本 - 日本の島々、昔と今。 有吉佐和子/著2013年10月27日

 
日本の島々、昔と今。 有吉佐和子/著
  
 この本は、1980年に雑誌「すばる」で連載された後、1981年に集英社から単行本で出版された。その後、1984年に集英文庫、1993年には中公文庫から出版され、2009年に岩波文庫から出版されている。今回読んだのは、岩波文庫版。
 第1回の「焼尻島、天売島」から始まって、第12回の「尖閣列島」まで、12回の各島々のルポ。
 このうち、「9・竹島」「11・択捉、国後、色丹、歯舞」「12・尖閣列島」が日本の領土問題関連になる。
 
 作家だけあって、文章は読みやすいが、内容は必ずしも正確とは言い難い。
 
 北方領土問題は番外編として触れられている。この文章は、北方領土の歴史解説と、納沙布取材である。歴史解説は、そつなく纏められているようにも感じるけれど、正しく知りたい人は別の歴史書を読んだほうがよいだろう。取材記の中で、著者は貝殻島は「橋をかければ車で五分もかから無い距離(P411)」と紹介しているが、貝殻島は満潮時には水没する岩礁なので、橋をかけることはできないだろう。単なる娯楽本だとしても、せめて、地図ぐらい調べてから書いて欲しかった。
 地元民の取材で、誤解により苦しめられている例として、「北方の島々から日本人は逃げて、自ら居住地域を捨てたのだという誤解。・・・大部分の日本人は昭和23年に強制送還という手段でソ連政府に追い出されたということを、どうも本土の人々は知っていない。(P420)」と書いている。1980年に最初に雑誌に掲載されたころには、すでに樺太残留日本人婦人の問題は知られていたので、千島についても、もう少し調べて書いてほしかった。1991年に北海道根室高等学校地理研究部により執筆された『北方領土 高校生が聞いた202話』には、留別村の内保で日本に帰らなかった女性の話が記載されているが、このくらいのことも調べずに、思い込みと独断で書いているのだろうか。著者は「強制送還された」などと、いい加減なことを書いているが、ソ連から、現地に滞在してほしいと懇願されたにもかかわらず、帰還した日本人も珍しくない。
 
 尖閣には、上空から見学しただけで、上陸はしていないとのことだ。地主の許可を取る気がしなかったことが原因のようであるが(P468)、他人の土地に入り込むには所有者の了解が必要なのは当たり前のことなのに、どうして、許可を取る努力をしなかったのか、このあたり、何も書かれていない。
 P483の以下の記述にはちょっと興味を持った。
 
 昭和五十四年五月二日、読売新聞沖縄版では「尖閣諸島、ドーンと売って」という見出し付きで、高額所得者番付で百傑の仲間入りをした古賀花子さん(82歳)のことを大きく報じている。二億六千七十七万円である。古賀辰四朗の息子の善次氏の未亡人である花子さんには子供が生まれなかった。家族も身寄りもないところへ、数年前から「島を売らないか」という交渉に入ったのが現在の地主さんである。昭和十七年生まれの青年は、沖縄の本土復帰と同時くらいから古賀さん夫婦に接近していた。昭和四十九年から南小島・北小島を買い取り、古賀善次氏の亡くなった昭和五十三年に主島の魚釣島を手に入れたのだった。

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