本の紹介 アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界2012年01月17日

アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界
会田 雄次/著  中央公論新社 (1962/11)  (中公新書)

 著者は学徒動員でビルマ戦線に参戦し、部隊は、戦後、イギリス軍に投降した。
 イギリスは投降した日本軍人をJSP(武装解除日本軍人)として処遇、すなわち、ジュネーブ条約で捕虜に与えられる人権を無視したうえで、重労働、危険労働、不衛生労働に従事させた。
 本書は、抑留の状況を著者の経験に基づき書いたもので、副題に「西欧ヒューマニズムの限界」とあるが、イギリス人が記述の中心ではなく、捕虜としての日本人や、監視のビルマ兵・インド兵・グルカ兵の記述も多い。著者は、社会学者であるため、本書の記述は、主観に走らず事実を淡々と書いている点に好感が持てる。
 日本軍人は北方地域では、シベリア抑留になり、強制労働に従事させられた。南方地域では、米国占領地は早期帰還を果たしたものの、イギリス占領地、オランダ占領地、豪州占領地では、北方地域同様に、抑留され強制労働に従事した。南方地域の抑留が解除になったのは、最終的には日本の降伏後、2年以上経過している。シベリア抑留については、出版物も多いが、南方地域の抑留についてはあまり知られていない。本書は、初版が出版されてから50年が経過しているが、終戦直後の日本軍の状況を知る上で重要な一冊である。
 ただし、本書は著者の経験に基づいた記述であるため、アーロン収容所の様子は分かるとしても、これによって、イギリス軍占領地に抑留された日本軍人一般の状況であると考えることはできない。収容所の運営は現場判断によるところが大きく、収容所長の個人的資質により捕虜の待遇に大きな違いが現れることが多い。また、捕虜個人の資質や、捕虜同士の連携により待遇にも大きな違いが現れる。

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