トムラウシ山遭難考(18)―遭難の原因と責任 ― 2010年07月14日
2009年7月16日、北海道大雪山系トムラウシ山で、高齢者ツアー登山パーティーの大量遭難事故があった。事故原因について、各方面でいろいろと検討されている。この中で、いちばん詳細な検討がなされているのは、トムラウシ山遭難事故調査特別委員会よる「トムラウシ山遭難事故調査報告書」で、今年の3月初めに作成・公開されている。(http://www.jfmga.com/pdf/tomuraushiyamareport.pdf)
当Blogでも、本遭難事故について多少の言及し、これまでの検討で、以下の3点を明らかにした。
①気象条件:
遭難当日は、強風・低温ではあるが、大雪山系や北アルプス、富士山などでは珍しくない気象条件だった。同様な気象条件で、多くの登山者が、普通に登山している。また、この程度の風雨下での待機・休息は、日本の夏山では普通に行われている。
②防寒用着衣:
強風が体温低下に及ぼす影響は、防寒用着衣に大きく関係する。一般に、普通の風で問題ない防寒着衣であるならば、強風でも、それほど低体温症になることはないと考えられる。しかし、着衣不良の場合、強風は低体温症の主要原因になりうる。
③防水・防風用着衣
ゴアテックスの雨具は、耐水・防風性能に優れているので、生地を通した漏水や風の侵入は考えられないが、着衣不良の場合は、濡れや風の侵入が起こる。着衣が濡れた場合は急激に体温を奪われる。
以上の観点で、「トムラウシ山遭難事故調査報告書」を見ると、『風雨下での長い待機が低体温症を発症した(P61)』とまことしやかなことが書かれている。トムラウシ遭難当時の天候は、気温5℃、風速20m程度なのだから、これは、気温5℃のときに時速72kmでバイクに乗っている状況と類似している。まともな着衣ならば、低体温症になるような気象状況でないことは、常識的にも容易にわかるだろう。
「トムラウシ山遭難事故調査報告書」では、遭難原因に対して『体温を下げる最大の要因は「風の強さ」にある(P61)』としているため、『中止またはビバークが最適(P61)』との結論を出し、さらに、この見解に基づいて、ガイドが当日登山を決定した責任に言及し、さらに、『ガイドのスキルアップとガイド組織の見直し(P44,45)』を提言している。しかし、当時、この山域として珍しい気象状況ではなく、同様の気象状況で普通に登山がおこなわれているので、「トムラウシ山遭難事故調査報告書」の提言は、類似の遭難事故防止のための提言として適切とは言えない。
注意
トムラウシ遭難の多くの検証では、風の影響を風速1mあたり‐1℃とする極めて簡易な手法を使用している。これは、おおむね裸体の状態の推定法であるが、風の影響は着衣に顕著に依存するので、実際に着衣がある場合の推定としては、著しく正確さを欠く。このため、着衣を考慮した伝熱計算を行う必要がある。
人間の形は複雑で、着衣も重ね着をしていること、体の部位により着衣が異なることなど、複雑な要因が多い。しかし、複雑な状況を取り込んだ計算は難しいので、簡単な計算手法として、断熱材で被覆された等温円柱の熱伝達の理論から、着衣の影響を考慮した。
本来は、遭難者の着衣や形状を考慮して、より詳細な伝熱解析を行う必要がある。このような計算は、コンピュータを使えば容易にできるが、専用ソフトが必要なことと、計算技術が必要なことがあって、一般には計算サービス会社に計算を委託するが、それなりの費用が必要となる。
私の計算は、単純すぎるので、より詳細な計算が必要であると思う人は、ぜひとも、詳細な計算を行っていただきたい。
もう少しコメントすると、本職がコンピュータ数値解析で、かなり昔に、六ヶ所村の高レベル放射性廃棄物の伝熱解析に携わったこともあり、一般の人よりも、伝熱解析については、詳しいつもりです。現在は、樹脂の流動解析を行っており、液体や固体の伝熱解析が多いのですが、気体による冷却解析も多少、行っています。今回の簡易計算は、人体を円柱として着衣を均一の断熱材に置き換えました。これまでの経験と勘でそれほど違わないように思います。
トムラウシ山遭難事故の直接の原因は「低体温症」であるが、低体温症に至った原因は、以下の3点に分けられる。
a)気象条件
b)不十分な着衣
c)登山技術の問題
a)「気象条件」について:
この山域では珍しくない天候ではあるが、好天とは言えない天候だったので、登山経験が乏しい者にとっては、多少過酷な状況だったのかもしれない。
b)「不十分な着衣」について:
当然のことであるが、着衣が不十分、あるいは不良な着用の場合は、低体温症になりうる。
今回、遭難パーティー登山者の着衣がどのようなものだったのか、また、ザックにどのような防寒具を持っていたのか、明らかになっていないので詳しいことはわからない。
可能性としては「①防寒具を持っていなかった」「②持っていたけれど濡らすなどして使えなかった」「③持っていたけれど使わなかったために低体温症になった」の3つが考えられる。
同日、同コースを登山して1名が低体温症になった別パーティーの話では、低体温症になった登山者は、ザックにダウンジャケットを持っていたにもかかわらずそれを使用せずに低体温症になり、ダウンジャケットを着用して低体温症が治ったとのことであるので、今回の遭難パーティーも「防寒具を持っていたけれど使わなかったために低体温症になった」のかもしれない。
c)「登山技術の問題」について:
低体温症は疲労凍死と言われていたことがある。疲労が低体温症に何らかの関係があるのかもしれない。今回の遭難パーティーは通称ロックガーデンの通過で、何度も転倒している者もおり、相当な疲労をした可能性がある。
また、北沼の水があふれて登山道が一部水没していたために、深さ数十センチ、幅2mを渡渉する必要があった。このような場合、思い切って渡ると大したことないのだが、おっかなびっくり時間をかけて渡ると、冷たい水で体温を奪われる。今回の遭難パーティーは渡渉後に異常をきたしたものが多いので、何らかの関係があるのかもしれない。
次に、今回の遭難の責任について。
遭難の原因は単一ではない。それぞれの原因によって、責任の所在も異なる。
a)気象条件
特別に尋常でない気象条件で起こった災害の場合は、誰も予見不可能なので、不可抗力である。
今回の遭難は、この山域としては、毎年、何回か起こっている気象条件なので、この程度の気象条件を予見できなかったら、添乗員や道案内人の過失である。もし、遭難の原因が気象条件にあるのだとしたら、ガイドとしての欠陥であり、刑事上の責任も免れないだろう。また、もし、遭難の原因が気象条件にあるのだとしたら、著しく能力の劣った者をガイドとして雇った旅行会社側にも、過失責任の可能性がある。
添乗員には旅行業法に基づき旅程を守る義務が課されているので、正当な理由なく、日程を変更したり行程を短縮することは許されていません。旅行会社から日程を守るように指導されていることもあって、添乗員には日程を変更したくない気持ちがあるそうです。このため、旅行会社に縛られている添乗員の地位が遭難につながるとの意見もありますが、今回の遭難では、添乗員やガイドには気象条件等による旅行の危険性の認識がないので、今回の遭難には旅行会社との力関係の問題は無関係です。
今回の遭難では、ガイドは何の躊躇もなく小屋を出発しており、尾根に出て風が強いことが分かった後も、そのまま登山を続行している。当時の気候では、登山に支障がないと思っていたのだろう。
b)不十分な着衣
防寒のための衣料は、登山客が用意することになっていたので、登山客は自分の所有物である防寒具を所持していた。登山客の所有物であるので、その管理や着用は登山客にゆだねられている。もし、「持っていたけれど濡らすなどして使えなかった」「持っていたけれど使わなかったために低体温症になった」などが遭難の原因ならば、その責任は登山客自身にあることになるだろう。
遭難事故から無事生還した登山客の中には、ガイドが着衣の指示をしなかったために、薄着の登山客が低体温症になったと、ガイドの過失であるかのような言説がありました。しかし、防寒着衣は登山客の所有物なので、着脱は登山客の意志で行われ、ガイドに指図する権利はありません。このため、「ガイドが着衣の指示をしなかったために、薄着の登山客が低体温症になった」のならば、登山客の責任でしょう。ただし、自分で衣服の着脱管理ができない痴呆老人がツアー客の場合は、ツアー会社側は、痴呆老人に対して衣服の着脱介護の必要があります。
c)登山技術の問題
たとえツアー登山であっても、自分の足で歩かなくてはならないのだから、登山に十分な体力・技術が必要であることは明らかだ。しかし、今回の遭難と登山技術がどのように関係しているのか分からないので、何とも言えない。
d)低体温症
今回の遭難の直接の原因は「低体温症」であるが、低体温症に関して、「トムラウシ山遭難事故調査報告書」に次の記述がある。
『今回の生存者の中で明らかに低温体温症になったと思われる者の発症および進行が、同一ではなかったということは特記しておきたい。疲労度、体表面積、体重、体力などの個体差による違いがあるにしても、山で起こり得る偶発性低体温症の症状の出現、進行度に関しては、教科書を塗り替える必要があると思われた。(P61)』
低体温症について医学界でも解明されていないとしたならば、ガイドや登山客に「症状の出現、進行度」に対する知識がなかったとしても、仕方がないだろう。低体温症の発症や発症後の手当てに対して、一般に言われる処置を施しているならば、ガイドたちには、過失責任はない。
当Blogでも、本遭難事故について多少の言及し、これまでの検討で、以下の3点を明らかにした。
①気象条件:
遭難当日は、強風・低温ではあるが、大雪山系や北アルプス、富士山などでは珍しくない気象条件だった。同様な気象条件で、多くの登山者が、普通に登山している。また、この程度の風雨下での待機・休息は、日本の夏山では普通に行われている。
②防寒用着衣:
強風が体温低下に及ぼす影響は、防寒用着衣に大きく関係する。一般に、普通の風で問題ない防寒着衣であるならば、強風でも、それほど低体温症になることはないと考えられる。しかし、着衣不良の場合、強風は低体温症の主要原因になりうる。
③防水・防風用着衣
ゴアテックスの雨具は、耐水・防風性能に優れているので、生地を通した漏水や風の侵入は考えられないが、着衣不良の場合は、濡れや風の侵入が起こる。着衣が濡れた場合は急激に体温を奪われる。
以上の観点で、「トムラウシ山遭難事故調査報告書」を見ると、『風雨下での長い待機が低体温症を発症した(P61)』とまことしやかなことが書かれている。トムラウシ遭難当時の天候は、気温5℃、風速20m程度なのだから、これは、気温5℃のときに時速72kmでバイクに乗っている状況と類似している。まともな着衣ならば、低体温症になるような気象状況でないことは、常識的にも容易にわかるだろう。
「トムラウシ山遭難事故調査報告書」では、遭難原因に対して『体温を下げる最大の要因は「風の強さ」にある(P61)』としているため、『中止またはビバークが最適(P61)』との結論を出し、さらに、この見解に基づいて、ガイドが当日登山を決定した責任に言及し、さらに、『ガイドのスキルアップとガイド組織の見直し(P44,45)』を提言している。しかし、当時、この山域として珍しい気象状況ではなく、同様の気象状況で普通に登山がおこなわれているので、「トムラウシ山遭難事故調査報告書」の提言は、類似の遭難事故防止のための提言として適切とは言えない。
注意
トムラウシ遭難の多くの検証では、風の影響を風速1mあたり‐1℃とする極めて簡易な手法を使用している。これは、おおむね裸体の状態の推定法であるが、風の影響は着衣に顕著に依存するので、実際に着衣がある場合の推定としては、著しく正確さを欠く。このため、着衣を考慮した伝熱計算を行う必要がある。
人間の形は複雑で、着衣も重ね着をしていること、体の部位により着衣が異なることなど、複雑な要因が多い。しかし、複雑な状況を取り込んだ計算は難しいので、簡単な計算手法として、断熱材で被覆された等温円柱の熱伝達の理論から、着衣の影響を考慮した。
本来は、遭難者の着衣や形状を考慮して、より詳細な伝熱解析を行う必要がある。このような計算は、コンピュータを使えば容易にできるが、専用ソフトが必要なことと、計算技術が必要なことがあって、一般には計算サービス会社に計算を委託するが、それなりの費用が必要となる。
私の計算は、単純すぎるので、より詳細な計算が必要であると思う人は、ぜひとも、詳細な計算を行っていただきたい。
もう少しコメントすると、本職がコンピュータ数値解析で、かなり昔に、六ヶ所村の高レベル放射性廃棄物の伝熱解析に携わったこともあり、一般の人よりも、伝熱解析については、詳しいつもりです。現在は、樹脂の流動解析を行っており、液体や固体の伝熱解析が多いのですが、気体による冷却解析も多少、行っています。今回の簡易計算は、人体を円柱として着衣を均一の断熱材に置き換えました。これまでの経験と勘でそれほど違わないように思います。
トムラウシ山遭難事故の直接の原因は「低体温症」であるが、低体温症に至った原因は、以下の3点に分けられる。
a)気象条件
b)不十分な着衣
c)登山技術の問題
a)「気象条件」について:
この山域では珍しくない天候ではあるが、好天とは言えない天候だったので、登山経験が乏しい者にとっては、多少過酷な状況だったのかもしれない。
b)「不十分な着衣」について:
当然のことであるが、着衣が不十分、あるいは不良な着用の場合は、低体温症になりうる。
今回、遭難パーティー登山者の着衣がどのようなものだったのか、また、ザックにどのような防寒具を持っていたのか、明らかになっていないので詳しいことはわからない。
可能性としては「①防寒具を持っていなかった」「②持っていたけれど濡らすなどして使えなかった」「③持っていたけれど使わなかったために低体温症になった」の3つが考えられる。
同日、同コースを登山して1名が低体温症になった別パーティーの話では、低体温症になった登山者は、ザックにダウンジャケットを持っていたにもかかわらずそれを使用せずに低体温症になり、ダウンジャケットを着用して低体温症が治ったとのことであるので、今回の遭難パーティーも「防寒具を持っていたけれど使わなかったために低体温症になった」のかもしれない。
c)「登山技術の問題」について:
低体温症は疲労凍死と言われていたことがある。疲労が低体温症に何らかの関係があるのかもしれない。今回の遭難パーティーは通称ロックガーデンの通過で、何度も転倒している者もおり、相当な疲労をした可能性がある。
また、北沼の水があふれて登山道が一部水没していたために、深さ数十センチ、幅2mを渡渉する必要があった。このような場合、思い切って渡ると大したことないのだが、おっかなびっくり時間をかけて渡ると、冷たい水で体温を奪われる。今回の遭難パーティーは渡渉後に異常をきたしたものが多いので、何らかの関係があるのかもしれない。
次に、今回の遭難の責任について。
遭難の原因は単一ではない。それぞれの原因によって、責任の所在も異なる。
a)気象条件
特別に尋常でない気象条件で起こった災害の場合は、誰も予見不可能なので、不可抗力である。
今回の遭難は、この山域としては、毎年、何回か起こっている気象条件なので、この程度の気象条件を予見できなかったら、添乗員や道案内人の過失である。もし、遭難の原因が気象条件にあるのだとしたら、ガイドとしての欠陥であり、刑事上の責任も免れないだろう。また、もし、遭難の原因が気象条件にあるのだとしたら、著しく能力の劣った者をガイドとして雇った旅行会社側にも、過失責任の可能性がある。
添乗員には旅行業法に基づき旅程を守る義務が課されているので、正当な理由なく、日程を変更したり行程を短縮することは許されていません。旅行会社から日程を守るように指導されていることもあって、添乗員には日程を変更したくない気持ちがあるそうです。このため、旅行会社に縛られている添乗員の地位が遭難につながるとの意見もありますが、今回の遭難では、添乗員やガイドには気象条件等による旅行の危険性の認識がないので、今回の遭難には旅行会社との力関係の問題は無関係です。
今回の遭難では、ガイドは何の躊躇もなく小屋を出発しており、尾根に出て風が強いことが分かった後も、そのまま登山を続行している。当時の気候では、登山に支障がないと思っていたのだろう。
b)不十分な着衣
防寒のための衣料は、登山客が用意することになっていたので、登山客は自分の所有物である防寒具を所持していた。登山客の所有物であるので、その管理や着用は登山客にゆだねられている。もし、「持っていたけれど濡らすなどして使えなかった」「持っていたけれど使わなかったために低体温症になった」などが遭難の原因ならば、その責任は登山客自身にあることになるだろう。
遭難事故から無事生還した登山客の中には、ガイドが着衣の指示をしなかったために、薄着の登山客が低体温症になったと、ガイドの過失であるかのような言説がありました。しかし、防寒着衣は登山客の所有物なので、着脱は登山客の意志で行われ、ガイドに指図する権利はありません。このため、「ガイドが着衣の指示をしなかったために、薄着の登山客が低体温症になった」のならば、登山客の責任でしょう。ただし、自分で衣服の着脱管理ができない痴呆老人がツアー客の場合は、ツアー会社側は、痴呆老人に対して衣服の着脱介護の必要があります。
c)登山技術の問題
たとえツアー登山であっても、自分の足で歩かなくてはならないのだから、登山に十分な体力・技術が必要であることは明らかだ。しかし、今回の遭難と登山技術がどのように関係しているのか分からないので、何とも言えない。
d)低体温症
今回の遭難の直接の原因は「低体温症」であるが、低体温症に関して、「トムラウシ山遭難事故調査報告書」に次の記述がある。
『今回の生存者の中で明らかに低温体温症になったと思われる者の発症および進行が、同一ではなかったということは特記しておきたい。疲労度、体表面積、体重、体力などの個体差による違いがあるにしても、山で起こり得る偶発性低体温症の症状の出現、進行度に関しては、教科書を塗り替える必要があると思われた。(P61)』
低体温症について医学界でも解明されていないとしたならば、ガイドや登山客に「症状の出現、進行度」に対する知識がなかったとしても、仕方がないだろう。低体温症の発症や発症後の手当てに対して、一般に言われる処置を施しているならば、ガイドたちには、過失責任はない。