オドケ2010年12月21日

 北方領土のうちで、日本に一番近い島は、貝殻島であると、政府のパンフレットなどには、書いてあるのですが、貝殻島は満潮時に水没する低潮高地です。隣にあるオドケは、人によって、島とも岩とも言いますがこれが島ならば、日本に一番近い島はオドケです。
 ということを下のBlogに書きました。

 群馬県南西部に御荷鉾山と赤久縄山の間に『オドケ山』があります。
 ひょうきんな名前ですが、いったい語源は何だろう。小突起?小峠? 群馬県西部は、渡来系の地名が多いのですが。。。

 歯舞のオドケも同じ語源かなー。

北方4島「すべてロシア領だ」2010年12月25日

 ロシアのメドベージェフ大統領は、ロシアテレビ局のインタビュー生番組に出演し、南千島は「全てロシア領だ」と述べ、北方4島に日本との自由貿易圏を創設することを提案しました。
 日本では、北方4島の帰属に対して、強引な解釈があるけれど、条約をよく読めば、メドベージェフの発言は至極妥当なものです。
昭和31条約第20号(日ソ共同宣言)第9条後段
ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。

 「平和条約が締結された後に引き渡される」とかかれているので、平和条約締結以前には引き渡されません。また、平和条約締結までの間は、北方4島「すべてロシア領」と考えるのは自然です。ヤルタ協定では、千島列島をソ連に「引き渡す」と書かれています。当時、千島列島は日本の領土だったので、「引き渡す」の用語は、正当に領有しているものを相手に渡す場合に使われていることは明白です。日ソ共同宣言の「引き渡す」の用語が、ヤルタ協定の「引き渡す」とは違う意味であるとの主張は困難でしょう。

ロシアは、平和条約締結交渉をあきらめたようです。
平成22年に改正になった「北特法」には以下の条文が加えられました。

第二条の二  国は、北海道並びに北方領土隣接地域の市及び町をはじめとする地方公共団体並びに民間の団体との密接な連携を図りながら、北方領土問題等の解決の促進を図るため必要な施策を積極的に推進し、我が国固有の領土である北方領土の早期返還を実現するため最大限の努力をするものとする。
この条文を見ると『国は4島返還実現のために最大の努力をする』となっています。外交は、それぞれが譲歩しあうものなので、はじめから「4島返還以外ダメ」と言ってしまったら、条約交渉はできなくなるので、ロシア側からすれば、これは、平和条約締結交渉拒絶以外の何者でもないでしょう。平和条約締結交渉がなければ、平和条約は締結されないので、ロシアが歯舞・色丹を日本に引き渡すこともありません。

金井漁業2010年12月27日

 北海道釧路市の金井漁業ら4社はロシアの排他的経済水域(EEZ)内でスケトウダラ漁を日ロ合意を越えた密漁の黙認の見返りに、ロシア国境警備局の係官側に現金(総額5億円)を渡していたそうな。  朝日新聞の取材に対して、金井漁業の関係者は「魚をとるための必要経費だ」と述べたそうです。 こういう犯罪が、日ロ関係に悪影響を及ぼすんですよね。

本の紹介―久米島虐殺の記録2010年12月28日

沖縄の日本軍 久米島虐殺の記録 大島幸夫/著(新泉社)1982.9

 久米島虐殺事件とは、太平洋戦争末期に、沖縄・久米島に駐屯した日本軍が、住民を次々に虐殺した事件。米軍上陸後、住民により米軍に隠れ場所を知られることを恐れた日本軍が、住民を殺害したものである。しかし、それだけではなくて、敗戦の腹いせに、気に入らない琉球人や、朝鮮人一家を血祭りに上げた面も否定できない。殺戮は8月15日を過ぎても続いた。
 この事件は、沖縄返還直前に、サンデー毎日などで報じられたため、広く知られることとなったので、事件の概要は知っていたが、日本軍の隊長は米軍に投降するに際して、関係を強いていた16歳の少女を、後片付け(殺害)したのか、放置したのか、その点知らなかったので、この本を読んだ次第である。

 日本軍の隊長・鹿山正兵曹長は、住民や部下に米軍との徹底抗戦を命じていたが、その間、連絡係との理由で壕に連れ込んだ現地の美少女に、関係を強要していた。鹿山は住民に対して米軍と徹底抗戦を命じ、米軍に投降しそうな住民を殺害していたが、自らは、米軍に投降した。このとき、鹿山は、関係した少女を放置し、少女はその後、鹿山の子供を出産した。周囲の冷たい眼の中で、育てるのは、並大抵の苦労ではなかっただろう。
 鹿山は、米軍捕虜になった後、故郷の徳島に帰り、農協役員を務めていたが、その間、関係を強要した少女や、自分の子供に関心がなかったようで、金銭的援助も全くしていなかった。
 サンデー毎日の報道をきっかけに、女性週刊誌などマスコミで鹿山が激しく批判されると、それなりの賠償金を支払ったそうだ。 

 中国を侵略した日本軍は、現地で関係を強要した女性を、後片付けした例が多いが、鹿山の場合は、同国人と言うこともあり、さすがに、後片付けせずに、放置したのだろう。そのため、20年以上たってから、批判にさらされることになったが、少女を殺害していたら、賠償金を払うこともなかったのだろうか。

本の紹介-エトロフの教室2010年12月30日

エトロフの教室 高田彌彦/著 文芸社 (2010/12/11)

この本は、以下の2つの本の改訂新版。
①『残置諜報員の記録―ソ連治下、エトロフ島に於ける三年三ヵ月 (前編)  高田弥彦/著 講談社出版サービスセンター(1990.1 )』
②『エトロフ島の俄教師の手記 ソ連軍進駐下の三年三ヶ月  高田弥彦/著 文芸社(2003.1.15) 』

『残置諜報員の記録』、『エトロフ島の俄教師の手記』『エトロフの教室』の内容はほとんど違わない。ただし、①には、入里節時代の記述がない。

著者は、敗戦当時、エトロフ島で残置諜報員として現地除隊となり、ソ連進駐後は豊浜で現地小学校の教師を務める。翌年2月には天寧に移り、校長としてソ連軍政当局との折衝に当たった。11月にソ連が民政に移管し、紗那が行政府になると、入里節に写って小学校教師を務めた。

 本の内容は、このうちの、豊浜・天寧時代の1年数ヶ月の著者の体験を書いたノンフィクション小説。ただし、最後の数ページに、入里節時代の概要が書かれている。



北方領土問題の解説はここをクリックしてください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/index.htm

やさしい北方領土の話はここをクリックしてください。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Yasashii.htm

* * * * * *

<< 2010/12 >>
01 02 03 04
05 06 07 08 09 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

RSS