本の紹介-尖閣諸島 冊封琉球使録を読む ― 2012年10月22日

原田禹雄/著 『尖閣諸島 冊封琉球使録を読む』 榕樹書林 (2006/01)
著者は、もと医療官僚で、歴史学の専門家ではなかったが、返還直前の琉球で医療活動に従事した縁で、沖縄史に興味を持ったようで、琉球冊封使関連の著書などがある。尖閣問題では、日本史学者の井上清による尖閣中国領論が有名であるが、本書は、井上の琉球冊封使関連の歴史理解に対して反論している。文章のニュアンスは、反論というよりも、罵倒のように感じる。
本の最初の1/5程度が、尖閣問題の解説と、井上説の批判。残りの4/5は冊封使関連文書の抄訳。ただし、この中にも注釈として、井上説批判が多数書かれている。井上の尖閣中国領論は歴史的状況を多面的に論じているのに対して、本書は冊封使録の著者の解釈のみで、井上説を否定しているが、部分的考察にとどまっている。 P21に以下の記述がある。
念のために、郭汝霖の通過した標識島を使録からあげると、東湧山、小琉球、黄茅、釣嶼、赤嶼である。東湧山は中国固有の領土であることを、私もまた認める。しかし、小琉球=台湾が、明代に中国固有の領土であることを私は認めない。『明史』巻三二三の列伝二一〇の外国四に、「鶏龍」がある。この鶏龍こそが、今、いうところの台湾なのである。従って郭の通過した小琉球は、井上のいうような「中国領であることは自明の島」では、断じてない。従って、明代の尖閣諸島に対する井上の主張の根拠は、完全に虚構なのである。『台湾が、明代に中国固有の領土であることを私は認めない』とは、いったいなんだ?! 確かに、台湾が中国の領土になった時期は清代の鄭成功の時代以降であるとする見解が多いだろう。しかし、明代に台湾が中国領だったとする見解も存在し、どちらが正しいというものではなくて、これは、領土認識の違いだ。原田の見解が如何であっても、それと異なる見解が『完全に虚構』などというものではない。まして、原田の書くように『私は認めない』などと、原田が認めることが、学説の真実の条件ではない。いったい、原田は何様のつもりで書いているのか、呆れる。
こんな書き方ではなくて、台湾は清代に中国領となったとの説の正当性を説明して、その上で、明代には尖閣も中国領ではないと、普通に説明すればよいのに。
原田禹雄と井上清の見解の相違は、原田禹雄が清代以前の領有を近代ヨーロッパで生まれた国際法の法理で理解しようとするのに対して、井上清は、当時の明・清の領土認識で理解しようとする事から来ている。
この件に対して、高橋庄五郎/著「尖閣列島ノート」P194には、以下の記述がある。
中国(明)の太祖が琉球中山王察度に詔諭をあたえたのは、一三七二年であり、太祖の冊封使が琉球に来たのは、一四〇二年である。以来、琉中間には国境問題も領土紛争も全くなかった。琉球国は三六島であり、琉球国と中国とのあいだに第三国があるはずはなかったし、無主の地というものがあるなどという理屈は、思いもおよばなかったことである。陳侃が皇帝の使節として琉球に赴いたときには、尖閣列島にはすでに中国の島名が付けられてい た。そして、一五三四年に発表された陳侃の『使琉球録』は、四〇〇年も後世の国際法の法理「無主地の先占」に対抗するために書かれたわけではない。これは、国際法における無主地の先占というものを知っていて、デ・ロングアメリカ公使やアメリカのル・ジャンドル前厦門領事などにそそのかされて、一八七四(明治七)年に、台湾を無主の地として兵を送り、中国から厳重な抗議を受けて、大久保利道内務卿が自ら中国に赴かなければならなかった明治政府とはわけが違う。中国でも琉球でも官吏や船員は、福州から那覇へつうずるこの海の道をよく知っていた。琉球の船員は慶良間で養成され、海外へ渡航する船の船員の三分の二までは慶良間の出身者であった。那覇と福州とのあいだにある島は、琉球のものでなければ宗主国中国のものだという認識であった。また当時の中国の領土意識から考えてもそうであった。本書は、高橋庄五郎の本が出版された後、17年もたってからの出版なのだから、高橋の見解に対する考慮があってしかるべきではないだろうか。そのような考察もせずに、井上清説を『完全に虚構なのである』と断じているのは、著者の不勉強か、それとも、単なる悪意だろうか。
ところで、P118には、鄭若曽『琉球図説』の解説がある。ここでは、以下のように記載し、井上清説を批判している。
琉球図説と明記した中に、小琉球の台湾も尖閣諸島も…澎湖諸島まで描きこまれている。この図を出して、「中国人が、明確に琉球国図の中に書いているのだから、台湾も宝庫等も琉球のものだ」と、私はいう気はない。しかし、それと同じことを、今もなお、そ知らぬ顔で主張し、強弁している人がいることだけはたしかである。琉球図に台湾が描かれているのに台湾は琉球の一部ではないのだから、中国図に尖閣が書かれていることは、尖閣が中国領である根拠にはならないとの主張だ。冊封体制における宗主国と朝貢国の違いがまったく分かっていないようだ。宗主国の領土認識では、琉球などの朝貢国を含めて、地図に書かれている範囲が中国領であり、朝貢国は、その支配範囲が、その国の領土であるとの認識があった。このため、井上清のような考えは、当然にありうるのであって、鄭若曽『琉球図説』に台湾が載っていても、井上説の批判にはならない。ただし、領土の領有の定義によって、井上説に反対であるというのならば、それは正当な考えだ。