トムラウシ遭難考-団塊の世代 ― 2009年09月02日
7月16日、大雪山系トムラウシ山でツアー登山パーティーの大量遭難事故があった。詳しい状況は明らかになっていないが、メンバー全員が人命救助を優先させたのか疑問だ。
今回のトムラウシ遭難事故では、団塊の世代の人たちの道徳観念の低さが、事故を拡大した原因の一つではないだろうかと感じていたが、このような偏見に基づく書き方は控えていた。ところが、いろいろな人のBlogを見ていると、同じようなことを書いている人もいる。
『この大遭難事件の特徴は、参加者の年代が1940~50年生まれであること。したがって筆者より少し上の団塊世代だ。この世代は、戦後資本主義の爛熟期に人生の大半を過ごし、人間疎外の雇用関係に生きてきた。したがって、義務を履行することには慣れているが、他人に対する思いやりに欠けるところがあるようだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/3997302.html 』
人が社会生活を送るためには最低限の道徳が必要である。「犯罪を犯さない」は言うまでもないが、その他に「夜間騒がない」など、近隣トラブルを避けるために必要な最低限の道徳がある。登山は自然の猛威を相手にする必要があるので、日常生活に比べ、より高い道徳が必要になる。日常生活の場で、元々、高い道徳心を持った人は、山でも同じ道徳心を発揮すればよいが、日常生活を送る上で、ギリギリの道徳心しか持ち合わせていない人が、そのまま登山すると、危機に遭遇したときに、困った事態になりかねない。
ツアー登山は、金を払ってツアーに参加するのだから、ツアー登山客には、料金を支払う以外の義務はない。このため、ツアーが最悪の事態に陥った場合は、一方的にツアーから離脱することも可能だが、このような考えは、下界の最低の道徳で、要するに、人命が危機に陥ったときに「俺は関係ないから、勝手にしろよ、お前なんか死ねば良いだろ」と言っているに等しい。大自然を相手にして、非常事態が起こらないとも限らない登山の道徳とは相容れない。
今回、トムラウシ遭難事故で無事生還した人の中には、マスコミで多くの発言をしている人たちがいる。彼らの言を聞いていると、「人間疎外の雇用関係に生きてきた」ことから生ずる、最低の道徳を振りかざして、「俺はこんな立派な考えを持っているのだぞ」と、言っているように感じる人もいる。戦後復興期を生きたことに対して、彼らに責任は無いが、そうであるならば、彼らの最低の道徳心で事足りる世界にだけ生きて欲しい。人命救助の意志が乏しい人たちには、絶対に登山をしないで欲しい。
団塊の世代の中には、「人間疎外の雇用関係に生きてきた」人ばかりではないだろうし、そのような労働環境に生きたとしても、日常生活で人間疎外から解放されている人も多いだろう。だから、団塊の世代=「他人に対する思いやりに欠ける」と考えることはできない。しかし、団塊の世代の人たちを見ると、どうしても、道徳心が低い人の割合が多いような気がしてならないのです。
今回のトムラウシ遭難事故では、団塊の世代の人たちの道徳観念の低さが、事故を拡大した原因の一つではないだろうかと感じていたが、このような偏見に基づく書き方は控えていた。ところが、いろいろな人のBlogを見ていると、同じようなことを書いている人もいる。
『この大遭難事件の特徴は、参加者の年代が1940~50年生まれであること。したがって筆者より少し上の団塊世代だ。この世代は、戦後資本主義の爛熟期に人生の大半を過ごし、人間疎外の雇用関係に生きてきた。したがって、義務を履行することには慣れているが、他人に対する思いやりに欠けるところがあるようだ。 http://blogs.yahoo.co.jp/tokaiama/3997302.html 』
人が社会生活を送るためには最低限の道徳が必要である。「犯罪を犯さない」は言うまでもないが、その他に「夜間騒がない」など、近隣トラブルを避けるために必要な最低限の道徳がある。登山は自然の猛威を相手にする必要があるので、日常生活に比べ、より高い道徳が必要になる。日常生活の場で、元々、高い道徳心を持った人は、山でも同じ道徳心を発揮すればよいが、日常生活を送る上で、ギリギリの道徳心しか持ち合わせていない人が、そのまま登山すると、危機に遭遇したときに、困った事態になりかねない。
ツアー登山は、金を払ってツアーに参加するのだから、ツアー登山客には、料金を支払う以外の義務はない。このため、ツアーが最悪の事態に陥った場合は、一方的にツアーから離脱することも可能だが、このような考えは、下界の最低の道徳で、要するに、人命が危機に陥ったときに「俺は関係ないから、勝手にしろよ、お前なんか死ねば良いだろ」と言っているに等しい。大自然を相手にして、非常事態が起こらないとも限らない登山の道徳とは相容れない。
今回、トムラウシ遭難事故で無事生還した人の中には、マスコミで多くの発言をしている人たちがいる。彼らの言を聞いていると、「人間疎外の雇用関係に生きてきた」ことから生ずる、最低の道徳を振りかざして、「俺はこんな立派な考えを持っているのだぞ」と、言っているように感じる人もいる。戦後復興期を生きたことに対して、彼らに責任は無いが、そうであるならば、彼らの最低の道徳心で事足りる世界にだけ生きて欲しい。人命救助の意志が乏しい人たちには、絶対に登山をしないで欲しい。
団塊の世代の中には、「人間疎外の雇用関係に生きてきた」人ばかりではないだろうし、そのような労働環境に生きたとしても、日常生活で人間疎外から解放されている人も多いだろう。だから、団塊の世代=「他人に対する思いやりに欠ける」と考えることはできない。しかし、団塊の世代の人たちを見ると、どうしても、道徳心が低い人の割合が多いような気がしてならないのです。