鳩山政権交代2010年06月03日

鳩山先生、わずか8カ月で辞職しました。

 1956年、鳩山一郎総理のもとで日ソ共同宣言が締結されて、法的に日ソ間の戦争が終結し、国交回復が成ったので、8か月前に鳩山政権が誕生した時、北方領土問題が現実的方向で進展するのではないかと期待する向きもありましたが、何の成果もなく鳩山政権は終了しました。

 鳩山政権終了の最大原因は、沖縄普天間基地の移設問題です。普天間基地は、世界一危ない基地と言われていますが、以前には沖縄には、普天間のほかに県道104号越え実弾演習の問題がありました。県道104号越え実弾演習は、当時、北海道沖縄開発庁長官だった鈴木宗男が、自分の選挙区である矢臼別などに訓練場を移すことで解決しました。沖縄の平和のために尽力して実際に大きな成果を出した政治家は『鈴木宗男』なのです。

 鳩山政権では普天間を完全に沖縄県外に移設することには失敗したけれど、騒音の激しい訓練を徳之島などの他地区に分散移転させることで、沖縄の負担の軽減を図ったものでした。自民党は14年かけて、100%沖縄に普天間を負担させる案を作ったけれど、鳩山先生はわずか8カ月で、沖縄の負担を大きく削減する案を策定したものです。しかし、100%負担低減にはならなかったので、地元はこれを受け入れなかった。

 沖縄はこれからどうするのだろう。自民党案に戻って普天間の負担を100%辺野古に移すのだろうか。鳩山案を受け入れるのだろうか。それとも普天間をこのまま世界一危険な基地として残すのだろうか。
 沖縄の人たちはこぞって「鳩山案に幻滅した」「期待を裏切られた」などと発言していました。確かに鳩山先生は、普天間の負担を100%沖縄県外に移設すると言いましたが、50%ぐらいしか移設できませんでした。でも、100%負担軽減と言ったから、50%軽減案を作ることができたので、絶対出来る案を言わなくてはならないのだとしたら、沖縄の負担は未来永劫削減されることはありません。米軍基地は外交問題なのだから100%こちらの言い分が通るということはあり得ないのです。

東工大:
 大岡山駅を降りると目の前に東工大正門があります。左に曲がってまっすぐ進むと、古くてぼろい5階建ての殺風景な建物、南棟があります。
 鳩山先生は、東工大助手時代、経営工学科に所属して、研究室は南棟3Fにありました。

 次期総理大臣は菅直人さんかなー。菅さんは、学生時代、東工大理学部応用物理学科に在籍しており、研究室は南棟4Fの西側でした。菅さんが所属していた研究室は化学系で教授は光ルミネッセンスのようなことを研究していましたが(違うかもしれない)、菅さんによると、彼の学生時代は学生運動が盛んな時で、東工大正門にはバリケードが築かれ、あまり大学で勉強していたというものではなかったそうです。

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