2012年元旦2012年01月01日

つつしんで 
 新年のご挨拶を申し上げます

 昨年は、震災、原発事故、国際経済の混乱等、思い掛けない事態が続き、考えさせられる一年でした。原発事故は、これまで、安全対策を軽視して、目先の利益にのみ走り、科学者を動員して安全神話を流布していた、その付けが回ってきたもののように思います。経済混乱は、政治家が赤字を隠して、国民向け人気取りをしていた、その付けが回ってきたもののように思います。
 どちらの問題も、未だに解決のめどが立っていません。

本年もよろしくお願い申し上げます。

掩体壕2012年01月09日

  
今日は、調布飛行場そばの掩体壕を見学した。

 調布飛行場は、太平洋戦争中、陸軍の飛行場として、飛燕を中心とした戦闘機が配備され、首都防衛の任務を担った。
 戦況が悪化する昭和19年ごろから、敵に戦闘機が発見されないように、コンクリートなどで「掩体壕」と呼ばれる格納庫を作った。調布飛行場周辺にはコンクリート製の掩体壕が約30基作られた。このうちの4基が現在でも残存し、そのうちの2基は「武蔵野の森公園」内にある。写真は、そのうちの1基。すぐそばに、もう1基ある。

ロサ・ルゴサ号2012年01月13日

北方領土ビザなし交流で根室・北方領土間の航海をしたロサルゴサ号が競売に掛けられています。
http://koubai.auctions.yahoo.co.jp/auction/auction?pid=hok_shari_town2&oid=1323143630821271&aid=i11286286
誰か買う人はいるのだろうか?

簀子橋堆積場2012年01月15日

  
 2010年10月、ハンガリーで、アルミニウム精錬工場の汚泥が町を襲った事故がありました。
 足尾銅山の汚泥は通洞の町の上部の谷間に捨てられていて、万一堤防が決壊すれば、通洞の町はおろか下流の桐生市に至る広範な土地が汚染されます。この汚泥捨て場を「簀子橋堆積場」と言い、関係者以外立ち入り禁止で、町や道路から様子を見ることは不可能です。ところが、東側の尾根に登ると、山の上から簀子橋堆積場を見下ろすことができます。さらに、急斜面を下れば堆積場に到達することも可能ですが、この場合は、不法侵入になり、やくざ風の堆積場番人とトラブルが生じたとの話もあります。

 2012年1月14日、東側の尾根から、簀子橋堆積場を見学しました。堆積場には降りていません。赤茶色の汚泥の池が広がっていると思いきや、一部、雪で白くなっていました。

 今後、ホームページに、たどったルートをはじめ、いくつかの写真を掲載します。

センター試験 数1・A2012年01月16日

 昨日(1月15日)はセンター試験の数学があった。受験生諸君の首尾はどうだったろう。
 数1・Aの問題を解いてみたところ、昨年並の難易度だ。今年の平均点は昨年同様60点台だろうか。
 
 問3の平面図形は三角関数の問題。例年は初等幾何の知識が要求されることが多いけれど、今年は特に必要なかったので、普通にまじめに勉強していた受験生には、容易に解けた問題だったと思う。受験生の基礎学力を試す良問だった。毎年、こういう問題を出せばいいのに。
 ただし、問3の最後の問題は感心しない。D,Eがそれぞれ辺の中点になっているので、Gは重心になるから、CGとGMの比は2:1となるのだけれど、こんな些細なことに気が付くかどうかを問うているだけの愚問。

センター試験 数2・B2012年01月16日

昨日(1月15日)はセンター試験の数学があった。
数2・Bの問題を解いてみた。

問1の(1)は容易。
問1の(2)は三角関数に慣れていないと、難しかったかもしれない。
 三角関数には、いろいろな関係式があるので、sin,cosが問題の中に混在しているときは、どの式を使えば良いのか途惑うこともある。この問題は、一番簡単な関係式を使う問題。つまり、
 0≦α≦π/2のとき、sin(α)=cos(π/2-α)
 となることを使う。
 αがπ/2より大きい時は、sin,cosのグラフを考えると、次式が分かる。
 0≦α≦π/2のとき 2β1=π/2-α
 π/2≦α≦πのとき 2β1=α-π/2
 また、 2β2=2π-2β1
 ここまで分かると、あとは容易。

問2は、代数関数の微積分とグラフの問題。易しめの練習問題だが、手際良く解くことが必要。

問3は、数列の問題。誘導なしにbnを求めろと言われたらば、慣れていないと難しい問題だが、この問題は、誘導がしっかりしているので、それに従って解けば、自然に正解に達する。誘導の意味が分からいようでは、勉強不足。

問4はベクトルの問題で、定義に従って計算すれば、容易に正解に到達する。ごちゃごちゃするので、計算間違いをしないように慎重になる必要があるが、センターは穴埋め問題なので、計算間違いをした場合は、回答欄で計算間違を発見できることが多い。
問4,5,6は選択問題だが、普通の受験生は問4を選択している。

今年の難易度は、一昨年よりも確実に難しいが、昨年並みだろうか。計算が若干面倒だった分、昨年よりも多少難しいと思った受験生も多いだろう。平均点は50点台前半か。


今年の数1・A、数2・Bは、教科書を中心にまじめに勉強してきた受験生は容易にこなせる問題だったので、満点を取った人は例年に増して多かっただろう。


補足)ネット上の書き込みを見ると、問4が難しいとの意見が散見される。計算が若干ゴチャゴチャするけれど、ごく普通のベクトルの問題。この問題が難しいと感じたならば、勉強不足でしょう。

本の紹介 アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界2012年01月17日

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界
会田 雄次/著  中央公論新社 (1962/11)  (中公新書)

 著者は学徒動員でビルマ戦線に参戦し、部隊は、戦後、イギリス軍に投降した。
 イギリスは投降した日本軍人をJSP(武装解除日本軍人)として処遇、すなわち、ジュネーブ条約で捕虜に与えられる人権を無視したうえで、重労働、危険労働、不衛生労働に従事させた。
 本書は、抑留の状況を著者の経験に基づき書いたもので、副題に「西欧ヒューマニズムの限界」とあるが、イギリス人が記述の中心ではなく、捕虜としての日本人や、監視のビルマ兵・インド兵・グルカ兵の記述も多い。著者は、社会学者であるため、本書の記述は、主観に走らず事実を淡々と書いている点に好感が持てる。
 日本軍人は北方地域では、シベリア抑留になり、強制労働に従事させられた。南方地域では、米国占領地は早期帰還を果たしたものの、イギリス占領地、オランダ占領地、豪州占領地では、北方地域同様に、抑留され強制労働に従事した。南方地域の抑留が解除になったのは、最終的には日本の降伏後、2年以上経過している。シベリア抑留については、出版物も多いが、南方地域の抑留についてはあまり知られていない。本書は、初版が出版されてから50年が経過しているが、終戦直後の日本軍の状況を知る上で重要な一冊である。
 ただし、本書は著者の経験に基づいた記述であるため、アーロン収容所の様子は分かるとしても、これによって、イギリス軍占領地に抑留された日本軍人一般の状況であると考えることはできない。収容所の運営は現場判断によるところが大きく、収容所長の個人的資質により捕虜の待遇に大きな違いが現れることが多い。また、捕虜個人の資質や、捕虜同士の連携により待遇にも大きな違いが現れる。

大飯原発2012年01月19日

  
 福井大飯原発の安全審査は、反対派住民の抗議で、開催が大幅に遅れたが、ストレステストに反対する委員ら3人が欠席するなか、経済産業省原子力安全・保安院は、再稼働に必要な安全評価について、妥当とする審査書案をまとめた。
 
 写真は、大飯町の総合運動場案内図。人口2万の町には不釣り合いな立派な体育施設で、原発の金が入らなくなったら、維持費も出せなくなって、町は破産するでしょう。
 今後、大飯原発の再稼働に、地元は賛成するのか、反発するのか。金が欲しいか安全が欲しいか。利権にあずかる人はどれだけいるのだろう。

本の紹介-樺太(サハリン)・シベリアに生きる 戦後60年の証言2012年01月24日


樺太(サハリン)・シベリアに生きる 戦後60年の証言 小川よう一/編著 社会評論社(2005.8.15)

本書の内容は、サハリン残留日本人とシベリア残留日本人の話。

 敗戦後、サハリンの日本人の多くは帰国したが、一部の人はそのままサハリンに残留した。第1章では、サハリン残留日本人数名の座談会。どのような理由で残留したのか、あるいは、残留後の苦労話など、個人的な事情が語られている。個人的な話なので、サハリン残留問題の全体像は分からない。
 第2章では、残留日本人に日本政府の援助が遅れた状況を説明している。日本政府は、残留が個人の自由意思であるとの理由で、援助をしてこなかった。民間団体が、帰国援助をするようになったのは、1989年からで、政府の委託事業となるのは1999年以降だった。
 第3章、第4章はシベリア残留日本人の話。第3章は、第1章同様に、残留日本人の座談会で、シベリアに残留することになった、個人的事情が詳細に示されている。第4章は第2章同様の説明。
 日本もソ連も悪い意味で官僚主義の国だから、苦しんでいる人がいて、容易に助けられるはずでも、救済制度が無ければ、何もしない。一般の国民も他人のことは知らない、マスコミも話題になる内容でなければ興味を示さない。そういうことの連続で、救済が遅れた。

川内村帰還宣言2012年01月25日

 福島県川内村は、1月31日にも帰還宣言を出し、4月からは役場や学校も再開するそうです。川内村は原発から近い割には、汚染がそれほど激しくないので、早期帰還もあり得ない話ではないのですが。高齢者は良いとしても、小学生やそれ以下の子供をあえて帰還させる必要があるのか、ちょっと考え物です。毎日新聞には、「空間線量が毎時1マイクロシーベルトを下回っており居住に問題はないという」と書かれているけれど、こんな安易な認識で良いのか。(http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120125k0000m040079000c.html
 ちなみに、電離放射線障害防止規則によれば、おおよそ毎時0.6マイクロシーベルトを恒常的に上回る地域は、放射線管理区域として、人の立ち入りを規制しなくてはならない。

 昨年12月、政府のワーキンググループ(WG、共同主査・長滝重信長崎大名誉教授、前川和彦東京大名誉教授)が昨年12月に公表した結論では年間20ミリシーベルト以下の健康影響は低いという判断があり、これに基づいて、年間20ミリシーベルト以下の放射線量は居住可能な水準とされましたが、年間20ミリシーベルトは放射線管理区域の基準の3.8倍の高濃度です。本気で、こんなところに子どもを住ませる親がいるのかな。

 ところで、このWGの結論には、ちょっと驚かされました。年間100mSv以下での健康被害の証拠は無いと言っていますが、年間20mSv以下ならば健康被害は無いとの証拠もありません。要するに、良く分からない。良く分からないのだから、避けるべきと考えるのか、分からないことを良いことに、福島の子供をモルモットにするのか。

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