メーデー ― 2018年05月01日
今日はメーデー
ホームページ追記 ― 2018年05月06日
竹島問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/Takeshima/Takeshimabook/index.htm
尖閣問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/Senkaku/book/indexbook.htm
尖閣問題の理解には琉球の歴史を理解することが欠かせないのですが、このための参考書は今後追記します。
北方領土問題参考書は今後追記します。
http://nippon.nation.jp/Takeshima/Takeshimabook/index.htm
尖閣問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/Senkaku/book/indexbook.htm
尖閣問題の理解には琉球の歴史を理解することが欠かせないのですが、このための参考書は今後追記します。
北方領土問題参考書は今後追記します。
本ー琉球処分以後 上 ― 2018年05月12日

新川明/著『琉球処分以後 上』(1981.2)朝日選書
江戸時代、琉球は独立国であると同時に清国の服属国で、薩摩藩の支配を受けていた。明治になると、明治政府は琉球処分として、琉球を日本に編入して、琉球王を東京に住まわせた。本書の前半は琉球処分を、主に琉球の視点で詳述している。
琉球を内国化した明治政府は、琉球王国当時の民衆支配体制を温存したため、民衆の貧困状況は改善されることがなかった。本書後半では、変革への胎動として、粟国島騒動や、宮古島で住民運動をおこなった中村十作を取り上げている。
ベローチカ ― 2018年05月13日

ロシアのチョコレート「ベローチカ」食べてます。日本国内で買ったものだけど。
ロシアのチョコレートは、ヨーロッパと同じような味でうまい。
ウクライナのロシェンは少しアメリカっぽくてうまくなかった。
ホームページ追記 ― 2018年05月16日
一週間ほど前、「竹島問題参考書」「尖閣問題参考書」のページを3年ぶりに追記しました。
竹島問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/Takeshima/Takeshimabook/index.htm
尖閣問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/Senkaku/book/indexbook.htm
今回は、尖閣問題のページに、さらに琉球史の参考書を若干追記しました。
また、北方領土問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/HoppouBook/index.shtml
竹島問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/Takeshima/Takeshimabook/index.htm
尖閣問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/Senkaku/book/indexbook.htm
今回は、尖閣問題のページに、さらに琉球史の参考書を若干追記しました。
また、北方領土問題参考書のページを3年ぶりに追記しました。
http://nippon.nation.jp/HoppouBook/index.shtml
領土問題の参考書 ― 2018年05月17日
北方領土問題の参考書・竹島問題の参考書・尖閣問題の参考書
を以下に記載しています。
http://nippon.nation.jp/HoppouBook/index.shtml
http://nippon.nation.jp/Takeshima/Takeshimabook/index.htm
http://nippon.nation.jp/Senkaku/book/indexbook.htm
北方領土問題が350冊以上、竹島問題が80冊程度、尖閣問題が100冊以上とかなりの冊数になっています。自分で読んで、それなりに参考になったものを記載したのだけど、多すぎですね。もう少し、わかりやすくしたいのだけど、良い方法が思いつかない。
を以下に記載しています。
http://nippon.nation.jp/HoppouBook/index.shtml
http://nippon.nation.jp/Takeshima/Takeshimabook/index.htm
http://nippon.nation.jp/Senkaku/book/indexbook.htm
北方領土問題が350冊以上、竹島問題が80冊程度、尖閣問題が100冊以上とかなりの冊数になっています。自分で読んで、それなりに参考になったものを記載したのだけど、多すぎですね。もう少し、わかりやすくしたいのだけど、良い方法が思いつかない。
ベローチカ ― 2018年05月19日
福島第一原発事故 ― 2018年05月20日
先日、福島第一原発事故関連の地域を旅行したのでホームページにアップしました。
http://nippon.nation.jp/GENPATSU/FUKUSHIMAB/index.htm
国道144号の浪江インターから西も通行できるようになっています。浪江町津島から飯館村へ抜ける国道399号は通行止め中です。
http://nippon.nation.jp/GENPATSU/FUKUSHIMAB/index.htm
国道144号の浪江インターから西も通行できるようになっています。浪江町津島から飯館村へ抜ける国道399号は通行止め中です。
麓山から事故原発を見ると、三号機の上にかまぼこ型の構造物が作られていました。燃料棒の搬出作業が始まるのだろう。壊れた燃料棒は、早くどこか安全な所へ持って行ってほしいものです。
これまで周辺の農地には、除染で出たビニール袋が一面に広がっていました。中間貯蔵施設ができたため、これらのビニール袋はだいぶ撤去されて、跡地は太陽電池パネルになっています。双葉、大熊、浪江の3町を全部太陽電池パネルにすれば、福島第一原発と同規模な発電施設になるのではないか。
人が住めなくなって7年たったゴーストタウンを見ていると、もはや人が住むことはやめてたのではないかと、そんな妄想が起こってきました。
人が住めなくなって7年たったゴーストタウンを見ていると、もはや人が住むことはやめてたのではないかと、そんな妄想が起こってきました。
リングストロボ ― 2018年05月21日

Amazonで安いリングストロボ買いました。LEDタイプなので、常時点灯ができて便利です。
ライトカバーの内面が光って、ハレーションになるので、アクリル絵の具の黒を塗ったら、問題なくなりました。
本の紹介ー関東軍作戦参謀の証言 ― 2018年05月22日
草地貞吾/著『関東軍作戦参謀の証言』(1979.10)芙蓉書房
著者は関東軍作戦参謀として戦争に従事した後、捕虜としてシベリア抑留となり、裁判で受刑者となった。日ソ国交回復の時に、日本に帰国した。本書は、シベリア抑留の時の様子を著者の立場で書いている。
シベリア抑留者は、初年度は将校たちによって管理された。この時期には、将校に管理された兵に多数の死者が生じている。2年目以降になると、捕虜に対して、ソ連は共産主義教育をするようになった。そして、共産主義者になった捕虜が、他の捕虜を管理するようになっていった。日本人将校が管理していた時期は、日本兵の死者が多発していたが、2年目以降になると死亡も減っていった。しかし、将校にとっては、逆に管理されいじめられる側になった。
本書は、旧日本軍将校による自己正当化のための記述なので、シベリア抑留の全体像を伝えるものではなく、ソ連により理不尽な扱いを受けたことと、共産主義に感化した日本兵、特に浅原正基に対する恨みつらみが書かれている。
P239~P304には、日本へ俘虜葉書を差し出した状況が書かれている。これによると、著者が最初に俘虜葉書を書いたのは昭和21年10月6日とのことなので、日本あてシベリア俘虜葉書の第一便だと思わる。また、この時以降、書きたくないのに、共産主義化した日本兵に書くようにしつこく言われたことなどが記されている。
シベリア俘虜葉書に対しては、「優良労働者ら一部の抑留者に対して手紙を出すことを許可した(栗原俊雄/著 シベリア抑留最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ)」のような誤った記述が散見される。本書出版からすでに40年近くたっているのに、このような誤りがまかり通っているのはどうしたことだろう。
著者は関東軍作戦参謀として戦争に従事した後、捕虜としてシベリア抑留となり、裁判で受刑者となった。日ソ国交回復の時に、日本に帰国した。本書は、シベリア抑留の時の様子を著者の立場で書いている。
シベリア抑留者は、初年度は将校たちによって管理された。この時期には、将校に管理された兵に多数の死者が生じている。2年目以降になると、捕虜に対して、ソ連は共産主義教育をするようになった。そして、共産主義者になった捕虜が、他の捕虜を管理するようになっていった。日本人将校が管理していた時期は、日本兵の死者が多発していたが、2年目以降になると死亡も減っていった。しかし、将校にとっては、逆に管理されいじめられる側になった。
本書は、旧日本軍将校による自己正当化のための記述なので、シベリア抑留の全体像を伝えるものではなく、ソ連により理不尽な扱いを受けたことと、共産主義に感化した日本兵、特に浅原正基に対する恨みつらみが書かれている。
P239~P304には、日本へ俘虜葉書を差し出した状況が書かれている。これによると、著者が最初に俘虜葉書を書いたのは昭和21年10月6日とのことなので、日本あてシベリア俘虜葉書の第一便だと思わる。また、この時以降、書きたくないのに、共産主義化した日本兵に書くようにしつこく言われたことなどが記されている。
シベリア俘虜葉書に対しては、「優良労働者ら一部の抑留者に対して手紙を出すことを許可した(栗原俊雄/著 シベリア抑留最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ)」のような誤った記述が散見される。本書出版からすでに40年近くたっているのに、このような誤りがまかり通っているのはどうしたことだろう。