沖縄旅行(2) 戦跡 ― 2013年12月17日
<読谷村>
1945年4月1日、アメリカ軍は読谷村渡具知海岸から、北谷海岸一帯に上陸した。上陸地点での反撃はなかった。
渡具知海岸の高台には『米軍上陸の地碑』が作られている。車で行く場合は、渡具知海岸の駐車場に置いて歩くか、電信屋の碑(ここに公衆トイレがある)あたりに、路上駐車して歩くが、いずれにしても分かりにくい。渡具知海岸の駐車場から歩く場合、泊城の看板がある方ではなくて、すべり台がある方を登る。
渡具知海岸の高台には『米軍上陸の地碑』が作られている。車で行く場合は、渡具知海岸の駐車場に置いて歩くか、電信屋の碑(ここに公衆トイレがある)あたりに、路上駐車して歩くが、いずれにしても分かりにくい。渡具知海岸の駐車場から歩く場合、泊城の看板がある方ではなくて、すべり台がある方を登る。
県道6号を北上して、大当の交差点を左手に直進して、少し走ると、公衆トイレがある。トイレの向かいが、チビチリガマ上部で、案内看板もあり、少し奥に、脇に降りる階段がある。ここは、米軍上陸の翌日に避難していた住民が、米軍捕虜となることを恐れて、互いに殺しあった場所。

チビチリガマと並んで語られるシムクガマも近い。こちらは、旧楚辺通信所(ゾウの檻)の北東にあるが、天気が悪かったので行かなかった。
チビチリガマをさらに北上して、案内板に従って、細い道を右折後、うねうね行くと、サトウキビ畑の歌碑がある。
「ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ♪」
この歌、最初に森山良子が歌ったようだけれど、1975年にNHKみんなのうたで、ちあきなおみが歌っていた。凄味があった。
戦争末期、日本軍は読谷村に、急遽、飛行場を建設した。しかし、爆撃で壊滅的打撃を受けた。飛行場の場所は、読谷村役場の東側すぐ。役場の西側には、木製の粗末な「義烈空挺隊玉砕之地碑」が建てられている。戦死した軍人を英霊として顕彰する目的で建てられたのだろうけれど、ちょっと粗末。
<宜野湾市>
嘉数高台公園は、普天間基地を展望できる。ここは激戦地だったため、いくつもの戦跡が残されている。
下の写真は『弾痕の塀』。
下の写真は『弾痕の塀』。
公園内には、京都の塔などの碑が建てられている。反戦と英霊顕彰が混ざり合っているような。
トーチカ跡
『陣地壕出入口』
<那覇>
那覇市郊外の旭ヶ岡公園にたつ記念碑。戦意高揚の顕彰碑かな。ここには、護国寺があるので、そのためかな。
あとから来る君たちへ
いま 私たちの平穏な営みは 多くの先人の犠牲の上にある
先人から受け継いだこの国を あとから来る君たちに託し ここに伝えたい
忘れないで欲しい 多くの尊いいのちのことを 祖国を守るために 地上戦となったこの沖縄の地で 道半ばの戦いに散っていった人たちのことを
忘れないで欲しい 先人たちが何より守りたかうたのは いまの私たちの誇りと笑顔だということを
だから泣かないでここでは笑顔を見せよう そして払たちは後から来る君たちの誇りと笑顔を守っていこう
伝えて欲しい 君たちにこの国が託されたとき 次の世代に この国がいつまでも 笑顔の絶えない国であるために ここ沖縄 那覇の地に 集いし 我々青年の覚悟を宣す
(以下省略)
同じ公園内(あるいは護国寺内)には、津島丸の慰霊碑が建てられている。