トムラウシ遭難考-遭難のマナー ― 2009年12月21日
12月18日未明、元F1レーサーで登山家の片山右京氏らのパーティーが富士山で遭難し、片山氏を除く2名の方がお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りします。
この遭難は、就寝中に突風でテントが吹き飛ばされて、中にいた人が150mほど滑落したものです。2人のテントが無いことを知った片山氏は、深夜強風の中を捜索し、まだ生存していた2人を必死で介抱したものの、残念ながら、お亡くなりになりました。記者会見で片山氏は「助けられなかった、悔しいです、すみません」「何とかして担いで下りたかった、力不足で申し訳ございません」と泣きながら答えていました。
冬の富士山で突風で飛ばされて遭難したことは、片山氏の責任ではないし、担いで降りることなど出来るはずも無いし、もし出来たとしても生存の可能性は薄かったでしょう。それよりも、お亡くなりになった2人や遺族にとって、片山氏の必死の介護があったことが何よりの救いです。
片山氏は一流の登山家だから、厳冬の富士山で深夜に捜索・救助活動が出来たのだけれど、冬山でこのようなことが出来る人は少ないでしょう。しかし、非常時に、人命を救助したいという気持ちは、誰でも同じことです。片山氏は、最大限の努力をしたにもかかわらず、「力不足で申し訳ございません」と泣いていました。
記者会見での片山氏の態度は、登山家としての人間性にあふれる真面目な態度です。片山氏は、1年間活動を自粛するそうです。真摯な態度に頭が下がります。
話は変わって、今年(2009年)7月、北海道・大雪山系トムラウシで高齢者ツアー登山パーティーの大量遭難事故がありました。このパーティーは危機に直面したときに、全員が人命救助を優先させようとしたのか、疑問です。
遭難が伝えられたときに、登山パーティーのメンバーが2人づつ、あるいは一人で下山してきて、これから一休みして温泉にでも入ろうかとの雰囲気だったので、遭難パーティーとはとても思えず、テレビ映像に違和感を感じました。
その後、戸田新介氏ら生還者のうちの何人かは、テレビ取材に応じていましたが、片山氏のように、「何とかして人命を救助したかった」との発言ではなく、単に、「ガイドが悪い・俺は絶対に正しい・俺は被害者だ」と思える発言を繰り返しているように感じます。
登山は、大自然を相手にするものなので、想定し得ない事態が発生することや、判断ミスをするリスクがあります。そのようなときに、各人が自分の能力の範囲内で人命救助に全力を尽くすことは、人間の道徳として当たり前のことです。(このように、私は思います。そうではなく、仲間が死んでも、俺が快適に登山さえできればいいんだ、と思う人は登山はしないでください。非道徳者の登山は危険です。)
トムラウシの遭難はいまだに解明されていない部分が多々ありますが、もし、登山者の中に、「何とかして人命を救助したかった」との意識が乏しかったのならば、非常時に大量遭難することは、仕方がなかったのでしょう。
注)このように書くと「義務も無いのに、なんで、他人の人命救助をしなくてはいけないんだ」と思う人も多いでしょう。街中で安全なところでは、そのような考えでも問題ないかもしれません。
この遭難は、就寝中に突風でテントが吹き飛ばされて、中にいた人が150mほど滑落したものです。2人のテントが無いことを知った片山氏は、深夜強風の中を捜索し、まだ生存していた2人を必死で介抱したものの、残念ながら、お亡くなりになりました。記者会見で片山氏は「助けられなかった、悔しいです、すみません」「何とかして担いで下りたかった、力不足で申し訳ございません」と泣きながら答えていました。
冬の富士山で突風で飛ばされて遭難したことは、片山氏の責任ではないし、担いで降りることなど出来るはずも無いし、もし出来たとしても生存の可能性は薄かったでしょう。それよりも、お亡くなりになった2人や遺族にとって、片山氏の必死の介護があったことが何よりの救いです。
片山氏は一流の登山家だから、厳冬の富士山で深夜に捜索・救助活動が出来たのだけれど、冬山でこのようなことが出来る人は少ないでしょう。しかし、非常時に、人命を救助したいという気持ちは、誰でも同じことです。片山氏は、最大限の努力をしたにもかかわらず、「力不足で申し訳ございません」と泣いていました。
記者会見での片山氏の態度は、登山家としての人間性にあふれる真面目な態度です。片山氏は、1年間活動を自粛するそうです。真摯な態度に頭が下がります。
話は変わって、今年(2009年)7月、北海道・大雪山系トムラウシで高齢者ツアー登山パーティーの大量遭難事故がありました。このパーティーは危機に直面したときに、全員が人命救助を優先させようとしたのか、疑問です。
遭難が伝えられたときに、登山パーティーのメンバーが2人づつ、あるいは一人で下山してきて、これから一休みして温泉にでも入ろうかとの雰囲気だったので、遭難パーティーとはとても思えず、テレビ映像に違和感を感じました。
その後、戸田新介氏ら生還者のうちの何人かは、テレビ取材に応じていましたが、片山氏のように、「何とかして人命を救助したかった」との発言ではなく、単に、「ガイドが悪い・俺は絶対に正しい・俺は被害者だ」と思える発言を繰り返しているように感じます。
登山は、大自然を相手にするものなので、想定し得ない事態が発生することや、判断ミスをするリスクがあります。そのようなときに、各人が自分の能力の範囲内で人命救助に全力を尽くすことは、人間の道徳として当たり前のことです。(このように、私は思います。そうではなく、仲間が死んでも、俺が快適に登山さえできればいいんだ、と思う人は登山はしないでください。非道徳者の登山は危険です。)
トムラウシの遭難はいまだに解明されていない部分が多々ありますが、もし、登山者の中に、「何とかして人命を救助したかった」との意識が乏しかったのならば、非常時に大量遭難することは、仕方がなかったのでしょう。
注)このように書くと「義務も無いのに、なんで、他人の人命救助をしなくてはいけないんだ」と思う人も多いでしょう。街中で安全なところでは、そのような考えでも問題ないかもしれません。
コメント
_ しびっく ― 2010年06月27日 13時11分12秒
_ cccpcamera ― 2010年06月27日 14時47分47秒
松本ガイドが先に行ったのでパーティーがバラケタようです。この点に関して、松本の行動は正しくなかったと思います。だからと言って、他のメンバーの行動が正しかったということにはなりません。松本ガイドの行動が正しいか否かということと、他のメンバーの行動が正しいか正しいか否かということは別なことです。誰か一人の行動が正しくないと死んじゃうような登山は危険です。そういう気持ちの人は、絶対に登山してほしくない。
ところで、よく分からないのですが、しびっく様は、もし大切な人と一緒に登山して、その人が動けなくなったら、「ガイドが悪いんだ」と思って、自分だけ下山しますか。たとえガイドが悪くても、私は同行者を放置するようなことはしません。自分だけで救助できないならば、南沼ビバーク地点に戻って、応援を求めます。当たり前ではないですか!!!
登山中に行動不能同行者を一人で置き去りにするような人は知り合いにいないので、トムラウシ遭難が理解できないのです。
交通事故が起きると、事故当事者の中には、相手が悪いとののしれば、自分の過失責任がまぬかれると思っている人がいます。相手に過失があるかどうかということと、自分に過失がないかどうかということは関係ありません。
今回の遭難は募集会社、添乗員(旅行の責任者)、他のガイドといわれるスタッフ、それぞれに問題があったことは確かです。だからと言って、それ以外の人の行動が正しかったことにはならない。事故は、あらゆる角度から検証すべきです。
当たり前のことではないですか!!!
ところで、よく分からないのですが、しびっく様は、もし大切な人と一緒に登山して、その人が動けなくなったら、「ガイドが悪いんだ」と思って、自分だけ下山しますか。たとえガイドが悪くても、私は同行者を放置するようなことはしません。自分だけで救助できないならば、南沼ビバーク地点に戻って、応援を求めます。当たり前ではないですか!!!
登山中に行動不能同行者を一人で置き去りにするような人は知り合いにいないので、トムラウシ遭難が理解できないのです。
交通事故が起きると、事故当事者の中には、相手が悪いとののしれば、自分の過失責任がまぬかれると思っている人がいます。相手に過失があるかどうかということと、自分に過失がないかどうかということは関係ありません。
今回の遭難は募集会社、添乗員(旅行の責任者)、他のガイドといわれるスタッフ、それぞれに問題があったことは確かです。だからと言って、それ以外の人の行動が正しかったことにはならない。事故は、あらゆる角度から検証すべきです。
当たり前のことではないですか!!!
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そのガイドが統率すら出来なかったのです。
そうであれば最後尾で脱落者の介護に努めてビバークすべきでした。
我さきに下山に急ぐガイドを責めても、下山指示に従い、死亡し冷たくなるまで介護された下山者を非難すべきではないかと存じます。