降伏記念日 ― 2011年09月02日
9月2日は日本降伏記念日
1945年9月2日、天皇は「降伏文書調印に関する詔書」を発布、全国民に対してポツダム宣言受諾・敵対行動の禁止を命じた。東京湾ミズリー号上で、天皇裕仁の代わりに、重光葵・梅津美治郎が降伏文書に署名して、ここに、太平洋戦争は終了した。
日本は連合国の意思により降伏させられたのだったが、戦後、日本は降伏を終戦と言い変え、玉音放送のあった8月15日を終戦の日とすることにより、あたかも天皇の意思で戦争を終結させたかのように取り繕った。このため、日本では終戦の日を8月15日としているが、国際法上の停戦は1945年9月2日なので、戦争終結を9月2日とする国が多い。
日本は連合国の意思により降伏させられたのだったが、戦後、日本は降伏を終戦と言い変え、玉音放送のあった8月15日を終戦の日とすることにより、あたかも天皇の意思で戦争を終結させたかのように取り繕った。このため、日本では終戦の日を8月15日としているが、国際法上の停戦は1945年9月2日なので、戦争終結を9月2日とする国が多い。
ベトナムでも戦争の終結は国際標準の9月2日。ただし、意味合いはちょっと異なる。
近世、ベトナムはフランスの植民地だったが、フランスの占領下にあっても、阮朝は名目的な権限を与えられていた。太平洋戦争末期の1945年3月、日本軍がフランス軍に勝利すると、阮朝最後の皇帝・保大帝はベトナムのフランスからの独立を宣言したが、実際には日本軍の傀儡政権だった。同年8月、日本軍が崩壊すると、これまで、抗日戦争を継続していたベトミン(ベトナム解放戦線)は全国で一斉に武装蜂起し(八月革命)、保大帝を退位させ、9月2日、ベトナム民主共和国を樹立した。このため、ベトナムでは9月2日が戦争終結の日になっている。
近世、ベトナムはフランスの植民地だったが、フランスの占領下にあっても、阮朝は名目的な権限を与えられていた。太平洋戦争末期の1945年3月、日本軍がフランス軍に勝利すると、阮朝最後の皇帝・保大帝はベトナムのフランスからの独立を宣言したが、実際には日本軍の傀儡政権だった。同年8月、日本軍が崩壊すると、これまで、抗日戦争を継続していたベトミン(ベトナム解放戦線)は全国で一斉に武装蜂起し(八月革命)、保大帝を退位させ、9月2日、ベトナム民主共和国を樹立した。このため、ベトナムでは9月2日が戦争終結の日になっている。
上の写真は、保大帝の発行した保大通宝。丸型角穴の中世スタイル最後の銅貨。大正・昭和期の銅貨なので、状態の良いものが多いが、写真の物は状態が悪い。
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