トムラウシ山遭難考―松本証言 ― 2010年07月23日
読売新聞に、『「見切り発車だった」…トムラウシ遭難のガイド』との見出しで、以下の記事がある。
『山と渓谷8月号』のインタビュー記事を見ると、遭難被害を拡大した最大の原因は、松本の資質にあるような気がする。旅行会社は「責任ある判断ができる添乗員」「まともなガイド」のほかに、「命令されない限り、まともな行動ができない人」をポーターとして付けたのだろうか。松本がポーターや、サポートをしている限り問題なかったが、添乗員とガイドの2人が遭難者介護で行動できなくなると、松本が登山客を連れて下山することになり、彼の対応のまずさから、パーティーが分裂し、さらに4名の死者を出すことにつながった。
松本証言を読むと『この男に引率は無理』と感じる。
トムラウシ山遭難事故調査特別委員会よる「トムラウシ山遭難事故調査報告書」では、ガイドに対して「広範にわたる登山の知識や技術を、体系的に、実戦的に学び、全体のレベルアップを図る必要がある」としている。しかし、いくら教えても、もともとレベルアップが不可能な人もいる。そういう人はガイドに採用すべきではないとの考えもあるだろうが、ツアー登山には、単なるポーター役の人も必要なので、ツアー登山リーダーにふさわしくない者をスタッフに加えることも有り得るだろう。なお、ツアースタッフ全員がツアー登山リーダーにふさわしい者でなくてはならないと考えるならば、旅行業法を改定して、資格取得を義務付けるべきである。
松本が無能だとしても、登山客の中にも、適切な判断ができるものはいなかったのだろうか。ツアー客に、適切な判断をするべき法的義務はないだろうが、もし、適切な判断をしていれば、被害をもっと少なくすることができたはずで、残念である。無事生還を果たしたツアー客の中には「自分の行動は正しかった」との主張をを繰り返す者がいる。登山は自然を相手にするものなので、いついかなる場合に緊急事態が生じないとも限らない。このようなときには、登山者自身が正しい判断をして、危機を脱することができたほうが良いし、その気持ちが全くない者には、登山は危険である。『客は適切な判断などする必要はない』と思っている人には、登山は止めてほしい。
北海道の大雪山系・トムラウシ山(2141メートル)で東京の旅行会社「アミューズトラベル」が企画した縦走ツアーの参加者ら8人が死亡した遭難事故で、生還した男性ガイド(39)が、雑誌のインタビューに対し、悪天候の中でツアーを続行した判断について「見切り発車だった」と証言していることがわかった。(YOMIURI ONLINE 2010年7月23日09時43分)これは、7月15日に発売された『山と渓谷8月号』に掲載されたインタビュー記事に基づいているが、なぜ今頃、1週間前の雑誌の記事を新聞が載せるのだろう。証言しているトムラウシ遭難のガイドとは、ポーター役の松本である。
『山と渓谷8月号』のインタビュー記事を見ると、遭難被害を拡大した最大の原因は、松本の資質にあるような気がする。旅行会社は「責任ある判断ができる添乗員」「まともなガイド」のほかに、「命令されない限り、まともな行動ができない人」をポーターとして付けたのだろうか。松本がポーターや、サポートをしている限り問題なかったが、添乗員とガイドの2人が遭難者介護で行動できなくなると、松本が登山客を連れて下山することになり、彼の対応のまずさから、パーティーが分裂し、さらに4名の死者を出すことにつながった。
松本証言を読むと『この男に引率は無理』と感じる。
トムラウシ山遭難事故調査特別委員会よる「トムラウシ山遭難事故調査報告書」では、ガイドに対して「広範にわたる登山の知識や技術を、体系的に、実戦的に学び、全体のレベルアップを図る必要がある」としている。しかし、いくら教えても、もともとレベルアップが不可能な人もいる。そういう人はガイドに採用すべきではないとの考えもあるだろうが、ツアー登山には、単なるポーター役の人も必要なので、ツアー登山リーダーにふさわしくない者をスタッフに加えることも有り得るだろう。なお、ツアースタッフ全員がツアー登山リーダーにふさわしい者でなくてはならないと考えるならば、旅行業法を改定して、資格取得を義務付けるべきである。
松本が無能だとしても、登山客の中にも、適切な判断ができるものはいなかったのだろうか。ツアー客に、適切な判断をするべき法的義務はないだろうが、もし、適切な判断をしていれば、被害をもっと少なくすることができたはずで、残念である。無事生還を果たしたツアー客の中には「自分の行動は正しかった」との主張をを繰り返す者がいる。登山は自然を相手にするものなので、いついかなる場合に緊急事態が生じないとも限らない。このようなときには、登山者自身が正しい判断をして、危機を脱することができたほうが良いし、その気持ちが全くない者には、登山は危険である。『客は適切な判断などする必要はない』と思っている人には、登山は止めてほしい。