から苦情が寄せられている。同支庁は「悪天候時の緊急避難という小屋の利用目的に反する」として、ホームページで禁止を周知する方針だ。(北海道新聞8月20日) 』
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/183619.html
安全上の観点からも、安易な避難小屋利用の登山は止めてほしいものです。