太地町のイルカ大屠殺-太地町イルカ漁を考える2015年09月27日


  (イルカ追い込み漁のようす)
  
  (早朝から環境保護団体の進入を警戒する海上保安庁のボート)
  
  
太地町のイルカ漁はシーシェパードをはじめ、各国の環境保護団体から強い非難を浴びている。以下、非難を無視してまで、推し進める必要があるのかどうかを考えてみる。
  
  
1.太地町の捕鯨は伝統文化か?
 太地町は古式捕鯨発祥の地としている。長い間、くじらやイルカを採ってきたことは事実だが、だからと言って、すべてのイルカ漁を正当化する理由にはならない。
 北海道のことを考えてみよう。アイヌの人たちは川で鮭をとって生活の糧としてきたが、現在、鮭を川でとることは禁止されている。水産庁では「儀式のため」「伝統漁法継承のため」の捕獲ならば許可するが、生活のための捕獲は認めていないようだ。
 もし、太地町が「儀式のため」「伝統漁法継承のため」にイルカを採るのならば、それを禁止することは不当かもしれない。しかし、太地町で行われている捕鯨は「商業捕鯨」であって「儀式捕鯨」ではない。伝統文化とはまったく関係のない捕鯨であるので、伝統文化を理由にすることはできない。
   
 エンジン付ボートを使ったイルカ追い込み漁は「伝統漁法」ではない。
  
 太地町で捕獲されたイルカの一部は生きたまま水族館へ販売される。また食肉とされたものはスーパーマーケットに流通する。このような販売・流通目的の漁業は伝統とは言えない。すなわち、太地町イルカ漁は、その手法も目的も伝統文化ではなく、伝統文化を口実とした単なる商業捕鯨である。
  
 ビジネス情報誌オルタナ(2015年6月)によれば、「太地町の追い込み漁」すなわち「燃料で走る船を使い金属管を叩く音で追い込むイルカの追い込み漁」は、1969 年に設立された「太地町立くじらの博物館」に展示するために始まったものである。
  (古式鯨漁の遺構。現代の商業捕鯨では使われない。)
  
  
2.昔から食べているのだから今も食べてよいのか
 昔食べていないものを今食べているものや、昔食べていたが、今では食べられなくなったものは珍しいことではない。昔から食べてきたことは、今食べる理由にはならない。ただし、自分で捕ったくじらを自分で食べるのならば、それほど批判は浴びないだろう。現在、国際的な批判を浴びているのは、販売目的に行われる大規模イルカ漁だ。
 写真は、太地町で食べた「くじら丼」「くじらからあげ定食」。牛丼や鳥からあげがあるのだから、くじらやイルカがなくても生きるために困ることはなく、どうしても食べなくてはならない理由は無い。
 そもそも、食べるだけのためならば「イルカ追い込み漁」は必要ない。
 
(太地町の食堂のメニュー「くじら丼」 )
   
(太地町の食堂のメニュー「くじら唐揚定食」)
  
  
3.WAZAの決定とJAZAの決断
 2015年4月、世界動物園水族館協会(WAZA)は、太地町のイルカを水族館が購入することが「動物の福祉」の倫理規範に違反するとして、日本動物園水族館協会(JAZA)に会員資格停止を勧告した。これに対して、JAZAでは太地町のイルカを購入しないことを約束してWAZAに復帰した。
 現在、欧米各国の多くの水族館のイルカは、水族館で繁殖したものを使っている。水族館は教養・教育施設であるため、多数のイルカを必要としないので、水族館で繁殖したイルカで間に合っている場合が多い。これに対して、日本の多くの水族館は、営利目的の娯楽施設として、イルカショーがメインの出し物になっており、多数のイルカが必要なために、太地町追い込み漁で活け取りされたイルカを必要としていた。今後、イルカの調達が容易ではなくなるので、営利・娯楽施設から教育・教養施設へと転換を図る必要性に迫られるだろう。
  
 こうした中、太地町「くじらの博物館」では、JAZAを脱退して、太地町イルカを購入しショービジネスを進めるそうだ。教養・教育よりもビジネスを優先する、民度の低い国民性の表れだろう。情けない。 
(太地町イルカを購入しショービジネスを進める 太地町「くじらの博物館」)
 
  
4.調査捕鯨について
 日本は学術調査の目的と称して、南氷洋で捕鯨を行ってきたが、2014年の国際司法裁判所の判決では、調査に名を借りた事実上の商業捕鯨であるとの理由で禁止された。太地町では、調査捕鯨船・第一京丸が展示されている。
 学術調査ならば、多数の学術成果を発表して、日本人海洋学者が各国の大学教授のポストを確保すればよいのに、ほとんど成果のない調査しかしてこなかったのだから、禁止されて当然のことだ。
(かつての調査捕鯨船 )
  
  
5.情報発信不足と反対運動の押さえ込み
 太地町イルカ追い込み漁に強く反対しているシーシェパードの論理は、要するにイルカを採ることが嫌いであるとの感情論だろう。これに対して、和歌山県や太地町の見解は、要するに食べたい物を食べて何が悪いという感情論だ。シーシェパードの論理は単純な感情論だが、和歌山県や太地町の見解は販売のための商業捕鯨を自分たちの消費であるかのようにごまかしている点で、たちが悪い。
 どちらの感情論が国際的共感を得ているかといえば、シーシェパードの圧勝だろう。今後、和歌山県や太地町は、感情論をやめて理性で説得するか、国際的共感を得られるような情報発信が必要なのに、そのような努力も能力も欠如しているようだ。情報を隠して、警察と海保で取締りをするだけの対応では国際理解は得られない。
     
  (シーシェパードのイギリス人青年。悲しい表情でイルカ追い込み漁を見つめていた。)
  
 ルイ・シホヨス監督が作成した映画「ザ・コーヴ」は、2010年にアカデミー賞を受賞した。この映画には、イルカショーが残酷であるとして批判するメッセージと、太地町のイルカ屠殺は残酷であるとする2つのメッセージが含まれている。前者については、WAZAの決定により、日本の多くの水族館も太地町イルカ購入を断念した。
 太地町では屠殺はイルカを苦しめないようにしていると説明する一方で、屠殺現場は秘密にして取材を拒否してきた。映画では、立ち入り禁止区域に無断進入して撮影するなどの映画作成方法が強調された内容となっている。困難を克服した上での撮影が、国際的に高い評価を受けて、映画はアカデミーショーを受賞した。
 しかし、現場を見ると、映画の撮影方法は、それほどたいしたことではない。彼等が立ち入り禁止区域にカメラを設置して撮影したことは事実だが、そのようなことをしなくても、長い自撮棒のような撮影機材を使えば、合法的に撮影できるように思える。しかし、撮影方法のために、日本政府がイルカの残虐な屠殺を推し進めている印象が強い映画になり、映画の国際評価に繋がった面は否定できない。
  (イルカを屠殺する場所は、取材目的でも見せることはない。)
  
 映画には余り出てこなかったが、太地町のイルカ漁は警察・海保の援護のもとに行われている。和歌山県警はイルカ漁時期には臨時交番を設置し、イルカ漁見物の観光客に対して職務質問をしている。質問内容は、見物目的、住所氏名に止まらず、生年月日・電話番号・職業・勤務先名・捕鯨に反対か賛成かまで質問するので、捕鯨に反対する日本人観光客にはかなりの威圧になっているだろう。
  
(観光客に職務質問する和歌山県警警察官)
  
(イルカ漁時期に設置された臨時交番)
  
   
 以上見てきたように、太地町イルカ追い込み漁の実態は、手法も目的も伝統文化ではなく、伝統文化を口実とした単なる商業捕鯨であるので、日本の伝統文化として守る価値はない。漁の正当性主張においても、国際理解は得られていない。日本国内の政治力により国内法上合法化し、警察と海保によって守られながら、実態を隠した上で行われている。このような状況を今後も続けることは、日本の国益にも反し、地元の観光にもマイナスだろう。
  
    
 太地町は那智に近く、海が綺麗な町なので、観光に力を入れれば良いように思うのだけれど、実際には町に来てくれる外国人を敵視して、日本の観光客にも不快な思いをさせるようなことをしている。こんなことでは、町はジリ貧以外にないのではないだろうか。
  
    
 欧米各国の多くの水族館のイルカは、水族館で繁殖したものを使っているが、太地町「くじらの博物館」では、JAZAを脱退して太地町イルカを購入しショービジネスを進めるそうだ。太地町「くじらの博物館」の入館者数は1974年の478,573人をピークに、1992年以降減少を続け、2006年には150,722人、2009年141,688人、2013年87,175人と最盛期の1/5まで減少した。これでは経営が成り立たないので、2005年よりイルカを海外の水族館に輸出販売する事業を行っている。観光客の減少による赤字補填をイルカ追い込み漁に依存し、それが観光客の減少に拍車をかけている悪循環が見て取れる。
    
参考資料
 遠藤愛子『変容する鯨類資源の利用実態』国立民族学博物館調査報告97:237-267(2011)
 太地町役場ホームページ(http://www.town.taiji.wakayama.jp/tyousei/sub_02.html) 2015/9/28閲覧
     

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