本の紹介-開港慰安婦と被差別部落 ― 2013年06月08日

開港慰安婦と被差別部落 川元祥一/著 (1997/8) 三一書房
ペリー来航で、日本は、開国をすることになるが、その後、1860年5月、横浜に、幕府は外国人用の売春場を作った。開港慰安婦とはそのときの売春婦のこと。なお、長崎稲佐にも、同年に、ロシア人相手の売春場が作られている。本書は、横浜の外国人用売春場が作られたい経緯について書かれている。
時代は下がって、1945年に日本が敗戦し、進駐軍が上陸することになると、政府は米軍人相手の売春場を作った。これをRAAという。本書のもう一つの話題は、RAAを作った経緯とRAAの売春婦の話題。
本書は、横浜を話題にしているため、長崎稲佐の話題はない。しかし、どちらも、幕府が作った外国人専用の遊郭であり、時期もほとんど一致するので、両者の開港慰安所を比較検討する必要があるように思う。
開国すると、米国人が日本に入ってくるわけだが、幕府は何とかこれを水際で阻止して、出島方式のような状況を作りたかった。このために、開港地と定まった神奈川ではなく、当時近隣の寒村だった横浜を開港地とし、そこに、遊郭を作って、外国人が国内に流入するのを防ごうとした。1860年5月に横浜遊郭が完成するものの、当時の攘夷論激しい世相を反映して、肝心の遊女が集まらなかったため、被差別部落民を遊女にしたとのことだ。
開港慰安婦は、外交のために、幕府が中心になって作ったもので、それは、終戦時のRAAに繋がっている。さらに、戦時中に、主に朝鮮人女性を集めて、従軍慰安婦にしたことにも繋がる。(ただし、従軍慰安婦は本書の話題ではない。)
被差別部落民を遊女にしたことと関連して、明治政府内部には、開港慰安婦を「奴隷」と認識している文書もあり、慰安婦は「性奴隷」との認識は、明治時代の早い段階で、すでに存在していた。