トムラウシ遭難考-ゴアテックスのレインウエア (4)2009年10月05日

 10月3日土曜日、日本テレビ夕方の『所さんの目がテン』で、登山中の低体温症の実験をしていました。  Tシャツ一枚の人とTシャツの上に3枚重ね着をした人に、富士山に登ってもらう。その結果、重ね着をした人が低体温症になった、との内容です。  解説によれば、厚着をすると発汗で、衣類を濡らして、その結果、低体温症になるとのことです。
 この番組は、低体温症の原因を理解する上で参考になるのですが、登山の常識からちょっと外れるところも有ります。汗をかいたからといって、それで濡れるかどうかは、ウエアーの材質に関係しています。また、下着が濡れた場合、着替えればよいので、登山中に着替えをするかどうかも関係しています。(私は、登山中下着を着替えることが有りますが、そういう人は、あまり見かけません。)汗で濡れて低体温症になるかどうかは、厚着かどうかの他に、ウエアーの材質等に大きく関係することです。

 今回のトムラウシ遭難では、死亡した登山客全員が、下着まで濡れていたとの報道があります。まともな雨具を着用していなかったために雨で濡れたのか、雨具着用方法に問題があって雨で濡れたのか、厚着をしすぎたために汗で濡れたのか、良く分りません。ただし、新聞報道では、『凍死したツアー客7人全員が、防寒、防水機能が低いウインドブレーカーなどの軽装だったことが道警への取材でわかった・・・発見時、雨がしみ込み、中がぬれていたという(朝日新聞2009年7月23日) 』と、防水機能が高い雨具を着用していなかったと指摘されています。

 ゴアテックスの登山用レインウエアーでも、雨水が浸透することがあるのだろうかと思い、モンベルとジャパンゴアテックスに、この件を問い合わせたところ、ゴアテックスの生地を通して水が浸透することはないとの明確な回答がありました。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2009/09/05/4564474
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2009/09/29/4603611 

 登山にはいろいろなタイプがあるので、雨天で、ある程度濡れることを想定した登山をする人も有るようです。こういう人は、ある程度濡れるようなレインウエアーや、濡れるような着用方法をするでしょう。ただし、濡れてもだいじょうぶなように、アンダーウエアー・体力が備わっていることが大前提です。
 雨で濡れることを想定していない人が、雨で濡れてしまったら、遭難する可能性が高くなります。雨で濡れることを想定していない人は、雨で濡れてはいけないのです。雨で濡れるようなレインウエアーや、濡れるような着用方法は、絶対にしてはいけない。ゴアテックスの登山用レインウエアーでも、開口部をしっかり閉じていないと、濡れます。たとえば、大雨の中フードをかぶらないでいれば、頭が濡れて、雨水が首を伝わって、下着まで濡らします。また、濡れることを想定していない登山者は、大汗をかいてはいけないのです。衣服の着脱をマメにして、汗で濡らさないような注意が必要です。

 結局、濡れても良いようなアンダーウエアー・体力が備わっているか、濡れないような装備・着用方法をしているか、このどちらか以外の人は、低山ハイキング以外は危険です。


 今年7月のトムラウシ遭難に関連して、寒かったのだからガイドが衣服を着るように指示すべきだった、との意見が有ります。
 暑いか寒いか、どの程度の着衣が適当なのか、人によって大きく異なるので、一律に、衣服を着るように指示することは、現実問題として困難でしょう。着衣が多すぎると、逆に低体温になることもあるのだし。
 ただし「衣服の着脱管理をガイドがすべき」との意見も理解できないこともありません。風雨のとき、脱ぎ着するのは大変で、誰かに手伝ってもらわないと難しいことも多々あります。もし、自分以外の人のためには絶対に何もしないという利己主義で凝り固まった登山者のパーティーだったら、ガイドに手伝って欲しいと考える気持ちも起こるでしょう。普通の登山者だったら、登山客同士が協力し合えばよいので、ガイドが衣服の着脱管理をすべきとの考えは起こらない思いますが。私は、登山では協力するのが当然と考えています。一方的に協力することも当然です。協力できない人、協力し合う気持ちがない人は、山は危ないですよ。


注)登山雑誌の記事等によると、前日の行動で、ザックに入れていた衣類やシュラフを濡らした人も多かったそうです。パッキングの失敗でザックにしまっていた衣類を濡らしたら、致命的です。大勢のパーティーなのだから、一人ぐらい失敗する人がいても不思議はないのですが、もし仮に、多くの人がパッキングを失敗していたら、パーティーは厳しい状態です。このような状況を想像するだけでも、ぞっとします。ザックに入れていた衣類やシュラフを濡しても、反省のない人は、絶対に登山しないで欲しい。

月の裏側2009年10月06日

ルナ3号
1959年10月4日に打ち上げられた、月探査衛星ルナ3号は、10月6日に月に再接近、翌日7日には月面裏側を写真撮影しました。人類が最初に月の裏側に対する知識を得てから、50年になります。

画像は、ルナ3号の成功を記念して10月12日に発行された記念切手。

閔妃暗殺2009年10月08日

日露戦争軍票


閔妃暗殺:
 1895年10月8日、日本公使・三浦梧楼らは朝鮮王妃・閔妃を暗殺。朝鮮王・高宗を事実上の監禁状態に起き、朝鮮政府を強奪した。身の危険を感じていた高宗は、翌年2月11日、息子をつれて密かに、ロシア公館に脱出、1897年2月まで、ロシア公館で政権を運用した(俄館播遷)。
 閔妃暗殺により、朝鮮内政を強奪した日本政府は、俄館播遷により、朝鮮支配権を完全に失い、その後、日露の対立、日露戦争へとつながります。

日露戦争:
 写真は日露戦争で使用された軍票の裏面。日露戦争は朝鮮が戦場だったため、ハングル文字が書かれています。

八ッ場ダム(1)2009年10月11日

八ッ場ダム 第2橋梁工事

八ッ場ダム見学しました。吾妻渓谷の紅葉はまだでした。鹿沢で紅葉が始まった程度です。八ッ場館の駐車場は、ほぼ満車でした。

 写真は、八ッ場館付近から見た、ダム湖横断第2橋梁工事。ダム湖を横断する橋梁は3つ計画されていて、この第2橋梁は県道の物です。第3橋梁が国道用で最大規模なのはずですが、工事の形跡が見つかりませんでした。第1橋梁も工事の形跡が見当たりませんでした。道路工事は全体でどのくらい進捗しているのか知りませんが、ダム湖を横断する橋梁の進捗率は、高くないと思います。
 ダム推進派は、すでに工事は70%進んでいるといいますが、これは事実でなく、予算の70%をすでに使い込んでしまったというだけのことで、もし、ダムを完成させるならば、新たに莫大な国費の投入が必定です。

八ッ場ダム(2)2009年10月11日

 今から50年以上前、群馬県吾妻郡の吾妻渓谷にダム計画が持ち上がった。長野原町中心部を含めた地区を水没させる大計画だったため、現地で強い反対運動が起こった。その後、曲折があって、ダム建設が始まったが、民主党政権が誕生すると、八ッ場ダム計画は中止になった。

 2009年10月10日に、現地を見学しました。

 (写真をクリックすると拡大します)



吾妻渓谷
 最初のダム計画では、吾妻渓谷は水没予定だったが、反対運動を抑えるために、ダム建設地を上流に移転することにより、吾妻渓谷の主要部分は水没を免れることとなった。




ダム下流の工事
 ダム建設に伴い、道路と鉄道は、現在よりも高い位置に付け替えられる。ダム予定位置よりも下流でも道路・鉄道の付け替え工事が行われている。
 写真は、道路なのか鉄道なのか良く分からない。
 



ダム湖横断第2橋梁工事
 写真は、八ッ場館付近から見たダム湖横断第2橋梁工事。ダム湖を横断する橋梁は3つ計画されていて、この第2橋梁は県道の物。
 このほかに、さらに2つのダム湖横断第2橋梁が計画されているが、工事の形跡は見つからなかった。



やんば館
 八ッ場ダムを宣伝する目的で作られた施設。前原大臣が建設中止を表明して以来、見学者が急増している。
 この施設は、鉄筋コンクリート2階だての立派な施設だが、ダム建設後は水没する予定。普通に考えたら、ダムに水没しないところに建設して、ダム完成後は地域コミュニティーセンターにでも活用すればよいと思うが、そこは、小渕さんの地元だけあって、税金を無駄遣いするために、この場所に建設したのだろうか。



やんば館付近の国道工事

 写真左の上に見えるのが工事中の付け替え国道。ここではだいぶ工事が進んでいるようだが、さらに西に行くと、工事の形跡が見つからなかった。この写真の下に見えるのは現在の鉄道で、鉄道はダム湖の反対側に付け替えられる予定。写真右は、工事中の付け替え国道。


川原湯温泉
 ダム完成後水没予定の川原湯温泉。50年以上前から水没するとかしないとか、いろいろ言われていたために、設備投資があまりされておらず、寂れた感じの温泉街になっている。



道路工事
 現在の国道がダムに水没するため、国道はダム湖北岸に付け替えらる。また、ダム湖南岸には県道が作られる。
 左写真は、付け替え国道工事と思われる。やんば館の東側。
 右写真は、県道工事と思われる(鉄道かも知れない)。立派な橋はできていたけれど、それから延びるであろう部分は、ほとんど未着工。


鉄道工事

 鉄道はダム湖南岸に付け替えられ、ほとんどがトンネルになる。ダム湖南岸につけられた鉄道は、写真の橋を渡って、現在の鉄道とつながることになる。鉄道付け替え工事はだいぶ進捗しているようだが、駅予定地の一部は、用地買収が進んでいないとの話もあり、ダム建設を推進したとしても、いつになったら完成するのか分からない。



住居移転

 ダムに水没する地域は長野原町中心部をはじめとして、広範囲に及ぶ。
 写真は川原畑地区の移転地。一部、宅地造成もされていて、数件の家が移転してるが、宅地造成も完成までには程遠い状況。

八ッ場ダム(3)2009年10月12日

八ツ場ダム

今日の朝日新聞朝刊に『八ツ場ダム「中止に反対」7割 予定地住民アンケート』との記事がある。社会面に、川原湯地区移転地の写真が載っていたので、同じ場所を対岸の川原畑地区移転地から撮った写真を掲載する。宅地造成工事もまだまだで、住宅移転工事はほとんど進んでいない。

本の紹介-アルメニアを知るための65章2009年10月13日

アルメニアを知るための65章
 中島偉晴/著、メラニアバグダサリヤン/著 『アルメニアを知るための65章』(明石書店) 読みました。このシリーズ、結構マイナーな国も有って面白い。章に区切られコンパクトにまとまっていて読みやすいのだけれど、いろいろな話題を無理に同じ長さに押し込めているようなところが有って、場合によっては理解しにくくなっているところも有るようです。それに、著者の思い入れが強すぎる感もあります。同じシリーズに、『コーカサスを知るための60章』があるけれど、これに比べると、1カ国のみを扱っているだけ有って、詳しい。
 
 本の内容は、アルメニアの歴史、政治経済、人々の暮らし、とアルメニア全般に渡っています。また、トルコによるアルメニアジェノサイドもある程度触れられています。

 コーカサス3国ではアルメニアの解説本は散見するけれど、グリジア・アゼルバイジャンは少ないですね。アルメニア人の特殊性なのだろうけれど。

 ソ連から独立する以前のアルメニアの歴史については、『悲劇のアルメニア (新潮選書) (藤野幸雄) 』などのほうが、詳しくて分りやすい。

本の紹介-グルジア2009年10月15日

本
 
ユーラシア・ブックレットから出版されたグルジア問題を扱った2書を読みました。いずれも、60ページあまりの薄い本です。

『グルジア現代史(前田弘毅/著) 』
『グルジア戦争とは何だったのか(大野正美/著)』

 『グルジア現代史』の、多くの内容は、ソ連崩壊以降のグルジア政治の話で、シュワルナゼ時代と、サアカシビリ時代の話です。日本では、あまりなじみのない地域なので、おおまかな知識を得るためには役立ちます。

 『グルジア戦争とは何だったのか』は、2008年8月8日に勃発した、グルジア正規軍の南オセチア侵攻と、ロシア軍の反撃を説明したものです。ただし、本の内容は、グルジア戦争の概要が書かれているに止まっています。戦争の詳細や、開戦の原因、サアカシビリの目論見等、ほとんど分っていないので、仕方ないことです。
 当時の新聞報道では、混乱した状況を断片的に伝えるに過ぎなかったので、まとまって理解するためには、参考になります。

南千島行政区長、日本人ビザなし交流に反対の意向2009年10月16日

 10月12日に行われた、国後島などを管轄する南クリール行政区の区長選で、日本の北方領土要求に強く反発している、ワシーリー・ソロムコ氏が当選し、早速、ビザなし渡航に反対する立場を明らかにしたとの報道が有ります。
 ビザなし交流は、政府間の合意事項なので、地元の意向で直ちに取りやめになるものでは有りませんが、地元の協力無しには、やりにくいので、事実上ストップするかも知れない。

『ロシア極東のサハリン州選挙管理委員会は12日、11日に行われた北方四島の国後島などを管轄する南クリール行政区の区長選の暫定結果として、親日的な立場で知られる現職のイーゴリ・コワリ区長(47)が落選し、ワシーリー・ソロムコ氏(46)が当選したと明らかにした。・・・ロシアの政権与党「統一ロシア」から立候補したソロムコ氏は1071票を獲得。与党系政党「公正ロシア」から立候補したコワリ氏は597票で3位だった。(10月12日北海道新聞)』
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/international/193914.html

『北方領土の国後島と色丹島、歯舞群島を管轄する南クリール地区の新しい地区長になったワシーリー・ソロムコ氏(46)は14日、ビザなし渡航について「日本人もロシアのビザを取得するべきだ」と表明し、ビザなし渡航に反対する立場を明らかにした。北海道新聞の電話インタビューで答えた。
 ソロムコ氏は、北方領土に関する日本の姿勢について、《1》麻生太郎前首相による「不法占拠」発言《2》四島を「固有の領土」と明記した改正北方領土問題等解決促進特別措置法-を挙げ、「われわれを侮辱している」と不快感を表明。(10月15日北海道新聞)』
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/international/194399.html



北方領土問題の説明はこちらを。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm

固有の領土2009年10月18日

ポーランド占領地域
 前原大臣は、10月17日、納沙布岬・洋上から北方領土を視察し、『歴史的に見ても北方領土は日本固有の領土…(ロシア側)不法占拠と言い続けないといけない…四島の返還を求めていかなければならない』と表明しました。ヤンバダムは計画から50年以上たって建設中止を決定したけれど。戦後60年たっても、まったく進展しない北方領土要求をこのまま続けて、税金を垂れ流すのか、方針転換するのか。前原発言は、これまで通り、1mmも返ってこないように努力することを表明したのでしょう。
 実は、近年、北方領土対策予算はだいぶ削減されて、返還運動ビジネスは旨みが少なくなっているそうです。鳩山政権は、北方領土返還運動にこれまで以上に税金を垂れ流すのか、いっそうの予算締め付けを行うのか定かではありません。前原発言は、税金垂れ流しを表明したものなのか、垂れ流しを絞るために、単なるリップサービスをしたものなのか。どちらでもなくて、マスコミ受けする『前原ガンバル』の姿勢を示しただけなのか。

固有の領土:
 日本が『歴史的に見ても北方領土は日本固有の領土』といいたい気持ちは良く分かります。
 ポーランド人がLWOWを歴史的に見てもポーランド固有の領土と言っても、気持ちは分かります。Rivneをポーランド固有の領土とは言わないですよね。言う人もいるかもしれないけれど、いくらなんでも無理でしょう。

Rowne:
 写真は、戦間期にRivneからパレスチナに差し出された封筒。ポーランド切手です。Rivneではなくて、Rowneです。Rovnoでもない。


参考)「Rivneの説明」
 Rivneとはウクライナの都市の名前です。ウクライナ語ではRivne、ポーランド語ではRowne、ロシア語ではRovnoと言います。
 第一次大戦が終了すると、民族自決の建前により、ロシア領だったポーランドは独立します。イギリス外相カーゾン卿は、ポーランド・ソ連の国境を定めました。カーゾンの引いた線は、ポーランド人の人口が卓越している地域がポーランド、ウクライナ・ロシア人の人口が卓越している地域をソ連としています。LWOWを含む東ハーリチナ州は、ウクライナ人が最大人口だったために、ソ連の領土としましたが、LWOWはポーランドの古都として有名なので、ポーランドが納得するとは考えられなかったため、もう一つの案として、東ハーリチナ州をポーランド領とするカーゾン線B案も同時に示しました。Rivneを含むRivne州は、どちらの案でもソ連領でした。
 1920年、ポーランドは弱体化した新生ソ連領深く侵攻し、一時はキエフまでも占領しました。これに対して、ソ連側が反撃し、一時はカーゾン線を越えてポーランド領にまで攻め込みましたが、ポーランド軍がこれを撃退し、結局、東ハーリチナ州のみならず、Rivne州もポーランド領とすることで終戦しました(リガ条約)。この結果、民族自決の建前により独立したポーランドは領内にウクライナ人が多数住む地域や、ベラルーシ人が多数住む地域を抱えることになりました。
 第2次大戦の結果、ポーランドは占領したソ連領をすべて失い、カーゾン線A案にほぼ沿った位置に国境が引かれることになりました。ソ連崩壊後は、かつてポーランドが占領していた地域は、ウクライナ・ベラルーシになっています。


北方領土問題の説明はこちらを。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm

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