本の紹介-奇妙な時間が流れる島サハリン ― 2010年10月10日

『奇妙な時間が流れる島サハリン 』田中水絵/著 凱風社(1999/11)
1992年にソ連が崩壊すると、日本人もサハリンに比較的容易に渡航できるようになった。筆者はその時期にサハリンに渡り、それ以降、サハリンで日本語教師をするなど、数回、サハリンを渡航した。本の内容は、そのときに出合った現地の人との交流の記録。サハリンに残留した朝鮮人や日本人の話が多い。
元サハリン州党委員会の書記だった歴史研究家クージンが公表した『サハリン・沿海州』により、有益な人物の帰国をしぶったことを確認している。
1992年にソ連が崩壊すると、日本人もサハリンに比較的容易に渡航できるようになった。筆者はその時期にサハリンに渡り、それ以降、サハリンで日本語教師をするなど、数回、サハリンを渡航した。本の内容は、そのときに出合った現地の人との交流の記録。サハリンに残留した朝鮮人や日本人の話が多い。
元サハリン州党委員会の書記だった歴史研究家クージンが公表した『サハリン・沿海州』により、有益な人物の帰国をしぶったことを確認している。
同書によると、引揚げ者の名簿は日本の企業を接収したソ連の各工場や生産現場の指導部が作成し、次に政府機関で検分され、最後に引揚げ委員会で承認された。これでは、引揚げが伸び伸びになるのは当たり前だ。生産現場から政府機関に送られた手紙が、その間の経緯を物語っている。
「日本人が大規模に帰国すると、労働力が不足し、操業ができなくなるので、引揚げの規模や期間を考慮してほしい」
特に、石炭部門の責任者からの、引揚げ延長を求めた手紙が多い。
引揚げの順番についても、司令官や民政局が先に挙げた「よく働く者」を、工場や生産現場が真っ先に手放すはずがない。案の定、彼らが選んだ基準は、まず「企業所有者」「商人」「官吏」「その他のブルジョア分子」「インテリゲンチァの一部」「働いていない住民」「子だくさんの人」だった。復興をめざすソ連にとって必要な、労働者や農民、医師や教師、技師は後回しにされた。残される日本人の精神面を考慮してか、神社などの聖職者も後回しになった。
北方領土返還運動関係者は、「全員強制的に日本に送還された」と、書く人がいます。当時、ソ連は労働者不足で困っていたのだから、働ける人間を返したくなかったのです。全員が帰国できるほど甘くはなかった。北方領土に居住していた人たちは、ほぼ全員が帰国を待ちわび、その気持ちにこたえるために、日本政府やアメリカ政府が努力した結果、多くの人が帰国することが出来たのです。