本の紹介―奄美の奇跡2017年11月22日

  
永田浩三/著『奄美の奇跡 「祖国復帰」若者たちの無血革命』WAVE出版 (2015/7/17)
  
著者はNHKディレクター・プロデューサーとして、主に社会派番組の作成を担当した後、NHK退職後は武蔵大学社会学部教授となる。
本書は、終戦後、米国の支配になった奄美群島が沖縄・小笠原に先駆けて早期に日本復帰を果たした復帰闘争の経緯を記す。
  
 戦争中、沖縄本島は日米の戦場となり、米軍の軍事占領を経て、米軍の支配になった。これに対して、鹿児島県奄美群島は戦場となることもなく、終戦まで、米軍の進駐もなかった。しかし、戦争終結からだいぶたった1945年9月22日に、米軍がやってきて、琉球の一部として、本土から切り離されて、米軍の支配となった。米軍は、占領当初、奄美・沖縄・宮古・八重山をそれぞれ分けて統治していたが、1951年4月1日、琉球臨時中央政府が作られ、1952年4月1日には琉球政府が作られ、奄美は琉球として沖縄とともに統一して支配されることとなった。
 江戸時代以降、奄美は琉球の一部ではなくて鹿児島県に属していたことや、戦場にならなかったにもかかわらず、終戦後暫くしてやってきた米軍に支配されたこともあって、奄美では占領当初から根強い本土復帰運動が起こった。
  
 本書では、奄美復帰運動の中核を担った青年たちを中心に復帰運動の詳細を解説する。奄美には戦前からアナーキストの運動があり、また戦後には共産主義運動が活発化したため、これらの人たちが記述の中心となっている。奄美連合総本部・復帰対策委員会の初代委員長を務めたロシア文学者・昇曙夢の記述もあるが、少ない。
   
 復帰運動を担った青年たちの記述が詳しいが、個人の伝記として読むのならばともかく、奄美が早期に本土復帰を果たした歴史的経緯を知りたい目的で読むには、個人の活動記録が煩雑すぎる。
    
 なお、復帰闘争以外に、1945年9月21日に徳之島に上陸したカンドン大佐以下10名の米軍使節と奄美大島守備司令官・高田利貞少将との間で、武装解除命令文書の文言で一悶着があって署名が翌日になったことや、翌年の2月2日に甘味が日本から分離された「二・二宣言」、さらには高田旅団の多田主計大尉による物資の横領などにも触れられている。
 巻末には、奄美占領から本土復帰に至る年表が掲載されており、歴史の経緯を簡単に理解するうえで便利。

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