本―隣国への足跡2017年10月02日

        
黒田勝弘/著『隣国への足跡 ソウル在住35年日本人記者が追った日韓歴史事件簿』KADOKAWA (2017/6)
        
 特に読む価値はないと思ったが、読んだことを忘れないように書き留めておく。
 本の内容は、日韓の歴史に対して、日本を弁護するもの。日本に都合の良い内容・解釈のみを並べて、あるいは、言葉のあやで日本を弁護することは、著者の著述の方向性なのだから、それはそれで良いだろう。でも、2チャンネルではないのだから、もう少し普通にまともな内容には書けなかったのだろうか。
      
 竹島問題では、ニホンアシカが絶滅した原因は韓国にあると書いている(P61-P63)。このような主張は、2チャンネルでは珍しくないが、一応、出版物なので、もう少しまともな記述はできなかったのだろうか。
 まともな生物学の本には、二ホンアシカ絶滅の原因が、次のように書かれている。
      
 竹島は最大の繁殖場であったが、明治末期に1万4000頭を超える乱獲が行われ、その後も1930-40年には年間数十頭が捕獲された。生息地の多くでは19世紀末あるいは20世紀初頭に絶滅した。その原因は明治政府が駆除や乱獲を放置し、繁殖期に性別・年齢を問わない捕獲が行われたためである。(和田一雄/著 伊藤徹魯/著『鰭脚類―アシカ・アザラシの自然史』 東京大学出版会 1999/1 P33~P34)
      
 ニホンアシカが絶滅した主な原因は日本の乱獲にあったが、最後の日本アシカがいなくなったとき、竹島は韓国の領土だったので、知識が乏しい人の中には、絶滅の原因が韓国にあると考える人もいるだろう。しかし、当時の日本は高度経済成長期で、日本海の海洋環境が汚染されていたので、ニホンアシカの絶滅に最後の一撃をくらわしたのが、日本の環境破壊なのか韓国の竹島支配なのか判断することは難しい。
      
       
 日清戦争で勝利した日本は、韓国の属領化を進める過程で、これに反対していた王后を殺害した。日本が殺害した王后を日本では「閔妃」と言い、韓国では「明成皇后」と言うことが多い。王后の呼び名に対して、本書では、事件当時、皇后ではないため明成皇后は誤りであり、閔妃が正しいとしている(P70)。
 呼び名など、どうでもよいように思うが「明成皇后は誤り」と言ってしまうと、知識のなさを露呈しているように思える。日本が殺した王后は、高宗の正妻だったので、側室を意味する「妃」は誤りである。しかし、王后を殺した日本は正妻の地位をはく奪して妾に貶めた。この結果「閔妃」と呼ばれるようになったので、生きていた当時に「妃」だったわけではない。また「明成皇后」は死後しばらくして与えた諡号(送り名)である。日本では「睦仁」「裕仁」と言う代わりに、「明治天皇」「昭和天皇」と諡号を使うことが定着している。また、「空海」を「弘法大師」と呼ぶことも珍しくない。これらの事実からもわかるように、韓国で諡号を使って呼ぶことは誤りではない。
 いずれにしても、「閔妃」「明成皇后」は、ともに殺害時の名前ではなく、どちらが正しいとか、どちらが誤りというものではない。

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