本の紹介-「慰安婦」・強制・性奴隷: あなたの疑問に答えます ― 2015年06月01日

吉見義明,林博史,金富子 他/編著『「慰安婦」・強制・性奴隷: あなたの疑問に答えます (Fight for Justice・ブックレット)』 御茶の水書房 (2014/10)
2014年、安倍政権や読売新聞などにより、昔の朝日新聞の従軍慰安婦関連記事批判があった。旧日本軍人の証言で、朝鮮人女性を強制連行して従軍慰安婦にしたとの内容だったが、元になる証言には当初から疑問がつけられていた。このため、河野談話を作成するときには、この証言や新聞記事は、まったく考慮されていない。
本書、編者の一人である吉見義明は、以下の本を出版して、当該、朝日新聞の従軍慰安婦関連記事は事実でないことを明らかにした。
『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店 (1997/07)
遅くとも、1997年には事実とないことが知られた内容だったので、その後、ほとんど省みられることなく、15年以上が経過したが、2014年になって、突如として、安倍政権や読売新聞等が蒸し返したものだった。この記事が、河野談話に影響したかのような虚偽宣伝がなされたこともあった。さらには、従軍慰安婦自体を全否定するかのような言説も、自民党政治家・一部新聞・在特会等のヘイトスピーチ集団などによりなされている。
本書はこのような言説に対抗して、戦前の日本軍従軍慰安婦の実態を明らかにするもの。
性奴隷(従軍慰安婦)は日本軍によって望まない性交を強制されていたものであって、到底容認できない破廉恥な行為だったことが示される。
日本の右翼勢力の中には、従軍慰安婦を日本軍人が直接に拉致・誘拐した証拠がないことをもって、当然の行為であったかのような言説が見られるが、そもそも、強姦とは移動手段の問題ではなくて、性交を強制することなので、慰安所への輸送に、日本軍の直接的関与があってもなくても、たいした違いはない。
本の紹介-ウクライナ危機の実相と日露関係 ― 2015年06月02日

鳩山由紀夫・他/著 『ウクライナ危機の実相と日露関係(友愛ブックレット)』 (2015.3) 花伝社
ウクライナ問題は、マスコミでは、西側の一方的見解が報道されることが多く正確な情報が少ない。
本書はロシア専門家を中心に、ウクライナ問題の真実を説明するもの。本書を読むと、マスコミ報道がいかに不十分であるかが良く分かり、ウクライナ問題や、日露関係を理解する上で、参考になる。ただし、ブックレットのためページ数が少なく、さらに対話形式の部分が多いため、統一的に理解できるとは言い難い。
昨今のウクライナ問題を理解するためには、ウクライナの歴史を知る必要がある。本書にも、歴史の言及は若干あるが、非常に少ないため理解しにくい。ウクライナの歴史を理解するためには、次の本が分かりやすいだろう。
物語 ウクライナの歴史―ヨーロッパ最後の大国 (中公新書)
ポーランド・ウクライナ・バルト史 (世界各国史)
本の紹介-北の軍隊と軍都: 北海道・東北 ― 2015年06月03日

山本和重/編 『北の軍隊と軍都: 北海道・東北 (地域のなかの軍隊 1)』吉川弘文館 (2015/2)
本の前半では、3か所の軍都(仙台・旭川・弘前)に対して、地域と軍(師団)の関係を時代を追って解説。これまで都市の発展と軍の関係を論じた本は少ないので、こういった分野に関心のある人には、参考になるだろう。
本の後半は、北海道における徴兵の実態、アイヌの徴兵について 等。
北海道で徴兵制が施行されたときから、制度上、アイヌを特別扱いしていたわけではないが、実際には、徴収に便宜を図られたと思われる事実もあり、また、軍隊内部では、好奇の目で見られたこともあった。一方で、アイヌの軍功に対して勲章が贈られるなどを通して、アイヌの日本人への同化に、一定の役割をもった。
本の紹介-近世日本の北方図研究 ― 2015年06月04日

高木崇世芝/著『近世日本の北方図研究』 北海道出版企画センター (2011/11)
江戸時代から明治初期にかけて日本で作られた北海道・樺太・千島の地図(北方図)の変遷を記述したもの。
北方図の変遷を解説ものとして、すでに、いくつかの本が出版されている。
http://cccpcamera.photo-web.cc/HoppouRyoudo/BOOK/index.shtml#Map
本書は、これらに比べて、取り上げている地図の数が多く、解説も専門的で詳細。ただし、地図のコピーはあまり多くはなく、見やすくないものが多いので、本書は初学者には適当ではないかもしれない。
本書では、「江戸初期から天明までの前期」「天明から文政までの中期」「文政から明治までの後期」に時代を区分する。前期の北方図では、千島は北海道東部に小さい島々が固まって描かれるのに対して、中期以降は列島状に描かれるようになる。最上徳内の択捉島探検で、ロシア人から千島列島の知識を得たことや、ラックスマン来航によりロシアの地図を入手したことが、北方地理を正確に認識する上で、決定的な影響をしていることが分かる。
ただし、本書は、日本で作られた地図のみを対象としているため、ロシアの地理を、日本人がどのように学び、まねたのか理解しにくい。この点については、他書を読む必要があるだろう。
本-新 琉球史 近世編(上) ― 2015年06月08日

『新 琉球史 近世編(上)』 琉球新報社 (1989.9)
読んだのを忘れないように、目次と著者名を書いておく。
1.近世琉球への誘い 高良倉吉著
2.薩摩の琉球侵入 紙屋敦之著
3.冊封の様想 豊見山和行著
4.在番制の成立 真栄平房昭著
5.貿易の展開 上原兼善著
6.向象賢の論理 高良倉吉著
7.近世農村の成立 梅木哲人著
8.近世久米村の成立と展開 田名真之著
9.三線繁盛記 池宮正治著
10.犯罪と刑罰 豊見山和行著
ニホンアシカ 日本の乱獲により絶滅した鰭脚類 ― 2015年06月09日
ニホンアシカは、かつて日本近海に広く分布していたが、乱獲の影響で絶滅した。
ニホンアシカの解説ページを作った。
http://cccpcamera.photo-web.cc/Ryoudo/Takeshima/TakeshimaTenji/NihonAshika.htm
夕刊フジのインターネットページzakzak(2015.3.1)に
『韓国、トンデモ主張 竹島のニホンアシカ絶滅「日本の乱獲のせい」』
との記事がある。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20150301/frn1503011000002-n1.htm
『韓国が竹島を不法占拠した1954年当時、200~500頭のアシカが生息していた。それを絶滅させたのは、韓国の独島警備隊員・・・』との、下條正男氏の説明を掲げた後、『要するに、(韓国は)自国による“アシカ絶滅”の責任を、歴史を無視して日本に押し付けている』と要約している。
zakzakの記事では、下條正男氏が、ニホンアシカ絶滅の主原因が韓国にあると言っているように感じるが、下條正男氏でも、ここまでおバカさんではないだろう。
竹島のニホンアシカが絶滅した最大の原因は、日本の乱獲であることは、ニホンアシカを解説している書籍を幾つか読めば、だれだって容易にわかるだろう。いくら、下條氏でも、そんなことも知らずに、ニホンアシカ絶滅の原因が韓国にあると主張しているとも思えないので、zakzakが要約を誤ったのだろうか。
下條氏は、生き残った200~500頭のニホンアシカが絶滅した原因は韓国の独島警備隊員にあると勘違いしているようだが、これは科学に基づかない、いいかげんで短絡的思考だ。
戦後わずかに残ったニホンアシカを絶滅に追いやった原因をすべてあげることはできないし、今となっては、主原因が何であるのかを解明することも不可能だろう。日本は、1950年代後半から高度経済成長時代に突入し、河川・大気・海洋などの環境汚染が激しかった。鳥取大学の井上貴央教授は、ニホンアシカ絶滅原因として、日本海の海洋環境悪化を示唆している。
同時期、襟裳岬に生息するゼニガタアザラシも大きく個体数を減らした。ただし、ゼニガタアザラシは、その後、陸地の環境悪化を食い止める活動などが実って、個体数を回復した。
本-アイヌ学入門 ― 2015年06月10日

瀬川拓郎/著 『アイヌ学入門 (講談社現代新書)』(2015/2)
アイヌとはどのような人たちなのかを、幾つかのテーマによって説明。序章を除いて、各章には特に関連はないので、どこから読んでもいいと思う。北海道アイヌのほか、樺太アイヌや北千島アイヌ(コロボックル)にも触れられている。
序章 アイヌはどのような人々か
第一章 縄文 一万年の伝統を引く
第二章 交易 沈黙交易とエスニシティ
第三章 伝説 古代ローマからアイヌへ
第四章 呪術 行進する人々と陰陽道
第五章 疫病 アイヌの疱瘡神と蘇民将来
第六章 祭祀 狩猟民と山の神の農耕儀礼
第七章 黄金 アイヌは黄金の民だったのか
第八章 現代 アイヌとして生きる
本の紹介-偽金づくりと明治維新 ― 2015年06月13日

徳永和喜/著 『偽金づくりと明治維新』(2010/3) 新人物往来社
琉球を支配した薩摩藩は、琉球を介して清国と貿易をすることにより、利益をあげていた。しかし、第28代当主・島津斉彬の時代になると、琉球を介した交易にも行き詰まりが見え、さらに、欧米列強の琉球開国圧力は強まり、それがために、薩摩藩では、かえって経費が必要な事態になってきていた。
こうしたなか、島津斉彬は贋金を作って藩財政の立て直しを目論んだが、斉彬の時代には、少数の試作品を除いて贋金は作られていない。
文久2年(1862年)、琉球救済の名目で幕府に申請していた「琉球通宝」の鋳造許可がおりる。琉球通宝は領内限定で通用が認められたものなので、薩摩藩の利益にはなりにくかったため、天保通宝を贋造した。薩英戦争で鋳造所が焼失したのちは、場所を移して再開し、鋳造量も増大した。贋金は秘密裏に作るものなので、公文書などは残っておらず、詳しいことは不明であるが、贋金作りの中心を担った市来四郎の自叙伝によると、贋・天保通宝の鋳造量は290余万両だったとのことなので、1億枚を超える鋳造枚数だったことになる。
贋金つくりに必要な銅材料の調達には、寺の鐘や仏具も使用された。現在、鹿児島県には古刹がほとんどない。幕末から明治の廃仏毀釈が徹底していたと説明されることが多いが、贋金つくりに鐘や仏具を没収した歴史が、徹底した廃仏毀釈につながっている。
薩摩藩では、偽天保通宝のほかに、慶応元年から、二分金も偽造している。
本書は、薩摩藩による贋金づくりの実態を解明したもの。
本の紹介-アイヌの歴史 ― 2015年06月14日

平山裕人/著 『アイヌの歴史―日本の先住民族を理解するための160話』明石書店 (2014/5)
本書は第一編と第二編に分かれる。第一編はアイヌ史を学習する上で必要な「歴史観」や「アイヌとは何か」などの問題に対する言及。第二編がアイヌ史。
第二編のアイヌ史が本書のメインで、内容は、アイヌの通史。日本史は中学校・高等学校で習うけれど、アイヌ史にはほとんど触れられることはない。アイヌ史のなかから幾つかのトピックを選んで、解説する本はあるが、通史となるとなかなかないので、本書は貴重だ。アイヌ史についてある程度知っている人も、知識の整理のために、本書を読む価値はあると思う。
ただし、日本史の学校教科書をアイヌ史の立場で書いたような感じがして、ちょっと面白くなかった。
本の紹介-されど海 存亡のオホーツク ― 2015年06月15日

土本典昭/著 『されど海 存亡のオホーツク』 影書房 (1995/08)
1990年代になるとこれまで日本人の入域が厳しく規制されていた北方領土に、日本人ジャーナリスト・旅行者が立ちれるようになる。このため、1990年代前半には北方領土取材報告が多数出版された。これらの本では、北方領土の現実の姿の一端を知ることができる。ただし、取材は、日本への報道を目的としたものであるため、日本人に好まれるような取材が多い。これらの本は基本的には取材報告であるが、北方領土の歴史の解説も、まじめなものが多い。
本書は、映画監督・土本典昭による、日ロ合作映画の作成を目的とした、北方領土や沿海州地域の取材記。
興味を持った記述があったので書きとめておく。
日ロ"勝手交流"
その後、間もなく"ビザなし"交流を額面通りに受けとり、堂々と国境を越えた"事件"があった。
朝日新聞通信部の小泉記者はこの"勝手交流"に確信犯としての行為を見ているようだ。
事件の出だしは単純だった。色丹出身のSさんは当局に無断で色丹島に自分の持ち船を走らせた。
三歳の時に島を出たSさんは墓参を通じて、色丹島のロシア人島民の有力者と知り合い、島で出来る事業を考えていた。だが、腎臓病の彼自身は定期的に人工透析に通う身で、墓参団やビザなし交流のスケジュールに合わせられない。そこで彼は息子に「あなたらといっしょに島にホテルを建てよう」とのメッセージを託して色丹島に行かせた。漁民感覚では色丹島は近い。色丹島側では何の咎めもなく漁船を帰した。根室に戻ってのち、道当局から摘発された。
確信犯かどうか、それは行政の措置如何に掛かってくる。何の規則で罰せられるかだ。
「Sさんが色丹島水域に漁をしに行ったのなら罰則・海面漁業調整規則違反が適用できる。だが、色丹島に知人に会いに行っただけだ。色丹島は本来"日本固有の領土"で外国ではない。その日本領土に行ったのだから"密出国"には該当しない」。
Sさんがそこまで読んで、事を運んだのかどうかは問題でなくなる。これにどう裁きをつけるか。
小泉記者は根室海上保安庁にも聞いた。「その海域を航行しただけではせいぜい"無通告航行"の規則無視で、軽犯罪程度にしかならない」。これは"くい違い行政"といえる。ロシア側に逮捕されれば外務省の対ロ折衝に移される。ここでは「日本は国境の線引きを本来認めていない」と身柄釈放手続きがとられる。密漁者のだ捕の場合はこれで処理し、釈放後、国内法で処置する。Sさんの所属漁協では"十日間操業停止"にするくらいが通例だった。このSさんの例は行政の盲点をついた前例のない事犯になったと小泉記者はいう。
(箭波光雄理事長がやめた理由)
それにしても、なぜ辞められたんですか?やはりヤクザ問題ですか?
「一言、日ロ島民対話集会でかれに発言させたことで議長である私は退かざるを得ない結果になりました。その人だって、暴力団かヤクザか知らんが、その前に元島民のひとりとして連盟の会員にもなっていた。私は彼がビザなし訪問団で向こうの島に行ったり、"交流会(懇親会)"に出ることは阻止したけれども、対話集会の中で、一言島のことについて訊きたいといったことについて私は許した。"島のコンブの利用の道"という誰でも考えることです。それが政争の具に供されて困ったことになった。それだけです。もう理事長は辞めたのですから何もいいません」。
私の失礼な詮索はここで終わった。あとはいいたい放題の言葉が遊んだ。数言をとどめておこう。
(アイヌ)
元島民からアイヌを北方四島の先住民として語られたことはなかった。箭波光雄氏はテレビ番組のなかでそのことを問われたが"アイヌはすでに日本人になっている"とこたえ、まともな返答になっていなかったと記憶している。(P56)
(日本帰還に対する元島民の証言)
二年たっても日本から何の連絡も来ない。食糧も送ってこない、これは困ったと思っていた頃に、ソ連から『日本に帰す、これは強制でないから残りたいものは残って良いが、しかし残るものはソ連の国籍を取れ』といわれたんです。仕方がない、とりあえず一旦は帰ろうということで、昭和二十二年の秋に、全員ソ連の船で樺太を経由して帰ってきました。(P73)