すすめない本―尖閣だけではない沖縄が危ない!2017年09月03日

   
 読むことをすすめないが、忘れないようにタイトルのみ書き留めておく。
   
惠隆之介/著『尖閣だけではない 沖縄が危ない!』 ワック (2017/4)
      
 尖閣問題に関連して危機感を煽る本だが、それはそれで良いでしょう。執筆には著者なりの目的があるのだから。でもね、歴史や法解釈が、我田引水だったりデタラメでは困る。読んでいて、ばからしくなった。
 著者の経歴を見ると、防衛大卒業後自衛官を務めたようだ。私の高校の同級生で防衛大に進んだものがいたが、あまり成績は良くなかった。あまり頭の良くない人が、独善的組織でずっと過ごすと、こんな感じになるのかな。

メールアドレス変更2017年09月04日

20年ほど使用していたHi-Hoのメールアドレスを、今月末をもって廃止します。
廃止:kanai007@fan.hi-ho.ne.jp
      
今後は、mail@cccpcamera.stars.ne.jpにお願いします。

本の紹介―中国と南沙諸島紛争 問題の起源2017年09月13日


呉士存/著、朱建栄/編 『中国と南沙諸島紛争 問題の起源、経緯と「仲裁裁定」後の展望 』花伝社 (2017/4)

 南沙諸島紛争を中国の立場から解説。一般的解説書ではなくて、歴史的・法的見地から中国の正当性を研究した専門書。この本を読めば、南沙諸島中国領論の根拠の全貌がわかる。

 中世において、中国人船員によって南沙諸島の島は航海の目印、あるいは貿易船の中継地として利用されていた。

 近代では、1930年代初頭にフランスが南沙諸島の領有宣言し、すでに太平島で採掘作業をしていた日本人を追放した。フランスの領有宣言に対して、中国・日本が抗議している。1939年(昭和14年)に、日本は南沙諸島の領有を宣言しフランス軍やベトナム漁民を追放した。これ以降、日本・フランスで領有権争いが起こるが、1940年にフランスがドイツに侵攻されると、日仏間における極東での日本優位を定めた「松岡・アンリ協定」が締結され、南沙諸島からフランスは撤退した。一方、中国は日本の領有宣言にも抗議したが、日中戦争で日本の侵略を受ける事態となって、交渉の機会は失われた。このような経緯で、南沙諸島は日本が領有・実効支配することになった。南沙諸島を領有した日本は台湾・高雄市の管轄としたため、南沙諸島は台湾総督の管轄区域となった。
 1945年10月25日、日本の敗戦に伴って、台湾の施政権が台湾総督から中華民国に移された(台湾光復)。中華民国は南沙諸島を広東省の管轄にした。第2次大戦終戦の混乱期の1946年に一時フランスが南沙諸島のスプラトリー島を占拠したが、第1次インドシナ戦争の影響で撤退した。1952年、日本はサンフランシスコ条約により南沙諸島の領有を放棄した。

 中世の領有が近代においても通用すると考えるならば、南沙諸島は中国領と考えることが妥当だ。この場合、戦前の日本の領有は不当なものと考えられる。
 一方、中世の領有は近代では通用しないと考えるならば、戦前の日本の領有は正当なものだ。敗戦の結果、中華民国に施政権が渡り、日本が領有権を放棄したのだから、戦後、中国・台湾が南沙諸島を支配・領有することは正当だ。いずれにしても、南沙諸島の領有権は中国か台湾にある。しかし、現実は、南沙諸島最大の太平島は台湾が実効支配しているが、それ以外の小島は、フィリピンやベトナムが支配する島が多い。これは、フィリピンや南ベトナムが中国の混乱に乗じて、占領したためである。

 他国の混乱に乗じて無人島を占領しても、領土が割譲されたことにはならないので、一般的に言えば、フィリピン・ベトナムなどの占領は不当なことだ。しかし、フィリピンはアメリカの同盟国なので、南沙諸島をフィリピンが領有することはアメリカの軍事戦略にとって有利だ。このような理由で、現在では、南沙諸島に中国の勢力が及ぶことに対して、米国を中心とする国際社会は批判的である。日本も、この地域に米国軍事力が展開されていたほうがシーレーン防衛の観点から好ましいので、中国の支配には批判的になる。

 本書は、南沙諸島の歴史的経緯と国際法問題を説明し、中国の立場を説明したものである。
 しかし、現実政治は、アメリカの軍事戦略や西側国家の経済的利益によって決定されることが多い。本書では、これらの点にあまり触れらていない。

ホームページ追加2017年09月22日

日露・日ソ関係 ゆかりの地 ( http://nippon.nation.jp/Naiyou/index.html ) のところに、大津を加えました。
http://nippon.nation.jp/Naiyou/Ohtsu/index.html

大津は大津事件が起こった場所です。大津事件は児島惟謙が有名なので、宇和島にある銅像の写真を加えました。
そのうち、ニコライの切手かコインの写真と、ニコライの墓所の写真を加えます。

醍醐寺と真如苑2017年09月23日

先日、京都旅行で醍醐寺を見学した。ここは、新興宗教の真如苑と関係が深い。
       
 真如苑は、前科一犯の伊藤真乗を教祖とあがめる新興宗教。もとは「まこと教団」と称していたが、教祖が暴行傷害で逮捕されると、イメージダウンの影響を抑えるために「真如苑」と改称した。教祖は執行猶予付きの有罪が確定している。教祖が戦時中に醍醐寺で修業した関係で、真如苑は醍醐寺との関係が深い。
 醍醐寺は真言宗の弱小一派の本山。大伽藍の割には駐車場が狭く、観光客が少ないことをうかがわせる。醍醐寺を訪ねた時も、観光客は少なかった。観光収入は大したことないのだろう。また、弱小な一派なので、末寺からの上納金も大したことないのかな。新興宗教から金をもらわないと、なかなか経営が大変なのだろうと同情してしまう。もっとも、それだけではなくて、醍醐派中枢部には、大金が必要な個人的理由があるとの情報もある。
       
 そういうことで、醍醐寺には、新興宗教・真如苑教祖を顕彰する堂宇が建てられている。場所は、弘法大師や 理源大師を祭る祖師堂の奥にある。醍醐寺に像が祭られているのは、真言宗開祖・弘法大師、醍醐寺開祖・理源大師、前科一犯・伊藤真乗、真乗の妻・伊藤友司の4人である。
 弘法大師と理源大師の像は、僧侶の像なので、お寺にあることに違和感を感じない。しかし、伊藤真乗・友司像は普通のおっさんとおばさんの像なので、お寺には不似合いだ。
 真如苑が教祖・真乗の他に、妻の友司を崇めるのには理由がある。真乗は犯罪者だったので、宗教法人法の規定に従って刑の執行猶予が終わるまでは教団役員に就任することができなかった。このため妻の友司が教団の代表を務め、教団の復興に寄与した。
       
 上の写真は、醍醐寺・真如三昧耶堂。
  
 堂の中央に据えられているのは、真如苑本尊のレプリカだろうか。
      
 左脇には、伊藤真乗の胸像。有髪・眼鏡のおっさんなので、寺の像としては違和感がある。
       
  こちらは祖師堂の理源大師像。お坊さんの像なので違和感はない。
       
 現在、醍醐寺のトップ(座主)は、東京品川寺住職だった仲田順和。品川寺の現在の住職は醍醐寺総務部長を務める仲田順英。
 上醍醐のさらに東側にある岩間寺は、前住職の死後、強引に仲田順和が住職に就任すると、檀信徒との間で係争が起こった。真如苑が岩間寺を乗っ取ったとのうわさ話もあるが、実際は乗っ取りに真如苑の直接的関与は薄いようだ。
       
 真如苑と仲田順和のズブズブの関係は感じが悪い。宗教専門紙「中外日報(1987/3/25付)」は「寄付金、一億どこへ消えた」との記事の中で、真如苑から醍醐寺に渡った1億円を超える寄付金が仲田順和宗務総長(当時)によって行方不明となっていることを報道した。また、仲田順和は伊藤真乗のヨイショ本「真乗心に仏を刻む」の執筆に加わっている。
       
 
 醍醐寺の建立は平安時代で、952年に建てられた五重塔は国宝に指定されている。
       
 その後、豊臣秀吉の援助で再興された。写真の三宝院庭園も秀吉の命で作られた。
      
      
注)日本の有力な仏教諸宗派には、浄土真宗本願寺派(信者数790万、宗教年鑑平成28年版、以下同じ)、浄土真宗大谷派(信者数790万)、浄土宗(600万)、高野山真言宗(信者数380万)、曹洞宗(350万)、日蓮宗(350万)などがある。真言系では高野山真言宗(信者数380万)、真言宗豊山派(信者数140万)が真如苑(信者数93万)よりも公称信者数が多い宗派。真言宗醍醐派の信者数は36万と少ない。
    
注)宗教法人法によれば、禁固以上の刑に服役中・執行猶予中の者は宗教法人の役員になることはできない。このため、執行猶予付き懲役刑が確定した伊藤真乗は執行猶予が終わるまで宗教法人役員に就任することはできなかった。
 学校教員には高い倫理性が求められるので、禁固以上の刑期が満了しても、教員になることはできないが、宗教法人は、教員ほど高い倫理性は求められないので、刑期が満了すれば役員に就くことができる。真乗は執行猶予が満了しても、暫くの間、宗教法人役員に就かなかったが、妻の友司が死亡すると、代表役員になった。         

本―日本陸軍の対ソ謀略2017年09月30日

      
田嶋信雄/著『日本陸軍の対ソ謀略:日独防共協定とユーラシア政策』吉川弘文館 (2017/2)
  
非常に専門性の高い内容で、正直言ってあまり興味がなかったのだけれど、読んだことを忘れないようにタイトルだけ買い留めておきます。内容は、戦前の日独防共協定締結への歴史の解明。

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