本の紹介―沖縄戦とアイヌ兵士2017年04月21日

     
橋本進/編 『母と子でみる沖縄戦とアイヌ兵士』 草の根出版会 (1994/4)
   
 沖縄県糸満市真栄平の「南北之塔」建立のいきさつを説明。
 太平洋戦争末期、沖縄には米軍が上陸して地上戦が行われた。糸満市では死闘が繰り広げられ、多くの軍民が死亡した。
日本軍の主力部隊は、第24師団(通称、山師団)で、これは北海道出身者が多く、アイヌ兵も在籍していた。多くは戦死したが、アイヌ兵弟子豊治は無事生還を果たした。なお、北海道アイヌ協会によれば、沖縄戦で戦死したアイヌは43人が判明している。
 本書は、戦前のアイヌ差別などを説明した後、弟子豊治の沖縄戦の話と、「南北之塔」建立のいきさつを説明する。
   
 真栄平は戦場となり、住民900名のうち670名以上が死亡し、多くの日本兵も戦死したため1000体を超える死体があったため、遺骨をガマ(洞窟)に葬ったた。1966年、真栄平地区では、住民が金を出し合って納骨堂を建てることとなった。このとき、弟子豊治は納骨堂の上に建てる塔の費用を寄付した。遺骨は、住民・日本兵・米兵のものが混在しており、慰霊は全ての犠牲者を弔っている。塔の正面には「南北之塔」、側面には「キムンウタリ」「真栄平地区住民」と彫られている。「キムンウタリ」は「山の同胞」の意味で、山師団の戦死者を表している。
   
 なお、北海道アイヌ協会では、数年おきに慰霊祭(イチャルパ)を行っているが、北海道新聞(2009年2月20日 夕刊)によれば、真栄平の住民の中には、アイヌの慰霊祭を嫌悪するものもいるそうだ。真栄平の一部住民で組織する「南北の塔を考える会」代表の大城藤六氏の『南北之塔がアイヌの墓と言われるのが許せない、北海道出身の沖縄戦戦没者の慰霊碑はほかにある、遺族はそちらに行けばよい』との話は、アイヌ民族に対するレイシズムとしか解せない。

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