沖縄旅行(3) 南部の戦跡 ― 2013年12月18日
平和祈念公園の平和の礎。沖縄戦で死亡した人の名前が刻まれている。
平和の礎の隣、摩文仁の丘には、いくつもの碑が建立されているが、写真はそのうちの、義烈空挺隊の碑。
「・・・我が挺進第一連隊より選出せられたる義烈空挺隊 および第三独立飛行隊の壮挙にして両将兵百十三名全員ここに悠久の大義に殉ぜり 後に続く者を信じ日本民族守護の礎石となりし将兵の霊に 我等何をもって応えんとするや」
さらに先に進むと、第32軍と、牛島司令官を顕彰する、でっかい碑が建てられている。「黎明之塔」という。
6月11日に米軍から無条件降伏勧告が出されても、牛島司令官は、これを無視し、さらに、沖縄戦敗北確実の情勢に及び、23日には責任を放棄して、勝手に自殺したため、その後、沖縄住民は悲惨を強いられた。
糸満市宇江城に建つ「山雨之塔」。場所は、分かりにくい。こちらの碑文も「黎明之塔」とニュアンスが似ている。

米須交差点を県道7号で北上すると、すぐに、米須小学校がある。その反対側に建つのが、この「忠霊之塔」。米軍に攻められたときに、付近の住民と日本軍人が、ここにあった洞窟に逃げ込んだ。米軍の投降勧告に対して、日本軍人は洞窟から出ることを禁止したため、ほとんど全員が、米軍火炎放射器の犠牲になったところ。塔の下には、犠牲となった住民の名前が刻まれているが、軍人は書かれていない。
どのような理由で、『忠霊』と刻まれているのだろう。
旧海軍司令部壕に建つ記念碑。住民の犠牲を顕彰している。
「ひめゆりの塔」には多くの人がいた。犠牲者は従軍看護婦であるため、A級戦犯らと同様、靖国神社に合祀されている。
「白梅之塔」は、ひめゆりの塔と同じように、軍看護婦となった後、集団自殺した女学生の慰霊碑。軍属であるため、靖国神社に合祀されている。
南風原町の陸軍病院壕跡は、一部が公開されています。ここでは、傷痍兵を青酸カリを使って毒殺した。