通州事件と冀東防共自治政府2013年08月01日


1937年7月29日、通州事件発生。
 通州事件とは、日本の傀儡政権が起こした反乱事件。この事件は、日本軍の指揮下にあった、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものであるにもかかわらず、日本は、中国人の起こした残虐事件として大々的に宣伝した。 このため、今でも、事件の背景を知ることなしに、日本人が被害にあったことのみを取り上げて、中国への敵愾心をあおりたてる見解が散見される。無知による排外運動は好ましいものとは思えないので、通州事件とその背景を、ごく簡単に説明する。
 写真は、冀東防共自治政府が1937年に発行した硬貨。このうち5厘硬貨は多少珍しい。

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 殷汝耕は、早稲田大学卒で、日本人女性と結婚していた、親日家だった。1935年11月25日、日本軍は、殷汝耕に命じて、親日傀儡政権、冀東防共自治政府を樹立させた。冀とは、河北省の意味で、日本では「キ」、中国では「チ」と読む。
 冀東防共自治政府が樹立されると、国民党政府はこれに反発、翌26日には殷汝耕ら首謀者の逮捕令を発するとともに、何応欽駐平弁事処長官を派遣したが、日本側は彼との面会を一切拒絶した。冀東防共自治政府は、満州との間でアヘンの密貿易を行い、それにより、利潤を上げていたが、このため、冀東防共自治政府の中心都市である通州にも、アヘン患者が多数存在していた。日本軍の保護のもと、アヘン・ヘロインの卸、流通、密造は日本人が行い、朝鮮人は小売などに携わっていた。

 通州事件とは、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものである。
 1937年7月29日、冀東防共自治政府保安隊は挙兵し、日本人居留民等を襲撃し殺害・強盗した。犠牲者のうち100人以上は朝鮮人で、日本人も同規模の犠牲をこうむっている。被害者に朝鮮人が多いのは、アヘン密売等に携わっていた朝鮮人が多かった為である。ここは、アヘンの密貿易・密造地域であるため、殺害された日本人にも、これらに携わっていたものが少なからず存在したと推定される。
 通州事件は、日本軍の介入によって、1日で鎮圧された。事件の責任を取って、殷汝耕は辞任した。冀東防共自治政府は、その後、日本が作った中華民国臨時政府に合流しているが、それに先立つ、1937年12月、冀東防共自治政府代理政務長官の池宗墨と在中華民国日本帝国大使館参事官の森島守人は、冀東防共自治政府が、日本に謝罪し損害賠償金を支払うことで、事件を終結させた。
第七十三議会用擬問擬答(東亜局)
問  通州事件の結果如何
答  本事件に付ては冀東政府と交渉の結果同政府長官池宗墨より
(イ)正式陳謝し
(ロ)責任者及加害者は辞任又は逃亡し若くは討伐せられ処分の方法なきを以て将来再発防止に努め
(ハ)死者に弔慰金並に傷者に見舞金を支払ひ
(ニ)慰霊塔建設地を提供すること
を申出て我方之を了承し同事件は円満に解決せり
 通州事件は、冀東防共自治政府保安隊が起こしたものであるが、冀察政務委員会の働きかけがあったとの説も有る。冀察政務委員会とは、日本軍と南京国民政府との協議によって、華北に成立した日中間の緩衝政権である。また、通州事件には日本のアヘン密売に義憤を感じた通州の人たちの支援があった可能性もある。

 通州事件は、日本軍の指揮下にあった、冀東防共自治政府の保安隊が起こしたものであるにもかかわらず、日本は、中国人の起こした残虐事件として大々的に宣伝した。

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 不思議なのですが、日本軍の息のかかった冀東政府は、なぜ、一般住民を虐殺するような不逞中国人を雇って、武器を渡したのでしょう。

 ロシア革命に際してシベリア出兵した日本軍は、セミョーノフを支援した。セミョーノフの軍は、きわめて残虐だっので、ロシアでは、日本軍の残虐性として語り伝えられている。あまりの残虐さのためセミョーノフには精神障害があったとの見解もあるが、このような最悪の男を、日本軍が積極的に支援して、残虐行為をやらせた理由は不明。

 日本軍は、残虐な悪党を好む傾向が強いのだろうか。

島根県「竹島問題研究会」2013年08月02日

『竹島初記載の地図発見=1760年代、日本領示す-島根県』
との、新聞記事があるけど、ちょっといい加減すぎる。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013080100687
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2013080202000148.html
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130801/art13080119410007-n1.htm
http://www.asahi.com/national/update/0801/OSK201308010054.html

 報道されている地図は、長久保赤水によるもので、新聞記事では分かりにくいが、地図には、朝鮮半島の一部も記載されてうようだ。この時代、竹島とは現在の鬱陵島のことで、すでに、日朝間の条約で、朝鮮の領土であり、日本の領土でないことが確定していた。
 地図には、現在の竹島を表す松島も記載されている。朝鮮領であることが確定している鬱陵島とともに記載されていることは、日本領であるとの根拠にはならない。
 
 中世において、地図に描かれることはその国の領土であることを示すものであった。1696年、日本にやってきた安龍福は、朝鮮地図に竹島が記載されていることを示していることが、日本の記録にも残されている。中世では、地図に記載されることが、領土であることになるが、両国間で領有権紛争が生じた後には、地図に記載されることと領有権とは関係ない。

 尖閣諸島は、清国の地図に記載されていた。また、清国領であることに、異議を唱える国はなかった。しかし、日清戦争が勃発し、日本の勝利が近くなると、日本政府は隠密裏に、尖閣の領有を決定した。下関条約で割譲を受けた台湾などは、日本が中国から盗み取ったものであるとの見解が国際的に確定しているため、中国は、尖閣も日本が盗み取ったものであると抗議している。

ホームページ更新2013年08月05日

①日露・日ソ関係 ゆかりの地「西伊豆 戸田」のところに、富士市の三四軒屋緑道公園に展示されている「ディアナ号の碇」の写真を掲載しました。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Heda/index.htm

②日露・日ソ関係 ゆかりの地「飛騨屋久兵衛と下呂」のところに、菊池勇夫氏の「クナシリ・メナシの戦い」の説明を引用しました。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Naiyou/Hidaya/index.htm

③尖閣の解説のところに、「中国の尖閣を主張が、1970年ごろ以降である理由」を記載しました。
自分の説明のほかに、丸川哲史氏の説明を掲載しています。
また、「中国の反日教育について 豊下楢彦・関西学院大学法学部教授の見解」を掲載しました。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/senkaku/ETC/Chine1970.htm

④尖閣の解説のところに、「台湾はいつから中国の領土か?」を記載しました。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/senkaku/ETC/taiwan.htm
まあ、いろいろな考えがあるよ、ということなのですが。

川口市の南側境界は荒川です2013年08月08日

 『埼玉県川口市は県境の町で、南側の境界は荒川です。』 川口市の小学生は、郷土の地理で、このように習います。
 荒川が川口市の領土であって、日本の領土ではないとか、そういう意味ではないよ。

 2012年7月17日、産経新聞に、「明の上奏文に『尖閣は琉球』と明記」と題する記事が記載された。1561年に琉球へ派遣された使節、郭汝霖が皇帝に提出した上奏文に「渉琉球境界地名赤嶼(琉球の境界に渉る、地名は赤嶼)」とある。産経新聞によると、この記述は、赤嶼が琉球に含まれることを意味しているとの主張だ。独断・強引な詭弁に感じたので、ちょっと考えてみた。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/senkaku/ETC/Kai.htm

 年初ごろ、仕事で、発泡ウレタンを射出成型するときに、気泡成長がどのような物理式に基づくのか調べていました。気泡界面で、つり合いがこわれ、これが気泡成長の加速度になるので、界面にかかる力が問題で、発泡ウレタンの気泡以外の樹脂部分の物理現象を定式化することが、この問題を解明する本質です。このため、物理モデルの観点からは、「気泡界面」は、気泡の周りの気泡以外の部分でないと困る。

 「琉球境界地名赤嶼」や「気泡界面」は、文章だけを読むと、琉球や気泡に含まれると考えるのが普通かもしれないが、実際の問題だと、必ずしもそうではない。

 言葉尻をとらえた独断解釈は、好きではないし、こういう問題にはあまり付き合いたくなのですが、発泡ウレタン現象解明の仕事が頓挫しているので、ちょっと書いてみました。
 とは言いつつ、2005年ごろから書いた『サンフランシスコ条約11条の訳語(judgementsを裁判と訳しているのは正しい訳語です)』は、言葉尻をとらえ曲解した、一部研究者・ギャグマンガ家の言説を考えるものでした。
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/HeiwaIndex.htm

本の紹介―日中領土問題の起源2013年08月09日


尖閣問題理解のため、重要な参考書

日中領土問題の起源―公文書が語る不都合な真実 村田忠禧/著  (2013/06) 花伝社

 尖閣列島の領土問題を理解するためには、歴史的経緯を理解する必要がある。中世、中国・琉球が尖閣と関係があったが、日本は全く関係を有していなかった。このため、尖閣の領有権を歴史的立場から理解するためには、中世における中・琉・日の関係を理解することが欠かせない。

 本書は、この点を重視し、本の1/3程度で、中世、琉球と明・清の関係、琉球と日本(島津藩)の関係を詳述し、琉球の置かれた政治上の位置を明確にしている。さらに、明治期に日本が尖閣を領有した経緯を明らかにし、「窃取という言葉はこういう場合に使うのが適切である(P201)」と評している。

ところで、日本政府は、尖閣領有の根拠として、次の説明をしている。  
尖閣諸島は,1885年から日本政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行い,単に尖閣諸島が無人島であるだけでなく,清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重に確認」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html)
 本書、P220では、これは事実でないと説明している。本書の指摘が正しいのならば、日本国は、国民や海外に対して、嘘をついて、尖閣を領有していることになり、この指摘は極めて重要だ。

 日本政府は「清国の支配が及んでいる痕跡がない」としているが、これはどういう意味で、どのようにして確認したと主張しているのだろう。

 竹島問題に関して、日本政府は、次のように説明している。  
「我が国は、江戸時代初めの17世紀初頭、鳥取藩伯耆国米子の町人大谷甚吉、村川市兵衛が、同藩主を通じて幕府から鬱陵島(当時の「竹島」)への渡海免許を受けて以降、両家は交替で毎年1回鬱陵島へ渡航し、あわびの採取やあしかの捕獲、そして竹などの樹木の伐採等に従事しました。この際、竹島は、鬱陵島に渡る船がかり及び魚採地として利用されており、我が国は、遅くとも江戸時代初期にあたる17世紀半ばには、竹島の領有権を確立していました。(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/takeshima/gaiyo.html)」
 日本政府の見解では、「船がかり及び魚採地として利用され」ていることを持って、領有権を確立していたと考えるのだろう。

 「清国の支配が及んでいる痕跡がない」と書いている以上、「船がかり及び魚採地として利用され」ているような状況にも、まったくないことを、再三にわたって慎重に確認したということなのだろうが、事実だろうか、嘘だろうか。

本 尖閣防衛戦争論2013年08月12日

 
尖閣防衛戦争論 中川八洋/著 (2013/6) PHP研究所

読むことを勧めない。忘れて、再び読まないように書いておく。

 本の60%は、尖閣問題で、中国に対決するため、軍備を備えよと説く。しかし、日中軍事衝突にならないための処方箋はない。また、日中軍事衝突になった時に局地戦で終わらせるための処方箋もない。だとすると、日中全面戦争も辞さないとの覚悟なのかと言うと、全面戦争を戦い抜くための処方箋もない。要するに、無責任な軍備増強論。
 本の残りの40%は孫崎享氏批判。最近、孫崎氏の活躍は目覚ましいものがあるので、批判するのもわかるのだけど、もう少し、きちんとした知識で批判して欲しかった。

本の紹介―暗闘 尖閣国有化2013年08月16日


『暗闘 尖閣国有化 春原剛/著』新潮社(2013.7)

2010年に尖閣周辺で、中国漁船と海保巡視船との接触があり、海保は漁船員を逮捕した。この事件をきっかけに、日中が鋭く対立した。結局、起訴猶予処分で終了したが、その後の、日中対立が今も続いている。

本書は、この衝突事件と、政府の対応から、その後起こった、石原の尖閣購入発言、政府による尖閣国有化に至る経緯を、主に日本政府内部・関係者の動きを中心に記載している。

 何を書いているのか、意味不明の箇所がある。
第二次大戦後、尖閣諸島は一時期、沖縄とともに米国の施政下に置かれた。しかし、一九七二年の沖縄返還に伴って、すべての島が日本に返還された。その頃は日本による統治が粛々と続いていたが、一九六九年にその周辺に石油資源が埋蔵されている可能性が判明したことから事態は一転した。一九七〇年に入ると、中国と台湾が尖閣諸島について自らの領有権を主張し始めたのである。(P54)
 これ、どういう意味でしょう。『その頃は日本による統治が粛々と続いていた』と書いてあるが、『その頃』とは、1972年に日本に返還された当時のことでしょうか。だとすると、「1969年に事態は一転した」に繋がりません。もし、『その頃』が、1972年より前だとすると、米国の施政下で『日本による統治が粛々と続いていた』ことになり、意味が通じない。

8月19日は終戦記念日2013年08月19日

 8月19日を終戦記念日と言う人はいないけれど、8月15日よりも、19日のほうが、終戦の日にふさわしいような気がする。

 8月14日に詔書渙発が有ったけれど、帝国軍人が捕虜になったり、武器引き渡しをすることは許されていなかった。これが可能になったのは、8月18日の大陸命と8月19日の大海令です。
大海令第五十号 昭和二十年八月十九日 奉勅 軍令部総長 豊田副武

一、大海令第四十九号ニ於ケル一切ノ戦闘行為ヲ停止スベキ時機ヲ海軍総司令長官指揮下部隊ニ在リテハ昭和二十年八月二十二日零時トス、但シ支那方面艦隊ニ関シテハ追テ定ム

二、前項所定時機以後海軍総司令長官並ニ其ノ指揮下海陸軍部隊ノ作戦任務ヲ解ク

三、今次ノ詔書渙発以後敵軍ノ勢力下ニ入リタル帝国海軍々人軍属ハ之ヲ俘虜トナリタルモノト認メズ 又 上命ニ基キ敵ノ指令ニ従フ武器引渡其ノ他一切ノ行為ハ之ヲ降伏シタルモノト認メズ

速ニ部下末端ニ至ル迄軽挙ヲ戒メ皇国将来ノ興隆ヲ念ジ隠忍自重スベキ旨ヲ徹底セシムベシ

本の紹介―対米従属を問う2013年08月20日

 
『対米従属を問う 北方領土・沖縄・マスメディア』 鳩山由紀夫、金平茂紀、屋良朝博/著 旬報社 (2013/5/10)

 鳩山氏ら3氏による解説と、3氏の対談。
 北方領土問題、沖縄(普天間)問題の根底にあるのは、戦後の米国の戦略と、日本の対米従属であると説く。64ページの薄い本で、3氏がそれぞれ解説しているため、深い内容はない。これらの問題に対するある程度の知識がある人には、特に目新しい話はないかもしれないが、一応、知識を確認するために、読んでおいて損はないだろう。

甲状腺がんの子ども 新たに6人2013年08月21日

 福島で、甲状腺がんと診断された子どもは合わせて18人、とのニュースがあるけど、原発事故の影響なのかなー。福島の発生率は、1万人に1人程度。小児甲状腺がん罹患率は100万人に1~数人なので、随分多いように感じる。
 福島の発生率は一定範囲でほぼ全員調査なのに対して、小児甲状腺がん罹患率と言うのは、甲状腺がんと認識された人の数なので、見落としが含まれる可能性があり、単純に比較はできないのですが。
 チェルノブイリでは、原発事故5年目以降に癌の発生が急増しているので、福島の癌は原発事故と関係ないという人もいるけれど、そう、単純ではないだろう。チェルノブイリでは初期検査体制が悪かっただけのことかもしれない。

原発事故当時、福島市の子供だけでも避難したほうが良いと思ったのですが。。。
http://cccpcamera.asablo.jp/blog/2011/03/19/5749284

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