内閣官房 領土・主権展示館2018年04月01日

先日、内閣官房の領土・主権展示館を見学したので、入口の写真を掲載しました。
http://nippon.nation.jp/ETC/Tenjikan/RyoudoShuken/RyoudoShuken.html
この展示館は平日の日中のみの開館で、展示内容も大したものがありません。この展示館を見るよりも、インターネットで調べたほうが有益な情報が得られると思います。
外務省発行のパンフレット「われらの北方領土」が置いてあるのかと思っていったのですが、ありませんでした。

本の紹介‐大日本帝国植民地下の琉球沖縄と台湾2018年04月02日

   
又吉盛清/著 『大日本帝国植民地下の琉球沖縄と台湾』同時代社 (2018/1)
 
 日清戦争の処理によって、台湾が日本に割譲され、沖縄が日本の領土であることが確定した。この時以降、日本は台湾に投資をして台湾開発を進めることになる。台湾に投資が回ったため、沖縄投資は遅れがちだった。このため、沖縄から台湾へ移住するものも多かった。台湾では、教師、警察官、官吏などの人的需要が多かったが、これらを沖縄の人が担うことも多かった。
 本書では、台湾開発と沖縄人との関係が詳しい。おおむね時代を追っているので、本の最初から順に読んだ方がよいだろう。

本の紹介ー「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯2018年04月07日

   
佐古忠彦/著『「米軍が恐れた不屈の男」瀬長亀次郎の生涯』講談社 (2018/2)
  
 60年程前、岩波新書で「沖縄からの報告」が出版されていた。この本の著者が瀬長亀次郎だった。亀次郎は、米軍占領下の沖縄で米軍に反対する象徴でもあった。
 本書は主に米軍占領下の瀬長亀次郎の活動を記したもの。米軍に逮捕された時のことと、那覇市長に当選し市長に就任した時、占領軍当局によって市長を解任されたときのことが詳しい。
 2017年夏に映画「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」が公開されている。

本ーナショナリズムから見た韓国・北朝鮮近現代史2018年04月17日

  
木宮正史/著『ナショナリズムから見た韓国・北朝鮮近現代史』講談社 (2018/1)
  
あまり興味のある話題ではなかった。読んだことを忘れないように書き留めておく。

本の紹介ーシベリア抑留最後の帰還者2018年04月18日

    
栗原俊雄/著『シベリア抑留最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ』 KADOKAWA (2018/1)
    
 シベリア抑留には「戦争捕虜」と「犯罪受刑者」の2種類があった。このうち戦争捕虜は昭和25年春までに生存者全員が帰還している。犯罪受刑者は昭和31年の日ソ共同宣言によって、全員が帰国することが合意された。
 本書は犯罪受刑者だった佐藤健雄がシベリア抑留中に往復した葉書を取り上げて、佐藤の抑留体験を著している。ただし、取り上げられた葉書は少ない。
    
 シベリア抑留と言うと、今から20年ほど前ごろまでは、単に「シベリア抑留はつらかった」「ソ連の対応が悪かった」「日本は悪くない」そんな内容ばかりだった。抑留体験者の多くが故人となった今、シベリア抑留で死亡した原因の一つに、日本人将校の対応の悪さが原因の一つであることが明らかになっている。本書も、そのような視点が少し書かれているので、昔のような苦労話本とは一線を画する。
    
 佐藤健雄は戦争捕虜ではなくて犯罪受刑者だったので、ソ連の待遇もおのずから異なっていた。本書にはその点の記述がなく、戦争捕虜の扱い一般に対する問題と受刑者の問題とが不明確だ。
 本書で取り上げられたシベリア俘虜郵便はがきは少ないが、シベリア俘虜郵便についても誤った記述が多い。俘虜葉書が国際法上認められているのは戦争捕虜に対してであり、犯罪受刑者に認められているわけではない。このため、佐藤健雄が俘虜葉書を出せても出せなくても、国際法は関係ない。どうも、この点を著者は誤解しているようだ。また、俘虜葉書が認められているからと言って、現実に郵便路線がなければ送達することはできない。日本がGHQに占領された当初、GHQは日本人の外国郵便を禁止していた。ソ連から俘虜葉書が届くようになったのは、日本の外国郵便再開後のことだった。本書では、日本の外国郵便が禁止されていた時期に、俘虜葉書が差し出せなった点をソ連の責任であるかのように書いているが、占領期の郵便事情の知識が乏しいのではないだろうか。
 また、P136には「優良労働者ら一部の抑留者に対して手紙を出すことを許可した」等と、いい加減なことが書かれている。このような抑留地があったかもしれないが、ことは、そう単純ではない。草地貞吾の本には、無理やり書かせようとしたことが記されている。
    
 ところで、最初の方のページに1通だけ俘虜葉書の表面の写真がある。これには、三角マークの検閲印があるので、KGBの管轄にあったことは明らかだ。戦争捕虜の多くは国軍の管轄だったので、ひし形か長方形の検閲印が押されている。52通のはがきがあるならば、その点も検討してほしかった。
    
 カバー裏側に「ソ連は国際法違反である抑留の実態を知られぬために、文書の持ち出しを固く禁じていた」と書かれている。近年、シベリア俘虜葉書の返信部も、結構市場に出回っており、それほど珍しいものではない。これから帰国して家族に会う人が、あたりさわりのない内容の葉書を持ち帰る動機も乏しいので、返信部が少ないのは言うまでもないことだが。著者が言うように、「文書の持ち出しを固く禁じていた」と言うにしては、市場に出回っている返信部が多い。もし、著者がきちんと取材した結果、本書を著したのならば、どのようにして持ち帰ったのかも書けばいいのに。

クマガイソウ2018年04月21日

   
さいたま市見沼区御蔵の尾島家ではクマガイソウ(写真)やイカリソウが咲いています。クマガイソウはだいぶ少なくなってしまった。例年、4月末から5月上旬が見ごろなのだけれど、今年は少し早いようで、ゴールデンウイークには花は終わっているかもしれない。

本の紹介ー琉球救国運動 抗日の思想と行動2018年04月22日

   
後田多敦/著『琉球救国運動 抗日の思想と行動』 Mugen (2010/12)
  
 脱清人について、詳しい参考書。
  
 江戸時代の琉球は、独立国であると同時に中国(清)の服属国であり、さらに、薩摩藩が支配していた。中国の服属国と言っても形式的なものであり、薩摩藩の支配と言っても外交の権限や行政・司法の権限は琉球王府にあった。明治になると、明治政府は琉球を日本の一部にしようとした。すなわち、すべての行政・司法の権限を琉球から取り上げ、清国との外交も停止するように命じた。
 これに対して、琉球は激しく反発。中国に助けを求めた。しかし、明治政府は、国王を東京に連れてきて、日本の支配に反対するものを逮捕・拷問して琉球の接収を確定した。琉球が日本になった後も、反対運動は続き、中国に合法・非合法に渡航して、抵抗運動をする人も多かった。
  
 本書は、琉球が日本領土となる過程と、反対して中国に渡った人たちの記述が詳しい。ただし、中国に渡った人たちの中国における活動の記述は少ない。
 琉球が日本になった後、琉球王府は「丸一店」を作って、琉球独自の経済活動を行うことになったが、これに対しても詳しい記述がなされている。
 日清戦争に日本が勝利し、琉球が日本領であることが日中間で確定すると、日本に抵抗する人たちも少なくなっていった。しかし、今度は、琉球人に対して徴兵の義務が課されるようになったため、兵役を忌避するために、中国に逃れる人たちが現れる。本書ではこの問題に一章を当てている。

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