前原北方担当相「不法占拠」発言 ― 2009年10月22日
10月17日:
前原大臣は納沙布岬・洋上から北方領土を視察。このとき、北方領土がロシアに不法占拠されていると言い続けると述べた。前原大臣は記者団に「歴史的に見ても国際法的に見ても(北方領土は)日本固有の領土、終戦間際のどさくさにまぎれて不法占拠されたもの」と語った。
10月19日:
ロシア外務省は前原発言に対し、鳩山政権の対話路線と矛盾すると批判する声明を出した。ニューヨークでの日露首脳会談が建設的な形で行われた中、受け入れがたく不適当で法的根拠を欠いた発言が日本で再びなされたことに対し、「遺憾」を表明した。
10月20日:
前原大臣は記者会見で、自ら北方領土を不法占拠と発言したことに対し、ロシア外務省が批判していることについて「日本政府としての法的立場をあらためて申し上げただけ」と述べ、領土問題に対する政府の姿勢は政権交代後も変わらないとの認識を強調した。
前原大臣の発言は日本の世論受けを狙ったもだろうから、このような軽率な発言を一々取りあげるのも、ばかばかしいように思います。
現在、北方領土がロシア領になっている歴史的経緯は、はっきりしています。
①1945年8月27日から9月2日:日本とソ連とは1956年の条約によって正式に戦争が終結しました。北方領土をソ連が占領する根拠は、日本側から見た場合、戦争が終結する以前は、ポツダム宣言に基づく占領でしたが、戦争終結にともない、ポツダム宣言は効力を失いました。このとき以降、ソ連が引き続き北方領土を占領することに対して、当時の鳩山一郎内閣では『ソ連の引き続き占拠することが不法なりとは、これまた言えない筋合いであると思います』と説明しています。
8月8日の宣戦布告により、日本とソ連は戦争状態になった。この時期の占領は戦争中の占領。
②1945年9月2日~1956年12月12日
ポツダム宣言第7条により日本の各地は連合国に占領されることとなった。連合国の合意で千島はソ連の占領地となった。この状態が戦争終結まで続くことになる。ソ連との戦争終結は、1956年の日ソ共同宣言なので、この期間の占領は、国際法上の『戦時占領』になる。
③1946年2月2日
ソ連は、北方領土を含む千島・南樺太を自国に編入した。
④1952年4月28日
日本はサンフランシスコ条約で千島列島を放棄した。クナシリ島・エトロフ島は、放棄した千島列島に含まれるとの日本政府説明を受けて、国会は条約を承認した。ただし、同条約にソ連は加入していないので、国際法はソ連との戦争は1956年まで続いていたことになる。
ソ連が北方領土を占領することを『不法占領』と、日本政府が言うようになったのは、池田内閣の1961年からです。
ところで、前原は、『終戦間際のどさくさにまぎれて不法占拠された』と言っていますが、1956年までの占領は、ポツダム宣言に基づく国際法上適法な『戦時占領』なので、前原発言は国際法上は誤りです。
従来、政府見解の多くは、『終戦間際に占拠された、現在も不法占拠が続いている』のように、いつから不法占拠であるかを明確にしない表現を使っています。
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