樺太アイヌ供養・顕彰塔(松前) ― 2014年10月05日
松前町字松城303 浄土宗高徳山光善寺には、樺太アイヌ供養・顕彰塔が建てられているそうだが、寺には、どこにも表示がなくて、見つけられなかった。写真は光善寺の山門。
幕末、サハリン南部には、日本の漁業基地が置かれ、アイヌと日本人が生活していたが、アイヌは日本人の経済的支配下におかれていた。1853年ネヴェリスコイ海軍大佐はサハリンにおける日本の漁業拠点であるクシュンコタンに60人の部下とともに上陸し、アイヌの協力もあって、日本と戦火を交えること無しに、ムラヴィヨフ哨所を築いた。このときの様子は、以下の本に詳しい。
N.V.ブッセ/著、秋月俊幸/訳 『サハリン島占領日記1853-54 ロシア人の見た日本人とアイヌ』東洋文庫(2003/4)
光善寺の塔は、この事件のときに、日本人に協力した樺太アイヌを供養・顕彰するもののようだ。現物を見つけられなかったので、違っているかもしれない。