本の紹介-宮古島民台湾遭難事件2016年09月13日

 
宮国文雄/著『宮古島民台湾遭難事件』那覇出版社 (1998/05)
 
 明治4年、那覇を出港した宮古・八重山の船4隻は強風のため遭難した。このうち1隻は宮古に帰還したものの、1隻は行方不明、1隻は台湾西部に漂着、1隻は台湾南東部に漂着した。台湾西部に漂着した船は、現地の中国人に救助されたが、南東部に漂着した1隻の船の乗組員のうち多数が、現住民により殺害された。
 
 南東部に漂着した1隻の船には、69名の乗組員があったが、上陸時に3人が死亡し、54人がパイワン族により殺害され、12人は中国人により救助された。救助された12人は福建省経由で那覇に戻った。殺害は斬首で、首はパイワン族により持ち去られ、胴体は中国人によって現地に葬られた。
 
 この事件をきっかけに、日本は明治7年に台湾出兵を行う。出兵した日本軍は、殺された宮古八重山の人たちの首を持ち帰り、那覇に葬った。宮古や八重山の人が多かったはずなのに、那覇に葬られたのはなぜだろう。那覇の墓は波の上宮にある台湾遭害者之墓だが、元々の場所から若干移されているらしい。現在の場所は、小桜の塔の向かい、ペッテルハイム博士居住跡の隣。
 遭難から台湾出兵にいたる一連の事件を「牡丹社事件」という。
 
 本書第1章は遭難と54人が殺害され12人が帰還したいきさつの説明。ちょっと歴史物語風で、どこが史実でどこが想像なのか区別がつかないところがある。
 第2章は台湾出兵の説明。
 第3章から第6章は遭難者の墓と墓参の模様。胴体が埋葬された台湾南東部と、首が埋葬された那覇に墓地がある。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

* * * * * *

<< 2016/09 >>
01 02 03
04 05 06 07 08 09 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

RSS