本の紹介―久米島虐殺の記録2010年12月28日

沖縄の日本軍 久米島虐殺の記録 大島幸夫/著(新泉社)1982.9

 久米島虐殺事件とは、太平洋戦争末期に、沖縄・久米島に駐屯した日本軍が、住民を次々に虐殺した事件。米軍上陸後、住民により米軍に隠れ場所を知られることを恐れた日本軍が、住民を殺害したものである。しかし、それだけではなくて、敗戦の腹いせに、気に入らない琉球人や、朝鮮人一家を血祭りに上げた面も否定できない。殺戮は8月15日を過ぎても続いた。
 この事件は、沖縄返還直前に、サンデー毎日などで報じられたため、広く知られることとなったので、事件の概要は知っていたが、日本軍の隊長は米軍に投降するに際して、関係を強いていた16歳の少女を、後片付け(殺害)したのか、放置したのか、その点知らなかったので、この本を読んだ次第である。

 日本軍の隊長・鹿山正兵曹長は、住民や部下に米軍との徹底抗戦を命じていたが、その間、連絡係との理由で壕に連れ込んだ現地の美少女に、関係を強要していた。鹿山は住民に対して米軍と徹底抗戦を命じ、米軍に投降しそうな住民を殺害していたが、自らは、米軍に投降した。このとき、鹿山は、関係した少女を放置し、少女はその後、鹿山の子供を出産した。周囲の冷たい眼の中で、育てるのは、並大抵の苦労ではなかっただろう。
 鹿山は、米軍捕虜になった後、故郷の徳島に帰り、農協役員を務めていたが、その間、関係を強要した少女や、自分の子供に関心がなかったようで、金銭的援助も全くしていなかった。
 サンデー毎日の報道をきっかけに、女性週刊誌などマスコミで鹿山が激しく批判されると、それなりの賠償金を支払ったそうだ。 

 中国を侵略した日本軍は、現地で関係を強要した女性を、後片付けした例が多いが、鹿山の場合は、同国人と言うこともあり、さすがに、後片付けせずに、放置したのだろう。そのため、20年以上たってから、批判にさらされることになったが、少女を殺害していたら、賠償金を払うこともなかったのだろうか。

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