北方領土問題解説の追記2011年11月07日

 終戦間際に、ソ連が対日参戦したことを国際法違反であるかのようなことを言う人がいます。1956年の日ソ共同宣言により、お互いの請求権は消滅しているので、参戦のいきさつがどうであっても、今後、政治の俎上に登ることの無い話題です。また、既に、東京裁判でも、ソ連の参戦が正当であることは、確定済みで、この判決を日本も受諾しています。

 このため、ソ連対日参戦が国際法上問題であるかどうかなど、あまり興味は無かったのですが、最近、ロシア側の解説で、国連憲章を根拠に、ソ連対日参戦は国際法上合法であるとの説明を見ました。これは、ポツダム会談での、トルーマンの説明の焼き直しであって、新味はないのですが、ずいぶん昔に忘れ去られた説明であるため、最近のロシア側の研究成果のように誤解する人もいろようです。このため、北方領土問題の解説の中の、「3.3 ソ連の対日参戦は不法??(http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Hoppou3.htm#3_3)」に、以下の文章を追記しました。



アメリカが要請し、国際法上の合法根拠を与えたソ連対日参戦

 1943年11月のテヘラン会談で、アメリカ大統領ルーズベルトはスターリンに対日参戦を求め、ドイツ降伏3ヶ月後に、ソ連が参戦することが同意された。1945年2月のヤルタ会談でも、ルーズベルトはスターリンに同様の要請を行い、ドイツ降伏3ヶ月後のソ連対日参戦が合意される等、アメリカは再三にわたりソ連に対日参戦を要請していた。
 1945年7月27日、ソ連外相モロトフは、米大統領トルーマン・国務大臣バーンズを訪ね、日ソ中立条約の残存期間であることを理由に、対日参戦するに当たって、アメリカ・イギリスと他の連合国がソ連政府に戦争に参加してほしいとの要請文書を出すことを求めた。この要請に対して、アメリカ国務長官バーンズは国務省の法律専門家であったベンジャミン・コーヘンの助言により、このような要請文書がなくとも、中立条約を破棄して参戦することは国際法上合法であるとの結論を得た。そこで、7月31日、トルーマンはスターリンに対して、以下の内容の書簡を送った。

 「1943年10月31日のモスコー宣言では、法と秩序が回復し一般的安全保障制度が創設せられるまで、平和と安全を維持するために、(米英ソ3国は)相互に協議をとげ、国際社会のために共同行動をとることになっている。また、いまだ批准されていないが国際連合検証草案の第106条でも、憲章の効力を生ずるまでは四大国がモスコー宣言に基づいて行動することになっているし、また第103条では国際連合憲章による義務と他の国際協定の義務が矛盾する場合は、憲章に基づく義務が優先する。ソ連は平和と安全を維持する目的で、国際社会に代わって共同行動をとる為に、日本と戦争中の他の大国と協力せんとするものであるというべきである。」(萩原徹/著「大戦の解剖」1950年、読売新聞社 P261-P267)

 未批准の国連憲章を根拠に、参戦を合法化するとの考えは、素人には分かりにくいが、これより前の6月26日には51ヶ国が署名していたので、すでに、国際慣習法として成立しているとの考えだろう。ともかく、この書簡により、ソ連の対日参戦は、国際義務に違反しないことになった。
 ソ連が、日本に宣戦布告すると、アメリカ国務長官バーンズはプレスに声明をリリースし、大統領はポツダム会談で、ソ連の参戦はモスコー宣言第5項と国連憲章第103条、第106条によって正当化されると述べたと説明した。

<参考文献>
 外務省/編「終戦史録4」昭和52年、北洋社 P75-P96
 長谷川毅/著「暗闘」2006年、中央公論新社 P37-P46,P244-P282,P336-P339
 マイアニ/著、安藤仁介/訳「東京裁判」1985年、福村出版 P118-P120

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