ロシアカメラとリコーのカメラ ― 2009年12月06日
株式会社リコーのインターネットページには、Zorki_10,11はリコー・オート35Vのデッドコピーと書かれていた。1994年に、事実か否かを尋ねたところ、『不適切な表現である』との理由で、削除された。
巷間には、いまだに、Zorkiはリコーのコピーであると言う人もいるようなので、両者を比較した。
http://cccpcamera.photo-web.cc/RussianCamera/Compact/ZORKI11/Zorki_Richo/ZorkiHikaku.html
一見するとそっくりですが、よく見るとそれほど似ていない。内部を見ると、Zorkiはしっかり作られているのに、リコーは製造コスト削減を追及したカメラのようです。
巷間には、いまだに、Zorkiはリコーのコピーであると言う人もいるようなので、両者を比較した。
http://cccpcamera.photo-web.cc/RussianCamera/Compact/ZORKI11/Zorki_Richo/ZorkiHikaku.html
一見するとそっくりですが、よく見るとそれほど似ていない。内部を見ると、Zorkiはしっかり作られているのに、リコーは製造コスト削減を追及したカメラのようです。
本の紹介-ツアイス・イコン物語 ― 2009年12月13日
最悪の切手用ピンセット-ANEXフッ素加工ピンセット切手用 ― 2009年12月14日
東急ハンズ渋谷店で購入した『ANEXフッ素加工ピンセット切手用』です。
最悪の商品。絶対に切手に使用しないこと。
これほどひどいものを東急ハンズが販売しているとは驚きです。安易に、東急ハンズを信用すると、ひどい目にあいます。
このピンセットは、先端部の加工が悪くて、バリがあり、切手を傷つけることがあります。絶対に切手に使用しないこと。
一般に、粗悪品ピンセットの場合は、先端部をヤスリで削って滑らかにすることもできますが、このピンセットはバリの上からフッ素コートしてあるので、ヤスリで削ることもできません。どのように考えても、切手には使用不可能です。
もっとも、もしまじめに綺麗に作ったとしても、切手には不向きです。つまむ部分の会合角が大きいので、先端で切手をつまむようになり、これでは、一部に力がかかって、切手を傷つける恐れがあります。ピンセットの形状を箆型にした意味をまったく理解しないで製造しています。ANEXって、どういう会社なのか知りませんが、あまりにも、ずさんな製品にあきれます。
上の写真は、日本郵趣協会でもらった金メッキの切手用ピンセット。先端は丸型で使いやすい。写真でも分かるように、つまむ部分が平行に近いので、全体で保持するようになり、切手を傷めません。全体に綺麗に加工されバリはありません。
上の写真は、数十年前に購入した、先端箆型クロムめっきの安物。手元のほうにはバリがあるけれど、切手をつまむ部分は綺麗に加工されバリはなく、切手を傷めるようなことはありません。大型でばねが強いので、ちょっと使いにくい。
北方領土は千島です ― 2009年12月16日
トムラウシ遭難考-遭難のマナー ― 2009年12月21日
12月18日未明、元F1レーサーで登山家の片山右京氏らのパーティーが富士山で遭難し、片山氏を除く2名の方がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
この遭難は、就寝中に突風でテントが吹き飛ばされて、中にいた人が150mほど滑落したものです。2人のテントが無いことを知った片山氏は、深夜強風の中を捜索し、まだ生存していた2人を必死で介抱したものの、残念ながら、お亡くなりになりました。記者会見で片山氏は「助けられなかった、悔しいです、すみません」「何とかして担いで下りたかった、力不足で申し訳ございません」と泣きながら答えていました。
冬の富士山で突風で飛ばされて遭難したことは、片山氏の責任ではないし、担いで降りることなど出来るはずも無いし、もし出来たとしても生存の可能性は薄かったでしょう。それよりも、お亡くなりになった2人や遺族にとって、片山氏の必死の介護があったことが何よりの救いです。
片山氏は一流の登山家だから、厳冬の富士山で深夜に捜索・救助活動が出来たのだけれど、冬山でこのようなことが出来る人は少ないでしょう。しかし、非常時に、人命を救助したいという気持ちは、誰でも同じことです。片山氏は、最大限の努力をしたにもかかわらず、「力不足で申し訳ございません」と泣いていました。
記者会見での片山氏の態度は、登山家としての人間性にあふれる真面目な態度です。片山氏は、1年間活動を自粛するそうです。真摯な態度に頭が下がります。
話は変わって、今年(2009年)7月、北海道・大雪山系トムラウシで高齢者ツアー登山パーティーの大量遭難事故がありました。このパーティーは危機に直面したときに、全員が人命救助を優先させようとしたのか、疑問です。
遭難が伝えられたときに、登山パーティーのメンバーが2人づつ、あるいは一人で下山してきて、これから一休みして温泉にでも入ろうかとの雰囲気だったので、遭難パーティーとはとても思えず、テレビ映像に違和感を感じました。
その後、戸田新介氏ら生還者のうちの何人かは、テレビ取材に応じていましたが、片山氏のように、「何とかして人命を救助したかった」との発言ではなく、単に、「ガイドが悪い・俺は絶対に正しい・俺は被害者だ」と思える発言を繰り返しているように感じます。
登山は、大自然を相手にするものなので、想定し得ない事態が発生することや、判断ミスをするリスクがあります。そのようなときに、各人が自分の能力の範囲内で人命救助に全力を尽くすことは、人間の道徳として当たり前のことです。(このように、私は思います。そうではなく、仲間が死んでも、俺が快適に登山さえできればいいんだ、と思う人は登山はしないでください。非道徳者の登山は危険です。)
トムラウシの遭難はいまだに解明されていない部分が多々ありますが、もし、登山者の中に、「何とかして人命を救助したかった」との意識が乏しかったのならば、非常時に大量遭難することは、仕方がなかったのでしょう。
注)このように書くと「義務も無いのに、なんで、他人の人命救助をしなくてはいけないんだ」と思う人も多いでしょう。街中で安全なところでは、そのような考えでも問題ないかもしれません。
この遭難は、就寝中に突風でテントが吹き飛ばされて、中にいた人が150mほど滑落したものです。2人のテントが無いことを知った片山氏は、深夜強風の中を捜索し、まだ生存していた2人を必死で介抱したものの、残念ながら、お亡くなりになりました。記者会見で片山氏は「助けられなかった、悔しいです、すみません」「何とかして担いで下りたかった、力不足で申し訳ございません」と泣きながら答えていました。
冬の富士山で突風で飛ばされて遭難したことは、片山氏の責任ではないし、担いで降りることなど出来るはずも無いし、もし出来たとしても生存の可能性は薄かったでしょう。それよりも、お亡くなりになった2人や遺族にとって、片山氏の必死の介護があったことが何よりの救いです。
片山氏は一流の登山家だから、厳冬の富士山で深夜に捜索・救助活動が出来たのだけれど、冬山でこのようなことが出来る人は少ないでしょう。しかし、非常時に、人命を救助したいという気持ちは、誰でも同じことです。片山氏は、最大限の努力をしたにもかかわらず、「力不足で申し訳ございません」と泣いていました。
記者会見での片山氏の態度は、登山家としての人間性にあふれる真面目な態度です。片山氏は、1年間活動を自粛するそうです。真摯な態度に頭が下がります。
話は変わって、今年(2009年)7月、北海道・大雪山系トムラウシで高齢者ツアー登山パーティーの大量遭難事故がありました。このパーティーは危機に直面したときに、全員が人命救助を優先させようとしたのか、疑問です。
遭難が伝えられたときに、登山パーティーのメンバーが2人づつ、あるいは一人で下山してきて、これから一休みして温泉にでも入ろうかとの雰囲気だったので、遭難パーティーとはとても思えず、テレビ映像に違和感を感じました。
その後、戸田新介氏ら生還者のうちの何人かは、テレビ取材に応じていましたが、片山氏のように、「何とかして人命を救助したかった」との発言ではなく、単に、「ガイドが悪い・俺は絶対に正しい・俺は被害者だ」と思える発言を繰り返しているように感じます。
登山は、大自然を相手にするものなので、想定し得ない事態が発生することや、判断ミスをするリスクがあります。そのようなときに、各人が自分の能力の範囲内で人命救助に全力を尽くすことは、人間の道徳として当たり前のことです。(このように、私は思います。そうではなく、仲間が死んでも、俺が快適に登山さえできればいいんだ、と思う人は登山はしないでください。非道徳者の登山は危険です。)
トムラウシの遭難はいまだに解明されていない部分が多々ありますが、もし、登山者の中に、「何とかして人命を救助したかった」との意識が乏しかったのならば、非常時に大量遭難することは、仕方がなかったのでしょう。
注)このように書くと「義務も無いのに、なんで、他人の人命救助をしなくてはいけないんだ」と思う人も多いでしょう。街中で安全なところでは、そのような考えでも問題ないかもしれません。
国立歴史民族博物館 ― 2009年12月23日
千葉県佐倉市の国立歴史民族博物館に行きました。
アイヌに関する展示も少しだけありました。北方領土問題で、4島に固執する人たちには「北方領土を父祖の開拓した日本固有の領土」などという人も多いけれど、実際には、アイヌの住んでいた土地に日本人が入って行ったものです。国立歴史民族博物館の展示を見ても、そのことはすぐに分かります。
アイヌに関する展示も少しだけありました。北方領土問題で、4島に固執する人たちには「北方領土を父祖の開拓した日本固有の領土」などという人も多いけれど、実際には、アイヌの住んでいた土地に日本人が入って行ったものです。国立歴史民族博物館の展示を見ても、そのことはすぐに分かります。
写真は、博物館にあった腰掛。面白いことに、17世紀に作られた正保御国絵図がデザインされています。
日本全図ですが、蝦夷地はそれ以外の地域と比較して、異様に小さく、イイカゲンニ描かれています。千島や樺太らしいものも描かれているけれど、極端に小さくて、形もまったくのデタラメ。この時代、アイヌの聞きかじりで存在は知っていたものの、日本人の進出がなく、正確な知識を得られなかったことが容易に分かります。
日本全図ですが、蝦夷地はそれ以外の地域と比較して、異様に小さく、イイカゲンニ描かれています。千島や樺太らしいものも描かれているけれど、極端に小さくて、形もまったくのデタラメ。この時代、アイヌの聞きかじりで存在は知っていたものの、日本人の進出がなく、正確な知識を得られなかったことが容易に分かります。
本の紹介-プーチンと柔道の心 ― 2009年12月24日
ウラジーミル・プーチン、ワシーリー・シェスタコフ、アレクセイ・レヴィツキー/著
イーゴリ・アレクサンドロフ/訳
山下泰裕、小林和男/著
朝日新聞出版、2009年5月
この本は、プーチンが柔道仲間と書いた「プーチンと学ぶ柔道」のうちの一部に、山下氏らの解説を加えたもの。山下氏の解説は、氏とプーチンの柔道交流の話で、プーチンの柔道への思い入れが伝わり興味深い。小林氏はプーチンの柔道場でインタビューを行い、柔道に対するプーチンの考え方を聞いている。
本の多くの部分は、プーチンとその柔道仲間による柔道の説明。柔道の歴史・トレーニング法・柔道の技といった柔道の解説。私は、柔道を知らないので、この部分を評価することは出来ないが、柔道をこれから習おうとしている人、柔道をある程度習っている人向きに書かれているようである。トレーニング法は、精神的なものではなくて、具体的科学的な説明で、柔道に限らず、すべてのスポーツトレーニングに参考になるだろう。
最後の章は、プーチンの柔道の師であるアナトーリー・ラフリンのインタビュー。プーチンの生い立ちを知り、プーチンの思想の根本を知る上で興味深い。
プーチンは柔道を通じて、全力をあげて闘うことは、争うことでも戦うことでもないことを学んだ。全力で闘う柔道は、礼であり、相手に対する敬意であることを学んだ。プーチンの政治姿勢は、こんなところから来ているのだろう。
イーゴリ・アレクサンドロフ/訳
山下泰裕、小林和男/著
朝日新聞出版、2009年5月

この本は、プーチンが柔道仲間と書いた「プーチンと学ぶ柔道」のうちの一部に、山下氏らの解説を加えたもの。山下氏の解説は、氏とプーチンの柔道交流の話で、プーチンの柔道への思い入れが伝わり興味深い。小林氏はプーチンの柔道場でインタビューを行い、柔道に対するプーチンの考え方を聞いている。
本の多くの部分は、プーチンとその柔道仲間による柔道の説明。柔道の歴史・トレーニング法・柔道の技といった柔道の解説。私は、柔道を知らないので、この部分を評価することは出来ないが、柔道をこれから習おうとしている人、柔道をある程度習っている人向きに書かれているようである。トレーニング法は、精神的なものではなくて、具体的科学的な説明で、柔道に限らず、すべてのスポーツトレーニングに参考になるだろう。
最後の章は、プーチンの柔道の師であるアナトーリー・ラフリンのインタビュー。プーチンの生い立ちを知り、プーチンの思想の根本を知る上で興味深い。
プーチンは柔道を通じて、全力をあげて闘うことは、争うことでも戦うことでもないことを学んだ。全力で闘う柔道は、礼であり、相手に対する敬意であることを学んだ。プーチンの政治姿勢は、こんなところから来ているのだろう。
大晦日 ― 2009年12月31日
今年も残すところあと1日。
不況の真っ只中から始まって、不況の中で終わった1年でした。この間、自民党政権は退場、世の中、何か変わったのか、何も変わらないのか、そんな1年でした。
近くの川口善光寺は寺の改修工事が続いています。その間、境内にあった仏像などは、近くの荒川堤防に無造作に放置されています。もう数年間、この状態です。4年ほど前までは、柵が無かったので、心を痛めた人が、雑草を刈ったり、お地蔵さんに帽子をかぶせたりと、多少の手入れがされていたのですが、その後、善光寺が柵を作り、手入れができないようにしたため、雑草に埋もれています。
雑草に覆われた仏様をお参りすると、末法の世に生まれた不明を恥じ入ります。鐘も放置されているので、今年も全工事では除夜の鐘はなし。