尖閣問題-日本の対応 ― 2010年11月01日
尖閣諸島には、日中間の歴史的経緯があるので、日中両国民のそれぞれ異なった感情があることは致し方ないことです。一般的にいえば、日中両国政府は国民感情に配慮した冷静な対応をとるべきです。これまでの自民党政権時代には、中国国民の反発を受けないような冷静な対応で、実効支配の実をあげていました。領土問題では、一番賢明な対応です。
今回、事件の発端となった漁船は、日本が実効支配する海域での犯罪のようですので、逮捕するのは当然です。これまでの政府の対応は、48時間以内の強制退去処分でしたが、今回は大きく異なっていました。時系列的に書くと次のようになります。
9月7日 事件発生
9月8日 逮捕(19日までの拘留)
9月18日 言わずと知れた918
9月20日 10日間の拘留延長を発表
9月24日 釈放
わざと、918以降に拘留を長引かせたように感じますが、9月18日以降、中国各地で反日デモが起こり、20日以降、中国政府の日本批判が激しくなります。今回の逮捕、再逮捕は、918を見越しての強行処置だったのだろうか、それとも、何も考えずに行ったのだろうか。もし後者なら、なんという、歴史感覚のなさなのか!
逮捕・再逮捕したことが正しかったのか、これまでのような対応が良かったのか、私には判断できません。逮捕した以上、日本の刑事訴訟手続きに従った検察の対応になり、完全に日本の国内問題です。今回は起訴猶予処分になりました。検察が起訴猶予処分にした場合や、裁判で無罪が確定した場合は、政府が拘禁することは許されません。釈放されるのは当然で、日本側からしたら、漁船衝突事件については、終わっています。
検察は中国船船長を公務執行妨害容疑で逮捕・再逮捕しましたが、船長を起訴するだけの証拠があったのか、はなはだ疑問です。漁船がぶつかったとしても、船長が故意にぶつけたことの立証には、不十分です。マスコミ報道を見ると、船長自身が操船していなかったように感じます。もしそうだとすると、船長が操船指示をしていたことを立証する必要があります。
以前、坂下登船長の船が北方近海で銃撃を受け、一人死亡したとき、日本は反ロシアの大合唱でした。坂下は国会でも取り上げられたことのあるスパイ犯罪者でしたが、日本がこんな国家的前科者を擁護するのが不思議でした。これに対して、今回の中国の船長は、中国の国家的犯罪者ではなかったので、中国人が英雄視する態度は、坂下事件の日本の世論に比べたら、マシだと思います。
領土問題になると、中国人も日本人も冷静さを欠くようで、両国民が冷静さを失わないように、両国政府は適切な対応が必要です。今回の日本政府の対応は、中国人(人民)を刺激して、中国政府(共産党)に反感を向かわせようとしたのかもしれません。
今回、事件の発端となった漁船は、日本が実効支配する海域での犯罪のようですので、逮捕するのは当然です。これまでの政府の対応は、48時間以内の強制退去処分でしたが、今回は大きく異なっていました。時系列的に書くと次のようになります。
9月7日 事件発生
9月8日 逮捕(19日までの拘留)
9月18日 言わずと知れた918
9月20日 10日間の拘留延長を発表
9月24日 釈放
わざと、918以降に拘留を長引かせたように感じますが、9月18日以降、中国各地で反日デモが起こり、20日以降、中国政府の日本批判が激しくなります。今回の逮捕、再逮捕は、918を見越しての強行処置だったのだろうか、それとも、何も考えずに行ったのだろうか。もし後者なら、なんという、歴史感覚のなさなのか!
逮捕・再逮捕したことが正しかったのか、これまでのような対応が良かったのか、私には判断できません。逮捕した以上、日本の刑事訴訟手続きに従った検察の対応になり、完全に日本の国内問題です。今回は起訴猶予処分になりました。検察が起訴猶予処分にした場合や、裁判で無罪が確定した場合は、政府が拘禁することは許されません。釈放されるのは当然で、日本側からしたら、漁船衝突事件については、終わっています。
検察は中国船船長を公務執行妨害容疑で逮捕・再逮捕しましたが、船長を起訴するだけの証拠があったのか、はなはだ疑問です。漁船がぶつかったとしても、船長が故意にぶつけたことの立証には、不十分です。マスコミ報道を見ると、船長自身が操船していなかったように感じます。もしそうだとすると、船長が操船指示をしていたことを立証する必要があります。
以前、坂下登船長の船が北方近海で銃撃を受け、一人死亡したとき、日本は反ロシアの大合唱でした。坂下は国会でも取り上げられたことのあるスパイ犯罪者でしたが、日本がこんな国家的前科者を擁護するのが不思議でした。これに対して、今回の中国の船長は、中国の国家的犯罪者ではなかったので、中国人が英雄視する態度は、坂下事件の日本の世論に比べたら、マシだと思います。
領土問題になると、中国人も日本人も冷静さを欠くようで、両国民が冷静さを失わないように、両国政府は適切な対応が必要です。今回の日本政府の対応は、中国人(人民)を刺激して、中国政府(共産党)に反感を向かわせようとしたのかもしれません。
祝:メドべージェフ、クナシリ島訪問 ― 2010年11月01日
11月1日、メドベージェフ大統領はクナシル島のユジノクリリスクを訪問しました。
大統領が国土と国民を守る意思を示すことは、住民に安心感を与え、喜ばしいことです。
大統領が国土と国民を守る意思を示すことは、住民に安心感を与え、喜ばしいことです。
メドベージェフを歓迎する ― 2010年11月02日
メドベージェフを歓迎する:
クナシル島のユジノクリリスクを訪れたメドベージェフ大統領は、各地で、島民に歓迎されています。幼稚園を訪問したそうですが、この子たちが大人になって、この土地で平穏に暮らせることを宣言しているようです。子供たちの親にも喜びと安心を与える訪問です。さすが、メドベージェフ大統領。この訪問で、国内支持率が上昇するでしょう。
外交では、日本が反発するかもしれないけれど、そのデメリットは少ない。今回の訪問は、北特法改正に反発した面があります。前原が委員長で改正の主導をしたのだけれど、前原にはどのような戦略があったのだろう。軽率な行為だったのか。
尖閣問題:
外交関係で、強硬姿勢をとるのは、国内向けアピールであることが多い。中国は、日本との会談を拒否したけれど、会談によって日中関係で得る利益よりも、国内的に失うものの方がずっと大きいと判断したのでしょう。正しい判断です。
尖閣問題:
最初から、日本の強硬姿勢が目立つ対応でしたが、菅・前原は何を目的としていたのか、いまだに分かりません。強硬姿勢は、国内向けアピールで、普通は支持率を増やしますが、今回は、支持率急落。
ビデオを一部議員に公開しました。遅すぎ。追い込まれて、やむなく公開した印象がぬぐえません。最悪の対応です。
菅・前原:
尖閣問題、北方領土問題で、菅・前原の対応は、目的がはっきりしません。それで、国民の支持を失っています。
でもね、彼らは、よほどの曲者、相当な策士かもしれない。
尖閣問題で荒れることによって、アメリカ海兵隊の沖縄駐留が必要であることを見せ付けて、普天間の島内移設を図るのかもしれない。中国・ロシアとの領土問題を見せ付けることによって、防衛費・米軍駐留経費を大幅に増やし、そのための、消費税大増税を目論んでいるのかもしれない。
菅直人を見ていると、彼が、学生のときに師事した永井陽之助の膨らんだ禿げ頭を思い出してしまいます。菅・前原をあなどってはならない。
クナシル島のユジノクリリスクを訪れたメドベージェフ大統領は、各地で、島民に歓迎されています。幼稚園を訪問したそうですが、この子たちが大人になって、この土地で平穏に暮らせることを宣言しているようです。子供たちの親にも喜びと安心を与える訪問です。さすが、メドベージェフ大統領。この訪問で、国内支持率が上昇するでしょう。
外交では、日本が反発するかもしれないけれど、そのデメリットは少ない。今回の訪問は、北特法改正に反発した面があります。前原が委員長で改正の主導をしたのだけれど、前原にはどのような戦略があったのだろう。軽率な行為だったのか。
尖閣問題:
外交関係で、強硬姿勢をとるのは、国内向けアピールであることが多い。中国は、日本との会談を拒否したけれど、会談によって日中関係で得る利益よりも、国内的に失うものの方がずっと大きいと判断したのでしょう。正しい判断です。
尖閣問題:
最初から、日本の強硬姿勢が目立つ対応でしたが、菅・前原は何を目的としていたのか、いまだに分かりません。強硬姿勢は、国内向けアピールで、普通は支持率を増やしますが、今回は、支持率急落。
ビデオを一部議員に公開しました。遅すぎ。追い込まれて、やむなく公開した印象がぬぐえません。最悪の対応です。
菅・前原:
尖閣問題、北方領土問題で、菅・前原の対応は、目的がはっきりしません。それで、国民の支持を失っています。
でもね、彼らは、よほどの曲者、相当な策士かもしれない。
尖閣問題で荒れることによって、アメリカ海兵隊の沖縄駐留が必要であることを見せ付けて、普天間の島内移設を図るのかもしれない。中国・ロシアとの領土問題を見せ付けることによって、防衛費・米軍駐留経費を大幅に増やし、そのための、消費税大増税を目論んでいるのかもしれない。
菅直人を見ていると、彼が、学生のときに師事した永井陽之助の膨らんだ禿げ頭を思い出してしまいます。菅・前原をあなどってはならない。
メドベージェフのメッセージ ― 2010年11月02日
11月1日、メドベージェフ大統領は、国家元首として、初めて、北方領土の国後島を訪問しました。
日本のマスコミは「今回の北方領土訪問の背景には、2012年のロシア大統領選をにらみ、強い指導者像をアピールして権力基盤を固める狙いがあると見ることもできる」(読売新聞社説)のように、ロシアの強硬姿勢の表れとの解説が、ほとんどすべてです。そして、今後日ロ関係が後退するとの警告を発しています。
このような一面的な解釈しかできないのでは、ちょっと、知恵がなさすぎです。メドベージェフは、今回、クナシリ島を訪問しました。クナシリ島をロシアの領土として保全することを宣言しています。これは、同時に、シコタン島を交渉の対象であることを示していることにもなりえます。
日ソ間の条約は1956年の日ソ共同宣言で、この中に、平和条約締結後の歯舞・色丹の日本への引き渡しが約束されています。プーチン、メドベージェフは、法と正義に基づいて解決すると言っていますが、日ソ、日ロ間で「法的拘束力を有する国際約束」は1956年の日ソ共同宣言です。
今回の、クナシル島訪問は、日ロ間の領土問題は、法と正義に基づいて解決すべきとの、メドベージェフのメッセージでしょう。
菅内閣、日本の国内世論に、メドベージェフのメッセージを受け止める能力があるのか。
なお、日本の頑迷な4島返還論者は、1993年の東京宣言も「法的拘束力を有する国際約束」であるかのような言説を吹聴しますが、日本政府(小泉内閣)は、平成十八年二月二十四日受領 答弁第六九号で、「千九百九十三年十月十三日付けの日露関係に関する東京宣言は、法的拘束力を有する国際約束ではない」と、明確に否定しています。
日本のマスコミは「今回の北方領土訪問の背景には、2012年のロシア大統領選をにらみ、強い指導者像をアピールして権力基盤を固める狙いがあると見ることもできる」(読売新聞社説)のように、ロシアの強硬姿勢の表れとの解説が、ほとんどすべてです。そして、今後日ロ関係が後退するとの警告を発しています。
このような一面的な解釈しかできないのでは、ちょっと、知恵がなさすぎです。メドベージェフは、今回、クナシリ島を訪問しました。クナシリ島をロシアの領土として保全することを宣言しています。これは、同時に、シコタン島を交渉の対象であることを示していることにもなりえます。
日ソ間の条約は1956年の日ソ共同宣言で、この中に、平和条約締結後の歯舞・色丹の日本への引き渡しが約束されています。プーチン、メドベージェフは、法と正義に基づいて解決すると言っていますが、日ソ、日ロ間で「法的拘束力を有する国際約束」は1956年の日ソ共同宣言です。
今回の、クナシル島訪問は、日ロ間の領土問題は、法と正義に基づいて解決すべきとの、メドベージェフのメッセージでしょう。
菅内閣、日本の国内世論に、メドベージェフのメッセージを受け止める能力があるのか。
なお、日本の頑迷な4島返還論者は、1993年の東京宣言も「法的拘束力を有する国際約束」であるかのような言説を吹聴しますが、日本政府(小泉内閣)は、平成十八年二月二十四日受領 答弁第六九号で、「千九百九十三年十月十三日付けの日露関係に関する東京宣言は、法的拘束力を有する国際約束ではない」と、明確に否定しています。
メドベージェフ国後島訪問-捏造報道はよくない ― 2010年11月03日

11月1日、国後島を訪問したメドベージェフ大統領は、自身のツイッターに訪問の話題を書き込んだ。
http://twitter.com/kremlinrussia
これに対して、読売新聞はメドベージェフの書き込みを「きょう初めて国後島を訪れた。住民と話し地熱発電所を訪ねた」と報道した。産経新聞も同様な報道をしている。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101102-OYT1T00545.htm
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101102/erp1011021112006-n1.htm
メドベージェフは読売・産経新聞の報道のような書き込みをしていない。
正しくは「きょう初めてクリルを訪れた。住民と話し地熱発電所を訪ねた」と書かれている。
記者の誤りなのか、捏造なのか、いずれにしても、誤報はよくない。
メドベージェフは「クリルを訪れた」と書いている。日本はサンフランシスコ条約でクリルを放棄したので、クリルは日本の領土ではない。このため、メドベージェフが「クリルを訪れた」と書いているのは、正当性の主張が入っているのだろう。
読売・産経新聞の誤報のように、メドベージェフが「きょう初めて国後島を訪れた」と書いているならば、日本は、単純にメドベージェフを非難すればよいのかもしれないが、「クリルを訪れた」と書いている以上、日本がメドベージェフの訪問を批判するのならば、国後島がクリルでないことを世界に向けて説明する必要がある。
写真は、1902年、逓信省発行、印刷局印刷 紀念絵葉書の一部。日本政府も国後・択捉をクーリール(KOURILES)と認識していたことを示す一例です。
読売・産経新聞の報道は単純な『誤報』だろうか、日本の正当性を国民に植え付けるためにメドベージェフのツイッターを『捏造』したのだろうか。
なお、朝日新聞の11月3日朝刊では、「クリル」と正しく書かれている。
メドベージェフのツイッターは、地理上の常識で「クリル」に含まれる「国後・択捉」は返還する意思はないと言っているように思う。色丹・歯舞は返還の余地があるとの意味だろうか。メドベージェフの国後訪問は、1956年に締結した条約(日ソ共同宣言)に基づいて、国境画定交渉をしようとのシグナルではないだろうか。
ヤンバ ダム ― 2010年11月06日
ヤンバダム(2) ― 2010年11月07日
北方領土問題関連の論文 ― 2010年11月16日
最近、北方領土問題関連の論文を読んだ。岩手県立大学・黒岩幸子先生の以下2件の論文である。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004682649
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006198620
著者は、長年、北方4島交流の通訳を務めたことがある人で、日ロ双方の事情を知り尽くしているようだ。
論文は、正確な歴史経緯から説き起こし、北方領土問題全体を概説している。戦前、北方領土は日本の領土だったが、そこに至った歴史的経緯が詳しく記され、日ロどちらか一方の意見を支持するという性格のものではなく、事実を淡々と記載している。終戦期の記述は、元島民の証言に基づいている。このため、終戦期の記述は、信ぴょう性には疑問が残る。
北方領土問題について、個々人には、それぞれの意見があるだろう。しかし、その前提となる知識がデタラメでは、話にならない。そのような愚を犯している、主義主張が多いが、上記論文を良く読んで、知識に誤りがないか、一度、確認することは重要だ。
論文の中に、通訳ならではと思える記述がある。
日本では、「私達の祖先が血と汗で拓いた我が国固有の領土」などと言われることが多い。日本人の祖先が、血を流したのは、いつのことだろうか。弾圧したアイヌの逆襲にあって、和人71人が殺されたことだろうか。まさか、アイヌの少女を慰みものにして、血を流させたことではあるまい。「開拓した」と、普通に言えば良いところを、「血と汗で拓く」と言うのは、心情に訴える表現だろうが、正しい歴史認識から、逸脱する恐れがあり、注意が必要だ。
北方領土問題は以下をご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004682649
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006198620
著者は、長年、北方4島交流の通訳を務めたことがある人で、日ロ双方の事情を知り尽くしているようだ。
論文は、正確な歴史経緯から説き起こし、北方領土問題全体を概説している。戦前、北方領土は日本の領土だったが、そこに至った歴史的経緯が詳しく記され、日ロどちらか一方の意見を支持するという性格のものではなく、事実を淡々と記載している。終戦期の記述は、元島民の証言に基づいている。このため、終戦期の記述は、信ぴょう性には疑問が残る。
北方領土問題について、個々人には、それぞれの意見があるだろう。しかし、その前提となる知識がデタラメでは、話にならない。そのような愚を犯している、主義主張が多いが、上記論文を良く読んで、知識に誤りがないか、一度、確認することは重要だ。
論文の中に、通訳ならではと思える記述がある。
…「北方領土」に関する日本側の歴史は、…「北方領土は私達の祖父母が血と汗で開拓した土地であり、彼らは今もそこに眠っています」から始まる。父祖伝来とはいつ頃からを指すのか、祖父母が血と汗で開拓を始めたのはいつからか、明示されたことはない。
なお、「血と汗で開拓」の決まり文句は、ロシア語に訳す場合には「血」は省いて、「汗を流して開拓」にする方が好ましいというのが、通訳者の間での共通の了解であった。この場合、ロシア語で「血」を使うならば、ロシア人は文字どおり、流血を伴う開拓、つまり、戦闘による殺繊を交えての開拓を連想する可能性があるからだ。…
日本では、「私達の祖先が血と汗で拓いた我が国固有の領土」などと言われることが多い。日本人の祖先が、血を流したのは、いつのことだろうか。弾圧したアイヌの逆襲にあって、和人71人が殺されたことだろうか。まさか、アイヌの少女を慰みものにして、血を流させたことではあるまい。「開拓した」と、普通に言えば良いところを、「血と汗で拓く」と言うのは、心情に訴える表現だろうが、正しい歴史認識から、逸脱する恐れがあり、注意が必要だ。
北方領土問題は以下をご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm
本の紹介-尖閣諸島・琉球・中国 ― 2010年11月21日

尖閣諸島・琉球・中国 日中国際関係史 浦野起央/著
尖閣諸島の領有権問題について、日本領論を主張する論文。引用文献も詳細に示しているので、学習・研究の手引きに有用。
尖閣問題では、井上清氏が中国領論を唱えた。浦野起央の著書は、井上論文の論拠が不十分な点を論駁している。しかし、そもそも、近代以前の領有関係は、現代の領有と同列に論じることは出来ないので、現代の国際法から見たら、前近代の領有には不十分な点があるのは当然のことである。浦野の主張は、尖閣が中国領との主張を論拠不十分と論駁し、日本領論が正当であると主張しているが、日本領論であることを積極的に主張する精密な論拠を展開してほしかった。
私には、浦野の記述が理解できない点がある。一例を挙げる。
ペリーは…日米和親条約を締結して後、再び那覇に戻り、…琉球・米国条約を締結した。この取極は、中国式文書の形式をとり、条約の名はなく琉球国中山府史売大臣尚勲、布政大臣馬良才とペリーが署名し、琉球国印が捺印された。この締結の経緯からすると、日米和親条約がいずれは琉球にも適用されることを予想した暫定措置として、条約名なしのconventionをもって締結されたと解することができる。(P99)『条約名なしのconventionをもって締結されたと解する』根拠は何でしょうか。この文章を見ると、琉米条約に条約名がないので、暫定的な協定だったと解するように感じられる。しかし、日米和親条約・日露和親条約・樺太千島交換条約などにも、条約名はなく、琉球・米国条約も条約名が無いのは、他の条約と同様であり、珍しいことではない。
日米和親条約や、琉米和親条約はどちらもタイトルがないので、日米和親条約は恒久的な条約で、琉米和親条約は暫定的な協定であると主張しているのだろうか。
浦野の本での、文献の引用は、正当なものなのか、きちんと検証する必要があるように思える。
サンフランシスコ条約後の沖縄 ― 2010年11月25日
尖閣列島の領有問題に関連して、『沖縄は米国信託統治だった』と書いた。この件に関して、沖縄は国連の信託統治ではないとの趣旨の指摘を受けた。
サンフランシスコ条約第3条前段で、『合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国の提案』に、日本国は同意したが、そのような提案はなされなかったので、沖縄は国連信託統治にはなっていない。
沖縄を米国が支配していた根拠は、サンフランシスコ条約第3条後段の、『このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は…行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する』との条文にしたがったものだった。
サンフランシスコ条約後の沖縄はどのようになったと、高校では教えているのだろうか。手元のいくつかの教科書等を調べると、なんだかおかしなように感じる。
2007年、早稲田大学文学部日本史の入試問題はサンフランシスコ条約後の沖縄に対して、正解とすべきか誤りとすべきか判断に迷うものです。
この問題の正解は、エのみとするのか、エオとするのか、予備校の解答でも見解が分かれているようだ。
サンフランシスコ条約第3条前段で、『合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国の提案』に、日本国は同意したが、そのような提案はなされなかったので、沖縄は国連信託統治にはなっていない。
沖縄を米国が支配していた根拠は、サンフランシスコ条約第3条後段の、『このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は…行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有する』との条文にしたがったものだった。
サンフランシスコ条約後の沖縄はどのようになったと、高校では教えているのだろうか。手元のいくつかの教科書等を調べると、なんだかおかしなように感じる。
詳説世界史研究(参考書)詳説世界史研究の国連信託統治は誤りのようだ。新・世界史の記述「置くこととなった」は、ちょっとおかしいような。詳説日本史の記述は、まあ正しいような感じがしするが、「アメリカの信託統治が予定されていた」は良いのかなー。「アメリカ施政の国連信託統治提案をアメリカがする場合に日本が同意した」のであって、「予定されていた」は言い過ぎに感じる。
沖縄と小笠原諸島は国連の信託統治下におかれ、アメリカの軍事占領が継続した。
詳説世界史(山川出版の教科書)
記載なし(だと思う)
新・世界史(山川出版の教科書)
この講和条約によって…沖縄・小笠原諸島をアメリカの施政権下に置くこととなった。
詳説日本史(山川出版の教科書)
南西諸島・小笠原諸島は、アメリカの信託統治が予定されていたが、アメリカはこれを国際連合に提案せずに施政権下においた。
2007年、早稲田大学文学部日本史の入試問題はサンフランシスコ条約後の沖縄に対して、正解とすべきか誤りとすべきか判断に迷うものです。
問 サンフランシスコ講和会議をめぐる以下の記述のうち、誤りを含むものはどれか。該当する記号をマークしなさい。エは明らかに誤った記述なので、この問題で選択すべきなのはエであることは明らかだが、オは誤りかどうか、微妙だ。『アメリカを施政権者とする国連の信託統治のもとに置かれた』と書いてあったならば、誤りだけれど、『アメリカを施政権者とする統治のもとに置かれた』ならば正解だろう。信託統治とは、普通は、国連信託統治のことなので、オは誤りとするほうが自然なように感じるが。。。
ア~ウ (正しい記述が書かれている)
エ ソ連はアメリカ主導の講和会議はアジアの政治的緊張を高めるとの理由で、講和会議への参加を拒否した。
オ サンフランシスコ平和条約によって日本は主権を回復したが、沖縄・小笠原諸島はアメリカを施政権者とする信託統治のもとに置かれた。
この問題の正解は、エのみとするのか、エオとするのか、予備校の解答でも見解が分かれているようだ。